15
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「ありがと、エトワイルさん!」
言うやいなや、カートを押して駆け去って行く学生を、ビッキーは何とも言えない面持ちで見送った。
ビッキーたちがいるのは学生街の中心だ。
「……引き受けちゃったわね」
「……」
ユニの言葉に、ビッキーは何も言い返せない。
同じ講義を取っている学生から頼み事をされたのだが、平たく言えば雑用を押しつけられた、に尽きる。
話しかけられたときから予感めいたものはあった。
なにせ、そう親しい間柄ではない。挨拶や事務的な会話をする程度のつきあいだ。自然と相手が言うことはいくつか絞られる。
「……仕方ないわ、ビッキーは断れないもの」
優しい声に、うん、とビッキーは小さく頷く。
あ、押しつけようとしてるな……相手の意図は見え見えなのに、引き受けてしまう。相手からすればこんな都合のいい存在、他にはいないだろう。
断れない、断り切れない、その心の奥底には優等生でいなければならないという強迫観念が根付いている。怜悧な祖母の眼差しはいつでもビッキーの全てを計っているように思えるし、母親の顔を思い出すと今でも心が竦む。
優等生というハリボテをまとってビッキーはようやく息をしているのだ。
「だけど、いいのかしら。自分のお仕事なんだから責任問題だと思うのだけれど……」
ユニは腕に抱えている、ビッキーの代わりに学生から受け取った荷物を見る。中身は何だか知らないが、持った感じではぎっしり詰まっているように思う。軽く揺さぶっても中で音はしない。
一抱えある大きさのボール紙の箱が美少女の腕中にある光景は人目を惹いた。どうにも似つかわしくない。しかし当人は見た目と違い非力な存在でないから、そうすることに躊躇がない。
『ああ、エトワイルさんいいところに! ねえおねがい、私を助けると思って、この荷物届けてくれないかしらっ』
山積みの荷物を乗せたカートを握る学生は、往来でビッキーを見つけるなり猛烈な勢いで駆け寄ってきた。ビッキーが頷くやいなや、隣のユニに荷物を、ビッキーには伝票を押しつけて彼女は去って行った。
引き受けたからにはしょうがない。
ビッキーは伝票に視線を移し、そこにある住所を見て眉を顰めた。
「……ああ、なるほどね」
横から覗き込んだユニが納得する。
事情を知るものならあまり関わり合いになりたくない住所である。
そこに住んでいる者は変わり者らしいと学生間では有名だった。なんでも日がな邸に篭もって狂ったように魔族研究をしているそうだ。邸の綺麗な外観と違い、中はおどろおどろしい実験空間だというのがもっぱら学生間で流れている噂だ。過去、度胸試しと夜中に邸へ忍び込もうとする者が続いたため学校側から公式に禁止令が出されたとかなんとか……。
夜中に人の家に忍び込もうとする不届きものにはこれっぽっちも共感できないが、変わり者、というところはビッキーたちも同意する。
その人は世に名の知れた魔族研究家で、人間社会に適合しようとする魔族へ、部屋を貸し出すこともしていた。それが余計、他者を寄せ付けない一因となっている。
水月邸――教授の白亜の豪邸にはそんな別名がある。
最初に言い出したのが誰かは分からない。それは邸の外にいる者がつけた。夜中に見るとぼやけた外観の白が水面に映る月のようだからだ、というのが最も耳にすることの多い理由だ。あとから自宅の別名を知ったあるじもこの理由を気に入っていた。
一方で、水面に映る月が幽鬼を連想させるから邸の怪しい雰囲気を皮肉ってつけたのではないかという説もあるが「好きに言わせておけばいい」と、つまるところ教授は名の理由なんかはどうでもよいらしい。
ビッキーたちが邸の門前に立ったとき、芝生の綺麗な前庭では、暇を持て余した魔族たちがどこぞの貴族よろしく小さな茶会を開いていた。
白く大きな日傘の柄が白い円卓の中心を通り、支柱の役目を果たしている。卓上にはままごとのように茶器が並んでいるのが遠目にも分かった。
興じているのはBBとヴァル、そしてバリーだ。といってもバリーは席についてはおらず、あるじの傍で控える従者のようにヴァルの背後に廻っている。
「あれ……なに?」
分かっていることを口にしてしまったのは、それを容易にビッキーの頭が認められなかったせいだ。だから口をついて出た言葉には何の装飾もない。
そんなビッキーをユニはいくらか憐れんだ顔で見て、
「ビッキー、あなたが思っているとおりのことよ」
