17
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パラデウムの学生に課せられた必須講義の一つに「魔法基礎Ⅰ」がある。
講義そのものは全三回で完結する短いものなのだが、それを卒業までに定期的に何度も繰り返し聴かなければならない。
「――魔法はいくつかに大別することができます」
講義を行うのは地味な容姿の汎用型人形だ。
昔はきちんとそれを受け持っていた教授がいたのだが「べつにこれでいいよね、真面目に聞いてる奴いないしさぁあ?」ということで、それからこうなった。女性型なのは退屈な時間にせめてもの色をという教授の計らいだ。
「ふああ……」
ビッキーの隣でグウェンが隠しもせず欠伸をするも、咎める者はここにいない。周囲を見渡すも、真面目に聴講している者は見つけるのは難しい。背筋を伸ばしているのは初めての者か、物好きだ。
つられて出かかった欠伸をビッキーはかみ殺した。まなじりに滲んだ涙をそうとは悟らせぬように指のはらで拭う。
仮にも優等生かつ学長の孫で通っているから、変なところは周囲に見せられない。それがどんなに退屈で眠たい授業であってもだ。ユニがいれば、うっかり眠気に頭が傾いでも何とかしてくれるだろうが、あいにく学生でない彼女はこの場に不在だ。
本当はユニも一緒に講義を受けることは可能だ。ただ周囲の反応を慮って部屋に待機してもらっている。
汎用と名がつき普及しつつある人形といっても未だ注目を浴びる存在。ましてユニはその上位型になる。ならば注目度も自然と増えるというものだ。
いらない注目は御免被りたい――これはビッキーの心情だ。ユニはビッキーの気持ちが分かるから「わたしも一緒に行く」と決して口にしない。
一方でアリーの相棒、ジェイはいつでもどんなときでもアリーの傍にいるから、陰で犬のようだと囁かれている。無論、駄犬でなく忠犬だ。
「――どのような魔法も、攻勢と守勢、大きく二分して考えます。たとえば一口に火の魔法といっても敵を攻撃したいのか、それとも敵の攻撃から身を守るためかで違ってきますね。……なんと、あのシャルル副学長は若い時分、使用する魔法から「氷結貴公子」と呼ばれていたようですよ」
にこりともせず、壇上の人形は豆知識を付け加えてくる。
何度も聴講している者にとっては聞き流しても問題ないネタであった。
ネタの真偽を確かめたものはまだどうやら誰もいないようで、つまりそれは誰もシャルル副学長の過去など知ろうという気がないことの証、ひいては副学長の人気が知れるという結果にも繋がっていた。
しかしシャルル副学長は決して学内人気がないわけじゃない。ただ本人のつんとした見た目と堅い言動が近寄りがたさを生み出してしまっているのである。
一部の女子からは「お髭の君」、その他大勢からは「歩く処刑人」と陰で渾名されるシャルル。
なぜ処刑人かというと、ビッキーがまだ生まれてもいない、ずっと昔の話だ。
彼が通りすがりの学生を呼び止めては説教をするところから来ているのだが、授業を持ってもいないシャルルに名指しで呼び止められたことから「ひょっとして頭の中に学生名簿が顔つきで入っているのか」ということになり、その後作者不明の大鎌を振りかぶったシャルルの絵が広まって、その名がついたという。
確かに一見取っつきにくそうなシャルルだが、ビッキーはほかの学生よりは多少、彼への苦手意識が少ない。それはビッキーが祖母である学長とともに暮らす分、長く彼を見ているからだ。言動はどうあれ、悪い人でないと知っているから、越えなければならない壁は低い。
それでも彼は副学長、祖母の右腕である。低いと言ってもそこにある壁は簡単に越えられる垣根とはわけが違う。
