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混沌の娘  作者: 霞初月
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 **



 ルクス会の聖堂を新たに建てるにはどうしたらよいか。


 立地条件としては、日当たりの良い場所であること。

 建物の内装は白か、それに限りなく近い色で統一すること。

 採光窓を必ず一つは設けること。


 これを満たしていれば建物の大小は問われない。

 この三つを揃えているものはもれなく聖堂であると、時のルクス会の長が宣言したからである。それ以前、それはみな礼拝堂と呼ばれていた。

 観光巡礼もとい聖堂巡りの対象となる聖堂の多くは大封鎖以前に建てられたものである。

 肝心の巡礼順だが、最後が総本山たる「大聖堂」であればどこを起点にしてもよいことになっている。総本山の場所は、パラデウムで手に入る地図を探すと右下の方にある。大陸縦横断鉄道グランライン本線からも離れた場所だ。

 その点、トリア教本拠地は比較的パラデウムに近く、本線からもそう遠くない。こういうところも対照的である。

「ふあ……」

 ヴァルは欠伸をかみ殺そうとして失敗する。

 断続的な揺れと退屈が眠気を運んでくるのだ、仕方がない。開き直って再度、欠伸をする。

 ヴァルたちは今、列車に乗っている。

 大陸縦横断鉄道支線の一つ、西北アルンカジア線だ。

 通過するアルンカジア針葉樹林帯から名がついた。落葉樹林が作り出す寒々しい光景の中を通るので別称が「絶望が淵」。一人きりでぼんやり車窓を眺めている者がいたら何でもいいから話しかけてやれ、お前が後悔しないために――と語られるほど何にもなく退屈で窮屈な路線である。

 おまけにヴァルたちが乗っているのは魔族専用車輌だ。

 天井からつり下げられた灯りを閉じ込めたガラス玉は全車輌共通品だが、加えてさらなる車内彩度の向上を図るため、魔法の光源が部屋を白く染め上げている。

 魔法の明かりは闇のものに二重の苦しみを与える。

 人間ならばただ眩しいで済むところだが、それに加え、闇のものは人間の使う魔法そのものに忌避感に近い眩しさを感じるからだ。たとえば人間が魔法で部屋中を真っ暗にした瞬間、闇のものは眩しいと目を細めるわけだが実際のところ、光を見たわけでない。理屈では説明できない衝動なのだ。

 とにかく人間の魔法は眩しいのである。

 魔法が続く間、眩しさも継続される。

「……ひと眠りしては?」

 欠伸を立て続きに三回もしたヴァルに、バリーが進言する。その声に羨ましげな響きを感じて、ヴァルは眉を顰めた。この眩しい中で眠くなるなんてさすがヴァル様、自分にはできない、とかなんとか思っているのだろう。

 推測なのだが、むっとする。

「眠くもないのに眠れるか。……暇なんだよ」

 言った傍から欠伸が出そうになって、今度はちゃんとかみ殺す。

 人間の乗り物を使わなくてもヴァルだって魔法を使い、移動ができる。が、それが効率的にできるのはヴァルが知っている場所に限られる。北の大地なら完璧で、パラデウムの中もまあ……できないことはない。

 ともかくヴァルは知らぬ場所の方が圧倒的に多い。そのため目下の効率的な移動手段が人間と同じものになる。もちろん効率を無視するならヴァルも魔法を使う。だが今はあえてその可能性を封じている状況だった。

 理由は簡単、人間が怖いからだ。

 それでも教授と話すようになったからか、恐怖心は和らぎつつある。

 ヘンゼルたちが教授を変人と語る理由の片鱗をヴァルは理解しつつあった。

 彼は魔族研究家であったが、ヴァルたちが考えたそれとは違っていた。

 教授は幼少期から魔族という存在に興味があり、関連する書物を読みあさったのだという。おかげでパラデウムに目をつけられたりしたが、なんやかやを経て、今の立場にあるという。大封鎖の解除に立ち会えたのを僥倖だったと語る彼は、実際に生きた魔族から生きた情報を得られることがたまらないようで、ヴァルがひとつ質問に答えるとその答えにまた質問を飛ばしてくる。まっさらで真っ白な紙にそれらが書き殴られていく様はそのまま教授の興奮度合いを指していた。