「そう……」
認めたくないが、見えているものをなかったことにはできないからしょうがない。
人間社会にいる魔族が生きていくには人間の真似事は必要不可欠なわけだが、なまじそこの彼らの体型が人間に近いせいか、茶会に興じる光景が妙に様になって見えるのだ。
錯覚であればいいのにとビッキーが目を瞬いたところへ、門の向こう、湧いて出た住人と対面する。ここへ来るのはビッキーたちも初めてではない。現れるのが教授の人形であることは承知している。だからいちいち驚くこともない。
「ご用件は?」
「これを届けに」
ヘンゼルがユニの抱える箱へと目を向ける。警戒を解くように、門がひとりでに開いた。
「……配送業者に鞍替えなさったんですか」
「成り行きで預かったんです。――サイン、お願いします」
ヘンゼルは伝票の空欄に指を這わせ、ユニから荷物を受け取る。
空欄を、走り書きされた教授の名が埋めていた。魔法だ。過去の再現にあたる。重要性がないものなどに限り、暗黙のうちであるが、使用が許されている。
「あの、良ければ中身を教えていただける……?」
軽い気持ちでユニが問えば、ヘンゼルはそうですね……と少し考える素振りをしたが、
「いえ、そうですね。勿体振ってすいません。そんなたいそうな物じゃありません、これは紙です」
「紙?」
なるほど、一枚は薄く軽いが重ねて束になれば凶器になりうるものだ。この重さも納得できる。
「あるじはたとえ走り書きひとつであっても紙の質にこだわるような変人なので、定期的に取り寄せて満足するのですよ」
なるほどと相づちをうちながら、ビッキーはヘンゼルの発言にあきれてもいた。
(自分のあるじなのに変人って……)
知らぬ者が聞けば目くじらを立てるだろう。
しかしだ。裏を返せば彼がその発言を許されていることにほかならないと、そう気付いてしまえばなんということない。それでも教授の方針に首を傾げなくなるわけではないが、教授と人形の関係は当事者同士の問題だ。ビッキーだってユニとの間のことを外からとやかく言われたくはない。
「折角です、お茶を淹れましょう。どうぞ?」
二人の返事もきかず、ヘンゼルは荷物を持って邸の方へ歩いて行ってしまう。
ビッキーたちは顔を見合わせた。荷物さえ渡したらあとは帰る予定だった。この後何か予定があるわけでないが、何もないのに教授に招かれるような親しい間柄でもない。
招かれたのはただの親切だろうか。
教授とは関係ない、ヘンゼルの個人的な招待だろうか。
これまで学長のおつかいで来たことはあったが、向こうから招かれたことは一度もないのだ。
「ビッキー」
促すユニの声に、ビッキーは頷いた。荷運びの駄賃代わりと思って、今日は珍しくここで茶をいただいていくのもいいかもしれない。
「行きましょう」
一人で向かうわけじゃない、そう思えばどこへだって行けそうな心強さが生まれる。
ヘンゼルの後を追っていくと、どうしたって茶会の光景が視界の端をしめるようになってきた。
二人に気付いたヴァルが、気だるそうに頬杖をついた体勢でひらひらと手を振る。
(……振り返さないわよ)
気安く魔族と仲良しごっこをする気はをビッキーにはない。その代わりとでもいうように、ユニが小さく会釈する。
(そんなことしなくていいのに……)
こっそり嘆息して、ビッキーは茶会の真横で足を止めた。
「お久しぶりです。その後おかわりありませんか?」
黙って通り過ぎるほど礼儀知らずではないし、彼らを世話を受け持った手前、近況を聞いておくに越したことはない。
「んー……いや? ないな。なにかあるか?」
ヴァルが背後を見やると、バリーが頭を振る。
「お嬢さん方が最初であれこれ教えてくれたから、助かっておるよ。……そういえばまだ礼を言っていなかったな。これを連れてきてくれてありがとう」
BBから「これ」と称されたヴァルが不快そうに顔を歪める。
ビッキーは曖昧に微笑んだ。仕事でやったことに、礼を言われても困ってしまう。
「混ざっていくかね?」
BBがにやっと笑い、枯れ枝のような指でテーブルを叩く。
代わりに返事をしたのはヘンゼルだ。
「すみません、先約です」
「ふむ、それは致し方ないな……では帰りに寄っていくがいい。お嬢さん方の好きそうなものを用意して待っていよう」
最初から土気色の顔からは、それが本気か冗談なのか判別が難しい。反応に困ったビッキーたちの背を押したのはヴァルだった。
「こいつの戯言は気にすんな、用事があるんだろ、行け」
「あ、うん……」