「――……幻術は、自分がどんな技を展開したいのか光子へ明確に伝える必要があります。未来図を短時間で鮮明に描けるようにならなくてはなりません。……そこで有効になるのがアーカイヴです。みなさんも入学時に契約しましたね。アーカイヴは先人が生み出した魔法を集めた叡智の泉、そして我々は契約によって手順を省略してこの魔法が使用できる。みなさん、アーカイヴの魔法を組み合わせ、新たな魔法を生み出してください。そしてそれはあなたの死後、泉へと還り、後世誰かの役に立つでしょう。もちろん、契約時に同意しなかった人の魔法がアーカイヴ行きになることはありませんよ」
無意識に、ビッキーは右手首の内を摩った。
そこには一見何もないが、契約の印がある。契約時、焼きごてを押し当てられたように痛んだことをビッキーは忘れない。
入学の際、必ず痛みに泣き叫ぶものが現れる。しかしみな、そこに何もないことに目を疑うのだ。
契約者がどんな魔法を使いたがっているのか、アーカイヴはそれを自動的に判断して、その実力に見合った最適の魔法を発動してくれる。
本来魔法には詠唱が必要だ。それは光子が音を、正確には音律を好むからだ。高度な魔法だとそれは自然と長くなる。
詞は要らない、光子は人語を解さないと研究結果が出されている。
どんなふうに謳えばいいのか、先人の苦労と知恵の結晶が詰まったものがアーカイヴだ。
アーカイヴはパラデウムが確立した、契約者のみが使える体系魔法で、同様のものが余所でも運用されている。
高度な魔法を使おうとするとき、自分で謳って発動させるのはなかなかに骨が折れる。もし音律を一つでも外そうものなら、場合によっては一から最初からやりなおさなくてはならない。その点、アーカイヴを使えばその詠唱の必要がなくなるから、精神的負担は軽い。
「――そうそう幻術に必須の心理学でお困りなら、レガート副学長に相談してみるのもよいでしょう。笑顔というものは大事なものを隠すのに都合が良いものです」
というものの、人形の顔は笑わない。せめてこの時くらい嘘でもいいから笑えばいいのにとビッキーは思う。せめて退屈な授業に色をというくらいなのだ、表情くらいつければよかったのだ。そうしたら……いや、そんなことくらいで寝る者が減るわけないか。
落ちてくるまぶたを引き揚げようとビッキーは目を瞬いた。
レガート副学長は温厚そのものだと評される、学内人気はシャルルと真逆の人だ。いつも柔和な笑みを浮かべている。
副学長は常に二名と決まっているが、レガートはシャルルより一年遅れてその地位についた。定年まであと五年あった先の副学長が急病で退くことになり、その穴を埋めるための人選だった。早すぎるのではないかと言う人もいて、当初はなかなか苦労したらしい。シャルルの時は前任者が周囲を納得させた上でその地位を譲り渡したので、大きな混乱はなかったそうだ。
ふと隣のグウェンを見れば、いつの間にか船を漕いでいた。
起こしたところできっとまた、どうせ眠気に勝てないのは分かっている。
「……終わったら起こしてあげる」
そう囁けば、相当眠いらしい、声にならぬ声で礼を言うと彼女は机に突っ伏した。
次の講義があるというグウェンとは昼食の約束をして別れた。
(うう、眠い、あくび止まらないし……)
朝一からついていない。
退屈な時間の反動ともいえる欠伸をかみ殺しながらビッキーは廊下を歩いた。次の講義が始まるまで時間があるから、一旦寮に戻ろうと考えていた。
目的があってまっすぐ歩くビッキーを周囲は道を空けるように脇に寄った。避けた、が正しいか。
学生たちの多くはビッキーの肩書きを前に壁を作っている。
それはビッキーも同じだ。外面という仮面、しかし悲しいかな、長年かぶった仮面は最早素肌に近く、手放せないときている。
しばらくすると行く手にレガート副学長の姿を見つけた。こちらに向かって歩いてくる。裏地が橙色の黒いローブを翻して颯爽と廊下を歩く姿は役者かなにかのようで、とても様になっている。若い時分はモテたとかいう噂も納得できるというものだ。