 教授が魔族――闇のものに抱える拘りを越えた執着心はヴァルにはないもので、興味深かった。寝掘り歯堀り訊かれるのは面倒だと思うこともある。それでも答えてしまうのは、こいつは自分達に不利益はもたらさないという直感と、ヴァルに元々ある好奇心だ。

「わたしもこの移動がこんなにも退屈になるとは思いませんでした……」

 変わりばえのない景色からバリーが対面のあるじへと目線を動かす。

 この車輌にはヴァルとバリーしかいない。

 ボックス席が通路を挟んで二つずつ、それが車輌の両端に設けられている。席は選び放題だというのにヴァルたちは最後部の左端の席に納まっていた。バリーの方が進行方向に背を向ける形で向かい合っている。

 はじめて見る景色も変わりばえしなければ飽きてくる。

 バリーの隣席は白黒市松模様の正方形の板が占拠していた。盤上には小さな人形が転がっている。旅の供にとBBに渡された遊戯盤なのだが、勝敗がつくよりも前、開始五分ほどでヴァルが飽きてしまったため、そこに放置されている。バリーとしてはいい暇つぶしになると思ったのだが、あるじが頭脳労働する気分でないというのだからしょうがない。

 かれこれ一時間ほど、列車で揺られている。

 アルンカジア針葉樹林帯を抜けた先、ベレルカという街がヴァルたちの目的地だ。パラデウムからは列車で三日はかかる。

 本来パラデウムから一番近い聖堂はフィエンナ市の郊外にあるのだが、巡礼初心者用冊子を開いたヴァルが「ここに行きたい」と地図を指差したことが今回の退屈の発端になっていた。しかし自分が原因だからヴァルは文句も言えず、渋面をつくって黙りこくっていた。

 バリーにははっきり言わなかったが、ヴァルが行き先を決めたのには一応理由がある。

 行かなければいけないというほど強くはないが、背中を促すような感覚があったのだ。その感覚に身を任せたなら、あれよあれよという間に、ビッキーが言ったように難しい手続きをすることなく出国申請もすんなり通ってしまえばもう行くよりほかない。

 引くに引けなくなって始まった旅。

 とはいえ、ヴァルに観光巡礼をまっとうするつもりはない。パラデウムの外の空気を知るついでに聖堂とやらを拝んでやるか、ぐらいの気持ちである。ただ選んだ場所がパラデウム近郊じゃないというだけのこと。

『あちらには温泉というものがあるんだそうな』

 出がけにBBがくれたのはその一言だ。自分も行きたい、連れて行けとか、そういうことは一切口にしなかった。彼はヴァルのことを友と呼ぶが、闇のものは基本、群れないものだからおかしなことではない。むしろあるじと言って付き従うバリーの方がおかしいのである。

 ちなみに温泉が何かは彼の口から説明されなかったので、バリーに訊いた。バリーも伝聞でしか知らないが、地下から湯が湧き出、それを利用した施設があるらしい。

 立ち寄ってみるのもいいだろう。なによりBBへの自慢になるかもしれない。

 ヴァルは彼方先の光景に思いを馳せ、にいと口端を吊り上げた。

(……おや)