見ればとうにヘンゼルは玄関近くまで行ってしまっている。慌てて後を追いかけつつ、ちらと茶会の様子を見れば、そこだけ世界が違っているような錯覚を見る。さっき言葉を交わしたばかりというのに、日傘の下のものたちはもうこちらに興味がないようだった。誰の視線もこっちを追ってはいない。
ほっとするのに、物寂しさも感じてビッキーは顔をしかめた。ああ、自分が分からない。
そんな彼女をユニが気遣わしげに見ていた。言葉にしなくてもビッキーの考えが分かってしまうから、自然とそうなってしまうのだ。
邸の中に入ったビッキーたちを今度はグレーテルが出迎えた。
「さあ、こちらへ」
案内をかってでるグレーテルに戸惑い、ヘンゼルの方を見れば「はい、彼女に従ってください」と自分だけどこかに行ってしまう。
きらきらと幼子のように輝くこちらを見あげる双眸には勝てず、二人はグレーテルについていった。
何度かここに訪れているがいつも通されるのは、突風に巻き上げられた後のような教授の執務室で、しかし今回は違った。
部屋では教授が一人きり食事をしていた。察するにここは食堂だ。無精髭と目の下の隈はなく、瞳には生気が宿り、別人のようにすっきりした顔をしていた。シャツの襟はぴんとしており、なにより全身に清潔感がある。
一瞬ビッキーは彼が誰だか分からなかった。
(親切……なわけ、ないわよね)
招かれた部屋に邸のあるじがいる。どう考えたって、荷物を届けた礼……とは思えない。それならヘンゼルにさせて、それで充分だ。ビッキーが学長の孫だからとおつかいの駄賃を握らせるような、教授はそんな人物でない。
「どうぞ、おかけになってください」
グレーテルがさっと椅子を引く。
教授が一人で食事するには広い丸テーブルには椅子が四脚あって、うち一つ、部屋の入り口から遠い奥のものに教授が掛けている。
「……お招きありがとうございます」
招かれた身ではあるから一応形ばかりの礼をすれば、鼻であしらわれた。
「なに、ちょうどいいから呼んだだけだ」
横からグレーテルが手際よく二人分の茶器を並べていく。舌足らずな喋り方や外見から知らぬ者は彼女がまともに仕事ができるのかと穿った目で見てしまうのだが、実際その仕事ぶりを見ると考えを改めざるを得なくなる。
教授が口元をナプキンで丁寧に拭ってから、
「お前たちがヴァルたちを連れてきたんだってな?」
「ええ、そうですが……?」
「お前らの目から見た、あれはどうだ?」
「どう……とは?」
意味が分からず、ビッキーとユニは互いに視線を交わす。
はあ、と教授が息を吐く。まるで教え子の頭の悪さに呆れたような、そんな感じであった。
「あいつら……いや、ヴァルの方だな。やつは魔族にしちゃ出来過ぎだと思わなかったか?」
すぐにはビッキーは答えられなかった。ヴァルを変だと思った事はあったが、出来過ぎだと感じたことはなかったからだ。
「一口に魔族と言ってもやつらにも色々ある。にもかかわらず、やつの形は人に近い。人受けする容姿。これぞ魔族という威圧感が少なく、加えて俺らの字も読める。人間社会に溶け込むためのハードルはほかの奴より低くて済むと思わないか」
「たしかに、そうですね」
「それに、知っているか? やつは大封鎖後の生まれらしいぞ。それも、後にも先にもあいつだけらしい」
ビッキーは目を瞬くも、首を傾げた。
「それは初めて聞きました。……でもそれが?」
教授は手遊びに握ったままいたナプキンをテーブルに放り出し、
「なに、北の大地に追いやられた魔族は消滅を辿る一途だったというのに、そこへ生まれた唯一の個体だ。何かしら意味があるんじゃないかと俺はついつい考えてしまうわけだよ。だから知りたいのさ、端であいつらを見ていたお前たちはこれをどう思う?」
教授との会話はビッキーの持つ魔族に関する解釈を揺さぶるだけ揺さぶって、答えを示してはくれなかった。
確かにヴァルは、ビッキーが思い描く魔族像とは違っていた。しかしそれはただの個体差だと思っていた。
異なることに意味があるかもしれないなど、考えもしなかった。教授に言われてみて、初めて可能性に気付かされた。
そう考えると、学長がわざわざ自分たちを北の大地へ向かわせたのにも何かしら意図があったのだろうかと思えてくる。
パラデウムは魔族の支援をすると言っているが、わざわざ北の大地まで出迎えに行ったのはヴァルだけである。BBはそこに知り合いが残っていると教えてくれたが、連れて来てくれと懇願したわけではない。