こちらに用はないし、向こうもきっと用はないだろうから軽く挨拶する程度でおわるだろう。
そうビッキーは思ったのだが、予想は外れた。
彼女の姿を認めたレガートは歩を速め、寄ってきた。
「ああビッキーさん、ちょうどいいところで会った。ちょっといいかな?」
「は、はい……?」
ビッキーを呼び止めたレガートは、そのまま壁際に寄るよう手を振って指示した。何ごとかと首を傾げるビッキーを壁の方に追いやって、自分はその前に立ちはだかった。
平均的な身長であるビッキーだが、レガートと並べば必然見下ろされてしまう。壁に挟まれたような居心地の悪さに身じろぐと「いや、すまないね」と謝罪の言葉が降ってくる。
「ちょっときみに尋ねたいことがあってね」
そう言ったレガートだが、訊きたいことがあるのなら何もこんな形をとらずともその場で訊けばいいのではないかと疑問が首を擡げる。それともそうできない事情があるのか。
(……何が訊きたいのかしら)
身構えるビッキーだが、これがもし違う学生だったなら「え、やだなにこれ……」と頬を赤らめあらぬ期待を抱いたかもしれない。
二人の間はそんな距離感だった。
「いやなに、先日きみが保護した魔族なんだけどね」
パラデウムが受け入れた魔族は体裁上「保護」した形になっている。
ヴァルたちのことかと察してビッキーが頷くと、
「その、なんだ。君の目から見た彼らのことを君の口から直接聞きたいと思ってね」
ビッキーは目を瞬いた。先日同じようなことを聞いたばかりである。語ることは構わないが、やはりこんな形でする話ではないように思ってしまう。けれどそれをビッキーは口にできなかった。
レガートが副長だからというのもあるがそれ以上に、尋ねる彼が笑っていなかったからだ。
柔和な笑みを浮かべている姿が印象深いレガートだが、いつもへらへら笑っているばかりでないことくらい、ビッキーも知っている。
それでも常でない状態に遭遇すると、人は緊張する。
「あの、報告書に不備でも……?」
「ああ、いや、そうじゃないんだ。僕の個人的な興味だよ。あれだけ僕らに似た個体を見るのは初めてだからね、君の感想を聞いてみたかったんだよ」
ビッキーの中で先日の「教授」との会話が頭を過ぎった。
『やつは魔族にしちゃ出来過ぎだと思わなかったか?』
ヴァルという魔族の存在には何か意味があるのではないか、教授はそう考えているようだった。
ビッキーはまだそれを踏まえた上での自分の意見を確立できていない。
「……そうですね、たしかに魔族なのに魔族っぽくないというか」
「それは?」
列車で危機から救ってくれたこと、従者がいること、文字の読み書きができること。私見も交えつつビッキーは順にあげていく。
列車を眺めて無邪気にはしゃいでいたのも忘れられない。
「魔族なのに中身が人間の子供みたいに感じる瞬間があって…………変ですよね?」
思わず自嘲するビッキーを、しかしレガートは笑わなかった。
「……そうか。……ふむ、貴重な意見ありがとう。呼び止めてすまなかったね」
「いいえ」
ビッキーが頭を振ってみせると、レガートの顔にはいつも見る笑みが戻っていてほっとする。普段見かけない顔はビッキーの思う以上に緊張感をもたらしたらしい。
その後はささいな世間話をして、レガートとは別れた。急いでいたわけではないが、とんだ足止めを喰らってしまった。
(もうなにもありませんように)
願いが通じたのか部屋の前までは何ごともなく順調だった。
「――ああ、エトワイルくん、ちょうどよかった」
気を抜いた背中に声が掛かる。
この声は副学長のシャルルだ。振りかえらずとも誰だか分かったが、無視して部屋に逃げ込むような非礼はできない。
今度はいったい何だろう、そっと息を吐いて優等生の顔をつくるとビッキーは振りかえった。