 バリーはそれを見て、期待する。ヴァルがなにか始める気らしい。

「おい、手を出せ」

「はい?」

 手の甲を上向け、そのまま右手を差し出したなら逆だと言われ、わけも分からずひっくり返す。

 ヴァルはバリーの掌に拳一個分の空間をあけ、右手をかざした。

「むぐ、」

 途端、降りかかった負荷にバリーは閉口するよりほかなかった。眉間に力が入る。しかめ面でヴァルを見れば、その黒髪が頭頂から色褪せていくではないか。

 瞳は焦げ茶色、爪は透明色に。猫のような尾は、煙が吸引されるように縮んでいく。

 対してバリーの銀灰色の毛並みはインクを吸うようにまたたく間に黒く染まっていく。

「……っが、ヴァルさ、ま?」

 呻くように問えば、満面の笑みが返ってくる。

 ヴァルがさっと手を離した途端、加わる負荷は途絶えた。バリーが芯から深々と息を吐く一方、ヴァルは具合を確かめるように前髪を指に巻き付けていた。

 闇より深かったそれは冬枯れした倒木の色へと変じている。

「どうだ?」

 そう問うてくるヴァルは、背伸びをしてめかし込んだ子が親に尋ねるようだった。期待と不安の混じる目をみれば、バリーに軽い返事はできない。

 改めてその容姿を確認してから、

「ええ、誰もあなたが闇のものなんて思わないでしょう」

 元々が人間に近い形をしているヴァルだから、特徴的な部分さえ隠してしまえば、すぐ人間たちの中に紛れてしまえる。

「……ほんとか」

「こんな事で嘘はつきませんよ」

 半信半疑の彼に、念を押す。

「そうか……そう、」

 ヴァルの口元が不自然に歪む。おそらく嬉々として弾む心を押さえた結果そうなったのだ、バリーは一目でわかった。それくらいの長い付き合いだ。

「ところで急にどうしたんです」

 渡された負荷は未だバリーの身のうちで収まりどころを見つらけれず這い回っている。

 一時的に預かったヴァルの力は、分け与えられたわけでないから親和性が低く、バリーには負荷でしかない。それでもバリーの身体が許容できる分量ぎりぎりを考えられての所行だった。

「んー、退屈だからちょっと向こう行ってみようかなって」

 ヴァルが見るのは車輌の先、つまり人間たちのいる方である。

「向こうには人間しかいませんけど」

 あえてバリーはそう口にする。ヴァルは人間を怖がりながら好奇心も同時に併せ持つ、面倒臭いあるじなのだ。

 案の定ヴァルは気まずそうにバリーから目を逸らした。

「だ、だからこそだ。苦手を克服するいい機会じゃないか」

「……だとしても、ここから出ていっても不審がられるだけですよ」

 ここは六両編成の最終車輌であり、魔族専用車輌。そこから出てくる人間は限られる。目に見える縛りはないが、何らかの監視の目は光っている間違いなかった。

「そこはまあ、あれだ、どうとでもなる」

 その発言にバリーははっとした。

「……そうでした、ヴァル様ですものね」

 精神面はともかく、実力においては自分ごときが心配するにおよばない、頼りない方ではない。下世話だったとバリーは反省した。

「……誉められてるのか?」

「もちろんです!」

 ヴァルは複雑そうな顔つきで、

「ああそう……。じゃ、行ってくる」

 言うなり立ち上がって、ヴァルは通路を連結部の方へと歩いて行く。

 バリーは決して席から身を乗り出して背を見送るような無粋なことはしない。というより今は、預かった力を制御することの方で手一杯だった。

 ヴァルの姿は通路の中ごろを過ぎたところで見えない壁に吸い込まれるように消えた。



 足裏が床を踏む感覚にヴァルは少しほっとした。

 弾かれると思った魔法は上手くいって、ヴァルは最後尾から三両目へと空間移動してきた。

 魔族専用車輌との違いはどんなものかと期待していたヴァルにとって拍子抜けするくらい見た目の点で変わりはない。はっきりした違いは、天井からつり下がるガラス球の数が少なく、魔族対策として魔法で高められた車内彩度もほんのりしたものであること、そして全座席がボックス席なことだろうか。

