22
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部屋の中は魔法の光で満ち満ちている。
隅でヴァルは黙って膝を抱えていた。
入り口から遠い部屋の角に椅子を持って行き、その上で膝を抱えている。尾をばたばたと左右に打たせて。その姿は一見、ふて腐れた子供のようにも感じられるがどこか陰気だ。
気を遣ってバリーが白湯をすすめても無言で首を振る。
――昨夜の轟音の正体は、聖堂が瓦解した音だった。
かつてはベレルカのような小さな聖堂にもルクス会本部の者が祭司として赴任していたらしいが、今は村人が祭司を兼任しているらしく、当代祭司は瓦解したした聖堂を前に茫然自失の体だった。
瓦解とはよくいったもので、そのありさまは粉微塵というべきだった。風が吹けば白い粉が宙を舞う、今は小さな砂山だ。
――なぜこんなことになったのか。いったい、だれが。
混乱する村人たちが真っ先に疑ったのはやはり、「魔族」であるヴァルたちだった。
ビッキーたちは村人たちの不安を煽らないためだと、ヴァルたちを部屋を簡易の牢にすべく部屋の中を明々と灯し、外に出ることを禁じた。ビッキーが、聖堂が瓦解したときに一緒にいたのだと言ってはくれたが、村人たちはちっとも聞く耳を持たなかったからだ。
ビッキーたちはパラデウムの名代であるが、なにぶん見てくれは若い学生だ。それにパラデウムは大封鎖を解き、魔族の保護を謳っている。
かたやベレルカはルクス会の聖堂がある村だ。
光の神をあがめる信仰が根ざす地で魔族がどういった存在か。分かっていたような気がして、しかし事が起こってヴァルは身をもって理解した。
憎悪の篭もる人の目。礫と一緒に投げつけられる非難。それはアルブムにいたときに一人で想像していたものよりもっと真に迫っていて。
しかもそれはヴァルたちだけでなく、人間であるビッキーたちにも及んだ。
それを目の当たりにしてから、ヴァルの胸は妙にざわついてしょうがない。
(……なんだこれ)
分からないのがそれを更に増幅し、余計ヴァルを無口にした。
怖い、とは何かが違う。
あるじの纏う異質な空気に刺激され、バリーは不安に駆られていた。
こんなふうに押し黙ったヴァルを見るのは初めてだった。膨らむ風船のそばにいるような緊張感を強いられて、バリーは自分がおかしくなりそうだった。
遠く押し問答する声が聞こえ、廊下に怒れる足音がなだれ込んでくる。そしてヴァルたちの部屋の外でいきなり祈祷がはじまった。
「……ああ我らが偉大なる御神よ……不滅なる者を遠ざけたまえ……」
バリーは部屋の空気がぐっと下がった気がしてヴァルを見た。不愉快そうに扉を見据えるあるじに肝が冷えた。部屋の温度を下げているのは祈祷なんかでないと知れたのは良かったが、正体があるじというのも困る。
「……あいつら本気で俺たちが壊したと思ってるんだな」
ぼそりとヴァルが口にした。
「ヴァル様……」
不穏さを嗅ぎ取って思わず名を呼んだ。
「心配するな、俺は何もしない。ここにいる。これは人間の問題だ、俺は手を出さない」
そう口にするヴァルだがその眼差しはひたと扉に注がれている。何もしないとは言うが、まるでその文句は己に言い聞かせているようにもとれた。
(ヴァル様)
バリーはそれ以上声を掛けられなかった。
昼前になり、外から戻ってきたビッキーたちが祈祷する村人たちを何とか追い返した。
「入りますね」
一言断ってから入室したビッキーたちは、ヴァルを見つけてぎょっとした。
「お疲れさまです」
労うバリーの声に、二人ははっとしてヴァルから目を背けた。どうしたのあれ、と目線で問われたバリーは頭を振り、二人の前にカップを差し出した。
「どうぞ」
「え、これ、どうしたの?」
湯気のたつカップを見て、ビッキーが目を眇める。それもそのはずで、この部屋には調理器具や食器の類は本来ないのだ。
「魔法ですよ。ほら、」