行けと言ったのは学長だ。命じられたら、ビッキーたちに行くよりほかの選択肢はない。
学長は、そこに残っているのがどんな存在なのか知っていたのだろうか。いや、いくら学長といえど、遠く離れた地の魔族の詳細など知るはずがない。
(……そうかしら)
否定しきれないがゆえに、思考のツボに片足を突っ込んでしまう。
「ビッキー」
小声の囁きがビッキーの意識を現実世界に戻した。
ビッキーはいつの間にか邸の玄関を出ていた。目と鼻の先の場所で、まだ茶会は催されていた。
「そうだ、おまえに聞きたいことあったんだよ」
気だるげに頬杖をついていたヴァルが、こっちへ来いとビッキーを手招きする。無視するわけにも行かずビッキーたちが向かえば、芝の生えた地面から椅子が二脚せり出した。心なしかテーブルが広がったような錯覚まで覚える。
「お嬢さん方どうぞ?」
「……どうも」
「ありがとうございます」
ビッキーは憮然と、ユニは表面上笑顔で、それぞれ礼を言う。BBがにいと大きな口で笑う。微笑みなのだろうが、唇の隙間から覗く歯がそうは思わせない。
さて用件はなんだと向き合えば、ヴァルは空いた手指でくるくる宙を掻き、
「外の国に行きたいときはどうしたらいい?」
「それは……住居の移転? それとも観光か何か?」
「観光。この間、知らないおっさんに勧められたんだ、暇なら聖堂巡りしてみたらどうかって。まだ行くと決めたわけじゃないが、伺いを立てるに越したことはないと思って」
まさか聖堂巡りという言葉を聞くとは思わず、ビッキーは思わずユニを見た。彼女の表情は固い。それはそうだ。ここに鏡はないが、ビッキーも自分がそんな顔をしているのことは分かる。
ルクス会は自分達が神にに祈りを捧げるための聖堂を一般に公開し、観光地化を図っている。
「観光巡礼、ですか……」
すぐさま返事がないことからヴァルは何か察したらしい。
「なにが問題だ?」
「……聖堂はルクス会の拠点なので、向こうがあなたを拒否するかも」
「……む、」
「でも、遠方から眺める分には、向こうに気付かれなければ構わないのではないかと……思いますよ?」
ユニがすかさず打開案を提示する。
「他所の景色見てみたいって思ってた所に転がってきた話だからそれで充分だ」
ヴァルは外した頬杖をテーブルに伏せた。
「で、外に行きたいときはどうしたらしい?」
「予め出発日時や目的地なんかをこちらに仰って貰えれば、特に難しい手続きは不要です」
「そうか、思ったよりあっさりしてるんだな」
好きにさせているといえば聞こえはいいが、その代わりというか、学長が施した枷が彼らの現在地を発信している。彼らは常に学長の目によって監視されているようなものなのだ。
「じゃあ、日が決まったら報せるから」
「はい、お待ちしてます」
それでは失礼します、とビッキーたちは席を立った。門構えにいつの間にやら見送りにきたのだろう、ヘンゼルの姿がある。
途中茶会の様子を肩越しに一瞥するも、来たときと同様、離れてしまえばあちらの関心はビッキーたちにはない。
門の外、邸からしばらく離れたところでユニが行った。
「彼らに観光巡礼教えたの、誰かしら」
ヴァルは「知らないおっさん」と言っていた。きっと人間だ。だとすれば恐れ知らずだと単純に考えてしまいそうだが、その男にはどう見ても悪意がある。
聖堂とはルクス会の所有物。聖なる拠点。
ルクス会は光の神のみを崇める。闇に属する魔族は当然、忌むべき対象である。
それらを知らぬ人間はまずいない。
どんなにヴァルの容姿が人間に似ていようと彼は魔族であり、その従者は一目でそうと分かる容姿をしている。
男が最初から悪意を持って二人に近づいているのは間違いなかった。
「なんだか嫌なものに触った気分よ……」
ビッキーは顔をしかめた。ルクス会について説明しておいたのだから、向こうも気付けばよいものを……それとも気付いた上でビッキーたちにわざわざ話題を振ってきたのだろうか。
(……ああでも、あいつなら説明聞いてなかったって言う気もする)
バリーのことだから、分かっていたが敢えてあるじの気分を盛り下げたくないと黙っていた可能性も否めない。
「……はあ」
気分を切り替えようと、浅く、ゆるく、息を吐く。手の中で伝票が音を立てた。
そうだ。考えるのは後にしてとにかくこれを渡しに行こう――ビッキーはそう決めた。
決めたらもう迷うことはない。頼りない足取りも自然としっかりしてくる。
ひやひや傍らで見守っていたユニがほっとしたことに、彼女はちっとも気付いていない。