 急に湧いて出たヴァルを不審がって視線を向ける者は誰もいない。それも当然だ、魔法でそうなるように仕向けたのだ。

 しかしこうもいとも簡単に成功してしまえば、喜びよりも先に拍子抜けしてしまうというか、複雑な心境だ。

 バリーの戯れ言を信じるつもりはないが、ひょっとして俺ってそこそこやれるのかと勘違いしてしまいそうになるではないか。

(……おいおい、いいのか人間)

 俺そんな難しい魔法使ってないんだけど……。誰にいうでもなく、主張する。しかし心の声だから当然返ってくる言葉はない。

(……あー、俺が考えることじゃない。知るか)

 小さく息を吐いて、歩き出す。うじうじすることは多いが、切り替えるときには切り替えられる男である。

 良さそうな空席を見つけたら滑り込んでやろうと、人間とは目を合わさないように注意して視線を彷徨わす。

 探さずとも空席はかなりあった。何もない退屈な路線というのは伊達でない。乗客は寝ているか、起きている者は読書家か手芸に勤しんでおり、ヴァルはようやく得心した。魔法を使わずとも、ヴァルの登場に気付いた者はいなかったのかもしれないと。

 しかしそんなことを考えている時に限って事は起こってしまうもので、たまたま向けた視線が、たまたま顔をあげた客の目とぶつかった。

(お?)

 覇気のない青灰色の瞳がヴァルを映す。

 ボックス席を一人で占有する小さな客は、窓際、進行方向に背を向けて借りてきた猫のように座っている。

 目が合った瞬間、その小さな客はひどく驚いたようだが、数度瞬きするなかでその感情は消しさった。

(へえ……)

 見事な切り替えにヴァルは感心した。

 少女のようで少年のような容姿を視界におさめ、ヴァルはおのれの閃きに従うことにした。

「ここ座っていいか?」

「……どうぞ」

 感情のこもらない返事なのに、とても嫌そうに言うなとヴァルは感じた。でもだからといって、やっぱりいいですやめます、と告げる気にはならなかった。きっと、違う誰かだったらすごすごと退散していただろう。

(おじゃまします、っと)

 斜め向かいの席にヴァルは座った。

 青灰色の瞳は窓の外へと向けられている。何が見えるのかと見てみれば、ヴァルがとっくに見飽きた景色が流れるだけである。

 つまらない。

「……なあ、」

 呼びかけると、視線がちらとヴァルを向く。

 訊きたいことがあった。

「おまえ、どっちなの?」

 唐突な問いに小さな客は微かに眉を顰めるものの、

「や……どっちでもない、のか?」

 ヴァルの続けた言葉に顔色を変えた。本来それは、見知らぬ他人が気付くものではないからだ。

「……――おまえ、なに?」

「お、俺? ヴァルだけど」

「なまえじゃない」

 射殺さんばかりの鋭い視線に胸中悲鳴をあげながら、咄嗟にヴァルは鼻の頭を掻いた。確か人間が困ったときにやる仕草じゃなかったかな、と閃いたからだ。

「ああ? 名前以外のなんだっていうんだよ。俺は名乗ったんだし、おまえも名乗れよ」

 無茶苦茶である。自分でも分かっている。

(しまった、どうしよう)

 俺は決して口論がしたいわけじゃないんだ。ただちょっと訊きたかっただけで、思った事をぶつけただけなんだ。あ、それがだめなのか……やばい、バリーがいたら絶対どやされてる……。

 後悔を並べ立てるヴァルだが表面上は平静そのもの、すまし顔である。誰が彼の胸中が荒れ狂っているなどと思うだろう。

 小さな客はしばらく無言を貫いていたが、

「……ミニィ。……あとどっちでもないってのは正解」

 どうやら一考の余地があったらしい。意外な反応に、ヴァルは目を剥いた。

「おまえ……可愛いやつだな」

 ヴァルとしてはいい奴だなという褒め言葉なのだが、ミニィの顔からは一切の感情が消え、その口からぽつりと吐き出されたのは非常な通告だ。

「……話しかけるな変態」

 目の前で、心の扉が閉まる音がした。



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