バリーは拳を握って開いてみせる。手のひらにはキャンディの缶があった。ヴァルと比べればできることは劣るが、これくらいは朝飯前だ。
ビッキーはばつが悪そうな顔で、
「何もない所からいきなり温かいものが出てきたら、ちょっと、考えちゃうでしょう……?」
「……正直な方ですね」
バリーは笑った。
どうやらビッキーはバリーがここの調理場からくすねたのかと一瞬考えてしまったらしい。そうやってつい穿った見方をするくらいに、彼女から余裕が失せているのだろう。
ありがとう、いただきます。二人はそれぞれカップを受け取った。一口飲んで、ほうと息を吐く。
「それで、状況はどうです?」
ビッキーは肩を竦めた。
「あそこまで粉微塵にされた建物は初めてみるけど……あの壊れ具合、爆薬か魔法じゃないと……だけど火薬の匂いはしなかったから。報告でみた最近続いている聖堂の手口と同じかと思うんですけど、」
「けど?」
「報告書で見たときから疑問だったんです、この規模の破壊ができる魔法はわたしたちとか、それなりの魔法使いじゃないと使えないはずなんです」
バリーは首を傾げた。
「魔法ってでも、色んな所に使われているように思うんですが?」
「汎用……そういうのは安全を考慮したうえで誰でも手軽に使えるように提供してあるもので、何の訓練もしていない者が普通、光子を意のままにすることは非常に難しいんです。最近は魔法が市販されていたりもしますけど、それはごくごくかみ砕かれた簡易版で、だからこんな被害を生み出すことは不可能な……はずなんです」
「……だけど現にやったのは人間だろ」
ぼそっと言い放ったのはヴァルだ。一同の視線がそちらへ向かう。
「あの音がしたとき、すっげえ眩しかったしすっげえやかましかった。だから間違いなく人間の魔法が起こしたんだ、あれを」
「……やかましい?」
「ヴァル様には、あなた方が魔法を使うと何やら聞こえるそうなのです。わたしには聞こえないのですが」
バリーの説明に、ビッキーは目を剥いてヴァルを見た。
「……あなた、もしかして光子の声が聞こえるの?」
「声? 何だそりゃ。やかましいに声もくそもあるか」
普段のヴァルなら食いついていたかもしれないが、今日は違う。ヴァルは興味がないとばかりにぴしゃりと言いのけた。
語気に怯んだビッキーは口を噤んでしまう。
重い沈黙が場を支配する。
(光子の声……ですか)
ひょっとすると大事なことかも知れない。バリーは機会がったらビッキーに訊ねてみようと考えた。応えて貰えるかは怪しいが。
こんこんと誰かが扉を叩いた。
「すみません、オリガです」
聞こえた遠慮がちな声に、部屋の面々を見回して、バリーは「はい」と返事をした。
「あの、入っちゃ駄目ですか?」
「ごめんなさい、今は入らない方がいいと思う」
ビッキーがヴァルの方をちらと見て、言う。
バリーは頷いて同意した。今のヴァルを見てオリガがどんな反応をしめすかわかったものではない。反対にヴァルがどうするかも分からない。
「……分かりました。あの、村の人たちがすみません……! わたし、バリーさんたちじゃないって信じてますから。だってもしそうなら、昼間のうちにしていたでしょう……?」
ヴァルの眉がぴくりと動く。
「ええ、そうですね。というより、わざわざ泊まったりしませんよ」
「ですよね……そうですよね。――わたし、ちゃんと村の人に説明しますから!」
踵を返す音がする。
発言を鑑みるに、オリガは村の中にあって異分子に違いなかった。彼女の言葉は、バリーには嬉しいものだった。おそらくヴァルにとっても。
しかし魔族を擁護する言葉に耳を傾ける村人がはたしてこの村にいるだろうか。
「……ビッキー、わたし、」
ユニに呼ばれてビッキーが頷く。それを了と受け取ったユニが部屋を出て行く。おそらくオリガを追いかけたのだろう。バリーは少しほっとした。どうせ自分が出ていってもできることはない。
(……?)
