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混沌の娘  作者: 霞初月
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 郵便局の建物から出てほっと息をついたビッキーは、舗道へ下りる石段に、こちらに背を向けて座る少女に気付いた。

 肌は褐色、くすんだ金の髪が背中に向かって流れている。

 しかしその後ろ姿に見覚えはない。きっと知らない人間だ。

 ビッキーから見て、石段の左端にかけているから避けていくことは充分可能だ。休憩がてらそこに座っているのだろう。

 素知らぬふりで傍を通り過ぎようとしたとき、彼女がビッキーのほうを向いた。

 目が合う。

 彼女の双眸は吸い込まれそうな深海色をしていた。

 何を語るでもなく、彼女はビッキーを見ただけだ。それなのにビッキーは足を止めていた。自分でも何故かは分からない。

 どこか大人びた雰囲気を持つ少女はビッキーを見上げて「なあに?」と訊いてきた。

 首を傾げると褐色の肌のうえ、くすんだ金の髪が流れる。上着の襟ぐりが広いからみようとしなくとも微かに胸の谷間が見え、なぜだか同性だというのにビッキーは目を逸らしてしまった。

(大きい……)

 ほんの少し、羨ましく思った。

「な、なにって、べつに――」

「……っくふふ、」

 慌てたように言い返すビッキーの姿はどうやら滑稽だったようで、少女は堪えきれないとばかりに吹きだした。

 ビッキーは体温が二度くらい上がった気がした。思わずむっとして、それが顔にも出る。

「……っごめんごめん、だってそこは無視して通り過ぎるかなとか思うじゃない? さらっと受け流すかなとか思ったら……ねえ?」

 少女は目に涙まで浮かべ、腹を抱えてひとしきり笑うと、指の腹で涙を拭いながら立ち上がった。向かい合うと若干、少女の方がビッキーより目線が高い。

 ビッキーは無意識に半歩後退った。

「あたし、ナイア。あんたのこと知ってるよ」

 初対面にしてはずいぶん馴れ馴れしい挨拶である。けれど腹が立つより先に、疑問符と感嘆符が頭の中を埋め尽くした。

(知ってる?)

 はて、パラデウムの学生だろうか。

 ビッキーは考える。学生ならビッキーの名と顔をセットで知っているものは多い。辟易するが事実だ。

 しかしビッキーの方はどうかというと、学生の数を考えれば知らない人間が出てくるのも仕方ないことだが、それでもナイアを知らないと断言できた。

 目の前の彼女は、見かけたら必ず記憶の片隅に残るような雰囲気を纏っている。容姿だって平凡ではない。女子も羨む豊満な体つきだ。たとえ街中ですれ違ったとしても他者と区別できる自信がビッキーにはある。

 けれどビッキーは彼女を知らない。会ったのはきっと今日が初めてだ。

 こちらが知らないのに一方的に知られているというのは奇妙な気分である。特に接点が思い浮かばないから尚更だ。

 ナイアはこちらの困惑まで見透かしたように、くすくすと笑う。

「ふふ。ここにきたら会える気がして待ってたんだあ」

「……会えるって、わたしに?」

「そうだよ。会いたくなかったら待たないよ。……会えて良かった」

 ふんわり笑ってナイアは右手を差し出した。誘われるようにビッキーはその手を取っていた。

 掌からナイアの体温が伝わってくる。無邪気な笑みが深まる。

「……ふふ。じゃあね。あたしのこと、忘れちゃだめだよ?」

 一方的に手を解いて、ナイアは去って行く。

 ビッキーは狐につままれたように遠ざかる後ろ姿をその場から見送った。

「……変な子」

 なんだったんだろ今の。

 知ろうとするまえに切られてしまった。ただ名前を聞いて握手しただけ。ほかにはなんにも分からない。

(あとは目と……む、胸?)

 そんな相手が印象に残らないわけがない。

(……忘れられるわけ、ないでしょう)

