20
*
遠ざかっていく列車の音を聞きながら、取り残されたように立ちすくむ。
駅で降りたのはヴァルとバリーだけだった。
「……」
今日は出発してから三日目の昼前だ。列車で夜を二度迎えた。
名のある街だとばかり思っていたヴァルは、無人の小さな駅に拍子抜けした。もっと人の行き交う賑やかなところだと思っていた。だが現実は違った。それでも駅の建物自体は人の手が行き届いているようで綺麗なものだ。出口の壁に埋め込まれた「ようこそベレルカへ」と書かれたプレートは輝いて艶がある。
(そういやルイスが田舎とか言ってたっけ)
田舎の基準を知らないが、ルイスの言葉を鑑みるにここは田舎なのだろう。ヴァルは尺度の基準を一つ得た。
駅前は半円状の広場になっている。弧を作る生け垣は綺麗に刈り揃えられ、正面の途切れたところから荷馬車が一台なんとか通れる程度の道が続いている。悪路とまでは言わないが、石ころが目立つ。もう一本、駅を出て右手にも同様の道が延びているが、立て札の尖った先は正面の道がベレルカへ通じると教えている。
「……行くか」
「はい」
突っ立っていてもしょうがないのでヴァルたちは歩き出した。
少しして、橋が現れた。
深くは見えないが幅広の川の上、架かる木橋が三つあり、中程でそれらが一旦繋がるように横橋が掛かっている。
川向こうの集落がどうにもベレルカの街らしく、所々白い煙が立ち上っているのが見える。
「あれは……煙じゃなくて、湯気なのか?」
「……ですね。それに、妙な匂いもします」
「妙?」
「……いい喩えが浮かばないので何とも、」
難しそうな顔をしてバリーが言う。その姿ゆえ嗅覚は獣と同等に思われがちなだが、人間だったときよりちょっと敏感になったくらいである。バリーがなんとかヴァルに勝てる要素の一つだ。
ゆるく弧を描く木橋を渡るとヴァルにもバリーの言う匂いが分かった。が、喩えが思い浮かばない。人間だったらたまごの腐ったにおいを薄めたような、とか言ったかもしれないが、人のような食を取らないヴァルにはその喩えが出てこない。元人間のバリーにそれが思い浮かばないのは、人間だった頃より闇のものになってからの時間の方が長いせいだ。知っている気がするのに思い出せないと、実はバリーは内心もやもやしていた。
近づくごとに街は、対岸から見たときから何となく分かっていたが、形態は村だった。
切り拓いた自然の中に幾つか建物が郡立するものの決して数は多くない。どれも似たような見た目だが、ざっと見たなか目立つのが三軒。うち二軒は隣接していて、最近建てられたらしいのが外観から窺える。建物の背後からもうもうと湯煙がのぼっていた。
残る一軒は街で一番日が当たるだろう拓けた場所にあった。壁は真白、円錐の先をこそぎ取ったような形をし、窓だけでなく出入りする扉にも丸い硝子が嵌まっていた。
ヴァルたちは簡単に硝子の有無を見分けているが、橋の中程から見た真白の建物は親指の爪くらいの大きさだ。人間ならまず無理である。
あと少しで橋を渡りきるぞというところで、青年が一人、とぼとぼこちらに向かって歩いてくる。
「――っ」
ふと何気なく顔をあげた彼は、ヴァルたちを見た途端ぎょっとした顔で立ち止まり、慌てて元来た道を駆け去って行った。
「……」
「……」
あっという間に遠ざかる背中。
ベレルカの街は山の麓に位置する田舎の村だ。温泉が有名とはいうが、そういうふうに売り出したのはごく最近のことで、かつては知る人のみが知るといった程度の村だ。
……ということを、碌に下調べもしていないヴァルが知る由もない。さすがにバリーは知れる範囲で調べていたが、それをひけらかすつもりはなく、必要な時があれば引き出しを開けようかという程度にしか考えていなかった。必要な時、それはあるじの危機だから、今ではない。
「……見事に逃げてったな」