そこでふとバリーは気付いた。部屋の、いわゆる光量でなく、魔族が人間の魔法で感じる特有の眩しさが薄れていることに。
まさかと思いヴァルをみると、据わった目をした彼が椅子の上から床に降り立つところだった。
「ヴァル様?」
胸騒ぎに急かされるように名を呼んだ。
「バリー、俺わかった」
そうは言うが、ヴァルはバリーを見ていない。
「わかった……とは……あの?」
「なんかずっとこのへんがさ、ざわざわするんだよ」
ヴァルが己の胸に触れ。
「これが何なのかわからなかったんだけど――きっとあれなんだ、人間がいう、ムカつくってやつだよ。俺すっごく腹が立ってるんだなって、やっとわかったんだ」
淡々とヴァルが何か言うたび、眩さが薄れ、そしてついにビッキーが施した魔法自体が消えた。
「うそ……」
ビッキーから動揺の声があがる。が、それもヴァルの耳には届いていないようだった。
ヴァルの独白が続く。
「なあ、あいつらの目はいったい何を見ているんだ。どうしてビッキーとかユニとかオリガたちの声を無視するんだ? あいつらはいいやつじゃないか、ちゃんと見てる、俺たちを見ている。なのに、ほかのやつらはどうして騒ぐだけ騒いで見ることをしないんだ? おまえらが騒いでる間に壊した奴は逃げようとしてるっていうのにな!」
静かな激昂に部屋そのものが震えた。大風が吹いたわけでもないのに、部屋を構成する板という板がべこべことめくれあがらんばかりに波打つ。
よろけた拍子にビッキーの手を離れたカップをバリーは事も無げに回収する。
いつかの時ように、高揚感がバリーを満たしていた。
「ヴァル様、」
バリーの声も聞こえてはいないのだろうが、それでもバリーは口にせずにはいられなかった。
ヴァルは苦しそうに胸を押さえて、
「……なんだろうな、これ、どうしていいかわからない」
言うやいなや、ヴァルの押し隠していたものが爆散した。
村の中は騒然となった。
俄に大地が揺れだしたと思ったら見る間に空が厚い雲に覆われ、揺れはおさまるどころか強くなる一方で。そして今度は大地が裂け始めた。まるで村人を飲み込まんと開かれた顎のようだと、のちに誰かが言った。
旅館の玄関から出てきた魔族を見た村人たちは震え上がった。
村を襲う異常はきっとこの魔族の仕業だ、自分達は彼を怒らせてしまったのだ、これはその報復なのだ。
ああどうしよう。取るべき行動は命乞いなのか命がけの排除なのか。余裕の失せた頭と恐怖に冒された身体で大地に這いつくばり、熱病みたいに喘ぐ。
目の前を魔族が通り過ぎていくのに何もできない。死を覚悟して目を瞑ることすらできなかった。
けれど魔族の黒い双眸に村人たちは映っていないのか、彼は何もせず通り過ぎていった。
糸が切れたように村人はその場にくずおれた。
彼はどこへ行くつもりなのか。
背中を目で追いかける。追いかけずにはいられなかった。
見当違いでなければその行く先は、昨夜粉々になった聖堂の方角に思われた。
所構わず大爪を掛けたように剥がれた床板。何かの殴打にゆがんだ壁、天井。ひっくり返った椅子や机の脚は全てちがう方向を向いている。中身の飛び出したベッド。
嵐が吹き荒れたような室内にバリーとビッキーだけが残される。
「あれがヴァルなの……?」
尻餅をついて呆然とビッキーが呟く。
バリーは嵐の残滓を取り込むように息を吸った。胸が震えていた。
さあ、あるじを追いかけなくては。
高揚感に囚われたバリーの頭はヴァルのことでいっぱいだ。常なら心配する部屋の惨状やビッキーへの配慮もない。どんなに紳士ぶったところで、彼の一番はヴァルだけで、それ以外は二の次。己の欲に忠実という点でやはりバリーは「闇のもの」なのだ。
「……とめないと」
足下で聞こえた声にバリーは気を惹かれた。よろよろと立ち上がる少女の姿を興味深く眺める。
(……おもしろいこと言いますね)
人間が、魔法を使うと言っても一人だ、ヴァルに敵うだろうか。
(あ、違った、ユニさんがいましたね)
じっと眺めていたら強い力で腕を掴まれた。揺れる足場の支えにしようと考えたのかと思ったら違った。
「あなたも来て」
存外強い力で引かれ、バリーは驚いた。強いといっても振りほどくことは、バリーからすれば赤子の手を捻るくらい簡単だったが、やめておいた。
「もちろんです」
言わずもがな。それに、決意を秘めた少女の行く末も気になる。
はたして彼女に怒れるヴァルが止められるのだろうか。