 寮に戻ったらユニに今の出来事を話して聞かせよう。きっと面白がってくれる、自信がある。

 すっかり手紙を出す前の憂鬱な気分は晴れていた。投函した後はいつもそうだが、今日は特にそうだ。ナイアのおかげで一気に吹き飛んでしまった。

「帰ろう」

 ビッキーは寮に向けて歩き出す。

 その背中を、去ったはずの少女が物陰から見送っていたなど知らずに。




 物陰からビッキーを見つめる視線はねっとりと熱い。

 ナイアの双眸にある海はより深みを増していた。誰も見通すことのできない暗き海の底だ。光は底まで届かず澱に遮られる。

「……あの子、ちょっとこっちの匂いがする。おともだちになれるかしら……ねえ、そしたらきっともっと、今よりずっと愉しくなるのに――」

 くすくすと愉しそうにナイアは笑う。その瞳にはどこか狂気があり、近寄りがたい。

 そのそばに小さな影がとことこと近づいてくる。十代前半の、幼さの抜けきらない顔立ちの子供だ。少女のようであり、少年のようでもある。そのどちらも正解だった。

 物怖じすることなくやってくると、目深にかぶった上着のフードの奥、覇気のない青灰色の瞳がナイアを見上げる。

「……帰投しました」

 抑揚のない声で告げる。

 ナイアが慈愛に満ちた目を向けた。

「おかえり、ミニィ。ごくろうさま。どう? 愉しかった?」

「……すぐ終わってつまらなかった」

「そう……あとで見たものいっぱい教えてきかせてね」

「うん」

 ミニィはしっかと頷く。

 覚えている者がここにいたなら、エミールが起こしたあの事件の場にミニィがいたと証言しただろう。だけどきっとそんな者はいない。

 存在してはならないのだ。

 ミニィの仕事は観測。観測者は対象に気付かれてはならない。難しい仕事だが、ナイアのためだったら何だってやれる。

「帰りましょう」

「うん」

 伸ばされた手を迷わずミニィは握る。

 二人並んで歩く姿はどこにでもある仲むつまじい姉妹そのものだった。




 *


 ジェイが喋らないのは相棒のアリーが喋らないからだ――多くの者がそう思っているが、それは少し違う。

 初期設定の「寡黙」に加え、思考共有でアリーの考えが概ね分かってしまう。アリー以外とは要点を押さえて会話すれば、それで事足りてしまうからだ。

 アリーの口数が少ないのは、彼女の家族がお喋りな者ばかりで、自分が話さなくても誰かが代弁してくれる状況で育った結果である。

 ところで。

 選抜同士は仲が悪い、周囲からはそう見られがちだが、そんなことはない。かといって特に仲がいいわけでもない。

 A’を与えられ、学長の命令をこなすが共同戦線を張るわけでなく、その活動はいつも単独だ。その内容も、当人らは知らないが、個々がどうにかして必ず解決できるだろうものを学長が選んで割り振っている。だから互いに競う必要がない。

 今回アリーたちに与えられた仕事を端的に言うと、ルクス会の支部へ赴き話を聞いてくるというものだった。

 これだけ聞くと何もアリーたちでなくともいいように思えるが、学長が行けというのだから何か意味があるのだろう。そもそも選抜といえど学生であるアリーたちに拒否権はあってないも同じ。

 ルクス会は光の神だけを崇める、古くからある団体だ。

 世界各地にその聖堂があり、パラデウムが魔族を北の大地へ追いやる際、聖堂を利用したことは広く世に知られている。

 ルクス会の支部とはすなわち聖堂のことといったのは昔のことで、今はその多くは記念碑的なものと変わらない。信仰者と聖堂の数が釣り合わなくなったからだ。かつては隆盛を誇るも、今はトリア教に数を二分されてしまっている。

 ちなみに、パラデウムに聖堂はない。聖堂が各地に建設されていた時代、パラデウムは旧フィエンナ市の一部、そしてそれを内包するゴルド共和国にある名もなき小さな魔法学校だった。

 さて、ルクス会からの依頼の詳細はこうだ。

 近頃、聖堂が相次いで破壊される被害に遭っている。どうか調べてもらえないだろうか、と。

 破壊されたのは信仰者の利用が少ない地方の聖堂ばかりだった。巨大な掌に握りつぶされたような壊され方をしているため、大方の見方は「魔法」によるものだと考えられている。アリーたちから見てもそれは魔法だと思えた。道具を使ったにしては壊れ方が綺麗すぎるのだ。

 事件の問題は魔法の「行使者」と、訴えているのが「ルクス会」という二点だ。

 何度も言うが、ルクス会は光の神を崇める団体である。光の神は人間が魔族に対抗できるよう「光子」を教えたとされている。

 ルクス会がこの事件の魔法の行使者を導き出そうとするとき、対象は限られてしまう。

 パラデウムとしてはここで早計に答えを出されては困るから学長の肝いりである選抜を向かわせたのだ。

「報告ご苦労さまでした」

 学長に軽く頭を下げ、アリーたちは部屋を後にする。

 うまく化粧で誤魔化していたがやっぱり学長もお疲れだなと、ジェイはアリーの隣でそんなことを思っていた。ジェイにとって学長は、ある意味母と同義だ。彼女の思いつきでジェイたち、A’は造られたからだ。学長がいなければジェイはアリーとは出逢えなかった。だから学長には感謝している。

「……面倒になりそう」

 ぼそりとアリーが言う。その通りだと思うから、ジェイは黙って頷く。

 だがひとまずアリーたちの仕事は終わった。あとのことは誰かが引き継ぐだろう。

「アルールのフルーツケーキを帰りに買いましょうか?」

 ジェイが提案するとアリーはちらと目線をあげ、頷く。了承された、ジェイは嬉しくなって小さく「はい」と返事する。

 アルールはフィエンナ市に本店を持つ、学生街にあるケーキ屋の一つだ。甘さ控えめのクリームを使うことで男性からも人気がある。アリーはその見た目からは想像されにくいが甘い物が苦手だ。けれどここのケーキは食べられる。

 ジェイは意気揚々と思考を巡らせた。

 ケーキを買って寮に戻ったら、とびきりおいしく紅茶を淹れるのだ。口にして誉めることはしないがアリーが自分が淹れる茶をほかよりおいしいと思ってくれていることをジェイは知っている。

 だってジェイはアリーの相棒なのだ。何でも知りたいし、知らないと困る。でないとアリーを守れない。

 またぼそりとアリーが言う。

「……今日はハーブティーがいい」

 珍しく自らリクエストだ。もちろん、ジェイの返事は決まっている。

「かしこまりました」




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