「……あの様子だと、闇のものに会うのは初めてだったのかも知れませんね」
人間の数と比べると、闇のものは遙かに少ない。その多くはパラデウムかその周辺諸国に留まる形をとっているから、地図の端の方に行けばその脅威を信じ、未だ見ぬものに敵意を膨らませている者が多くてもおかしくないのだ。
「……」
「ヴァル様」
「……なんだよ?」
「くれぐれも堂々としてくださいね。寄ってたかって石投げられたらどうしようとか変なこと考えないでくださいよ?」
子供に言い含めるかのようである。
「……するかよ」
悪態をつくヴァルだが、石云々は考えないまでも、ちょっとばかり不安に駆られてしまったのは本当だった。そんな本心を見抜かれることほど恥ずかしいことはない。
怖がられるのは仕方がないと思う。自分だって人間が怖い。
しかし向こうから攻撃されたならどうすべきか、自分がどうなってしまうのか、ヴァルは見当がつかない。報復したら負けなのは分かっている。ビッキーからも釘は刺されている。しかしいざその時がきて自分が冷静でいられるのか、それとも。
些細な言い争いや誰かの発言にむっとすることはあれど、ヴァルはそこまで憤激した経験がないのだ。
橋を渡りきったところに札が立てられていた。
庇のついた一枚板に大きく「ようこそベレルカへ」の文字と街の案内図が描かれている。それを見る限り白い建物は聖堂で、後の二軒は温泉と旅館らしい。旅館とはおそらく宿屋のことだろう。
「……この椅子はなんだ?」
立て札の脇に背のない椅子が一脚、置かれている。簡易に作られた木の椅子は座面に薄いクッションがくくりつけられていた。くたっとした見た目から察するに昨日今日置かれたものではない。
「ひょっとして……さっきの方のでしょうか」
「だとして、こんなとこに座ってなにすんだ?」
バリーは立て札をちらっと見やり、
「案内役、でしょうか。街に訪れる方をここで待つのでは?」
逃げていった冴えない姿を思い出しながらヴァルは来た道を、ぽつりとたたずむ駅を振り返った。
「……そりゃたいそうな仕事だ」
来るかも分からないものを待ってじっと座っているなんて、ヴァルには無理だ。雨の日は休みなんだろうか、ふと疑問が浮かび、きっとそうだろうと自己完結する。
「それより、どうします?」
「ん?」
「聖堂、もっと傍まで寄りますか?」
「んー……」
視界に収めたのを目標達成とするならそれはもう、かなっている。もっと子細に見たいかといえば、そうでもない。
これが聖堂か、ふーん、そんなでかくねえのな……これがヴァルが抱いた感想で、そのまま彼の興味の度合いを示している。
(……近づきすぎて文句言われたくないしな)
その大前提がヴァルの興味を削いだといっていい。
「聖堂はもういい。それより温泉だ」
「わかりました。……これにも書いてありますし、あそこに行けばいいんですかね」
バリーが案内図と建物を見比べる。図を見るかぎり街のつくりは簡単で、目的地も現在地から見えていることから道中迷うことはないはずだ。
予想した通り、温泉までの道のりは簡単なものだった。
しかし不思議なことに人間とは一人もすれ違わない。おそらく案内図の前でヴァルたちがこれからを話し合っている間に伝令が飛んだのだろう。外に出ていた者は慌てて家に逃げ帰り、嵐が去るの待つように肩を寄せ合い息を潜めているのか、街はしんと静まりかえっている。
それとも元々こういう街なのか、ヴァルたちには察しかねた。
「……どっちだ」
並んだ建物の前で立ち往生する。
図には並んだ建物のどちらが「温泉」かは書いていなかった。建物はどちらの大きさ、形や色も同じだ。二軒は隙間なくぴったりくっついて建っている。湯煙は向かって右の建物のほうから出ているように見えるが、後ろに回り込まないことには断言はできない。
「とりあえず入ってみましょうか」
そう言ってバリーが向かって左の建物の前に立ち、出入り口だろうドアを一息に引き開けた。
「……っひぃいらひゃいませえっ!」
カウンター越しに出迎えてくれた痩せた男は、悲鳴をのみ込もうとして勢いを殺しきれずに言葉を噛んだ動揺に目が泳いでいる。いや、現れたヴァルたちのどちらに視線を定めるべきかで困っているのが正しいだろう。本当はどちらとも目を合わせたくないが、仕事上それはできない。ならばどちらをみるべきか、どっちもいやだ、といったところか。
(あー……)
ヴァルはなんだかうんざりした。目前でこうもあからさまな反応をされると心は醒めるのだな、とまたひとつ勉強になった。
「あのう、こちらは旅館とやらですか、それとも温泉?」
男はバリーの丁寧口調にはっとしたものの、その顔を見て顔を引きつらせる。
「へ、へい。あ、ああいやえと……そ、その、二つで一つというか、こっちが本館隣は別館といいますか、」
「……だからくっついてるのか」
「そ、そうなんですよ」
ヴァルの大きな独り言に男が追従する。
「ええと、それであなた方はこちらに何用で……?」
自分達が何屋か分かっているならこんな質問は出てこない。
お前に任せると、ヴァルはバリーに視線を投げた。心得たもので、バリーが首肯する。
「私たち、温泉が有名と聞いてこちらにやってきたんですけれど」
「はあそうでしたか……」
「ここ……宿、なんですよね? こちらで一泊させてもらえるとありがたいというか、お願いしたいんですけど」
「えとそれは……」
たじろぐ男の瞳に映るのは狼の顔で。
「それは?」
「それは、」
見るからに恐慌状態の男はだん、とカウンターに両手を叩きつけた。
「しょっ、少々お待ちください!」
喘ぐように叫んで、奥へ引っ込んでしまった。
そちらを見やったまま、バリーがため息をつく。
「やはり人間との交渉事にこの顔は不利ですね……」
嘆く姿を横目に、ヴァルは肩を竦めた。
「見馴れたらどってことない顔だよ。ここは初めてだから仕方ない、お前のせいじゃないぞ」
「……そう言うならたまにはヴァル様が掛け合ってくださいよ」
「俺がやっても同じだよ」
恨めしそう目を向けられても困る。ヴァルだって人間たちが忌み嫌う「魔族」なのだ。
バリーは何か言いたそうな顔をして、けれどそれ以上何か言うことはなかった。それでもヴァルには察しがついていた。きっとこうだ。
(俺の方が人間に近いって言いたいんだろ……)
ヴァルが人間恐怖症と分かっているから、慮って口にするのをやめたに違いなかった。こういうとき、なんだかむず痒くてたまらない。バリーに甘やかされている自覚はヴァルにも少なからずあって、だけど手放しで喜んでまるっと享受できないところもあって。だけど突き放すこともできない。
しばらくして男が引っ込んだ方からどたどたと物音が聞こえ、ヴァルの思考は断ち切られた。
「お待たせしました!」
焦ったように飛び出してきたのはさっきの男でなく、また別の、今度は女だった。
うなじに掛かる茶色い後れ毛を何とはなしにヴァルは見つめた。
「すみません、この村に魔族の方が来るって分かってからみんな舞い上がっちゃってて……」
前を行く女がちらっとヴァルたちを振りかえる。
ヴァルたちを改めて出迎えてくれた彼女は名をオリガといい、この旅館の責任者兼村長代理だという。長い髪を後ろで器用に編み込んで一つにまとめあげているのがヴァルの興味を引いた。そういえばすっかり忘れていたが、ビッキーにあの髪はどうやっているのか教えを請おうと考えていたのだった。次会った時こそは、と改めて決意する。
「ほらここ田舎でしょう? よその人が来ることも少ないのに、魔族の方なんてもう、信じられないくらいというか、私もお触れが来たとき耳を疑いましたもの」
「はあ……」
相槌を打つのはバリーだ。
彼女の話を聞く限り、どうやらヴァルたちがここへ来るのは事前にパラデウム側から知らされていたらしい。
(……まあそうじゃなきゃ、行ってこいって送り出さないよな)
ゆらゆら揺れる後れ毛に手を伸ばしたい衝動に駆られつつ、我慢してヴァルはオリガの後をついていく。
「うちの父なんて驚く余り腰まで抜かしちゃって……」
「……ひょっとして、それで村長代理なんですか?」
恥ずかしそうに笑うオリガ。
「そうなんです。みんな似たような状態だから、代わりができるのわたしぐらいしかいなくて」
話を聞いたヴァルとバリーの視線が交錯する。
「あの……あなたは私たちが怖くないんですか?」
答えまでにはいくらか間が空いた。
「……怖くないといったら嘘になりますね」
正直な答えに彼らはほっとした。やっぱりそうだよな、という安心感。怖くないなんて、それも背を向けたまま言われたなら、この先彼女の言葉を真面目に聞きはしなかっただろう。
「……あの、」
オリガが足を止めて振り返った。何か決意したような表情に、ヴァルたちは黙って次の言葉を待つ。
「この村はずっと閉鎖的で、このままじゃ時代に取り残されるだけだって、何とかしなきゃって、私、村の人に説いてまわったんです。よその人が来てくれるようなところにしなきゃ駄目だって。……ほんとは街なんて名乗るのもおこがましいくらいなんですけど、まずは形からだと思って」
「それ成功してるぞ、俺たち見事に騙されたから」
「……そう、なんですか?」
半信半疑といったオリガに「ええ、まあ」とバリーが頷く。騙されたのはヴァル様だけですよ、と思ったが口にはしないバリーである。
「……ありがとうございます。でも、開放された街を目指してるのに、魔族が来たとか大騒ぎして震えてるよな村じゃ駄目なんです」
言い終えて下唇を噛むオリガ。
「傷になりますよ」
バリーの言葉に彼女がはっとして顔をあげる。
「心配には及びません。今日はちゃんと一泊しますし、ヴァル様はそんじょそこらの若人より繊細な方なので夜中に暴れ回ったりしませんから。もちろん私もです」
微笑みかけたバリーだが、オリガはきょとんとして彼を見つめている。
「……ええと、不快でしたか?」
おそるおそる尋ねると、ぶんぶん頭を振られた。
「いえその、魔族の方も笑うんだなあと……あ、すいません! 偉そうなこと言ってるけれどわたしも魔族の方に会うのはあなた方が初めてだから……っ」
平伏しそうな勢いの謝罪にバリーの方が焦る。
「ああ落ちついて、私たち滅多なことで怒ったりしませんから。あなただってそうでしょう?」
「は、はい……」
涙目ながら落ち着きを取り戻すオリガをヴァルは傍で興味深く見ていた。堂々と、なんて話していたときはとても大人びて見えたのに、今は幼子のように思える。それこそビッキーたちと同じ歳くらいに思うのだが、実際は分からない。バリーからあまり人間の女性に年齢は尋ねない方がいいと釘をさされているから、尋ねるのも憚られる。
「この部屋使ってください」
気を取り直したオリガに案内されるまま辿り着いたのは廊下の端、角部屋だった。
「お隣は今は空いてますけど、あとでお客さんが入る予定になってます。ところであの……お食事の方は?」
言いづらそうに、けれど切り出したオリガにバリーがやんわり頭を振った。
「ご心配なく。あ、だからといって夜な夜な暴れたりしませんからね」
「は、はい、すいません……っ」
「大丈夫ですよ、あなたが不安に思うのも分かりますから」
「はい……ありがとうございます。あ、そうだ。ここへ来たのは温泉がお目当てだったんですよね?」
ええ、とバリーが応える横、ヴァルは黙って頷いた。
「ここって村の人も入りに来るんですよ。鉢合わせて煩くなっても面倒ですし、頃合いを見計らってお声を掛けますから」
「お気遣いどうも」
照れたように笑うオリガの頬が微かに赤いのをヴァルは見逃さなかった。




