13
*
学生の本分は学業だ。
ビッキーも選抜という肩書きを持っているが、そこはほかの学生と同じだ。学長より言いつかった仕事をこなしながら、与えられた課題と向き合わなければならない。できない、と口にすることは許されていない。
ビッキーは特に、そう強く自分に制約を課している部分がある。
ユニと二人、共に寝起きする学生寮の部屋は備え付けの本棚と机、そしてベッドがあるだけ。年頃の少女めいたものは特に見あたらない簡素な部屋である。
ビッキーが机に齧り付いている間、ユニは特にすることもないので眠っている。
ユニはビッキーの相棒だが、学生ではないからやるべき課題がない。手伝っても良いのだが、ビッキーに必要ないと言われてしまえばそれまでで。もちろん、真に助けがいるときはビッキーだってユニを頼る。ただ、いまはその時ではない。
眠っているユニの状態は、人間で言う半覚醒状態というか、本当に眠っているわけではない。何かあれば直ちに起きあがって対処できなくては存在する意味がない。彼女は人形で、ビッキーの相棒なのである。
ビッキーはそろそろと詰めていた息を吐いて、目を瞬いた。
いつもは三つ編みの彼女も、今は髪を結わずにそのままにしている。彼女にとって髪を結うのは一種の武装なのだ。
こんなものだろうと手を止め、ペンを置く。自分の思う美しい魔法とその理由をできるだけ美しく述べよ、というのが今週の魔法構築論の課題だ。美しく述べよ、のあたりに悩んで四日もかかってしまった。課題を告げられた時、顔にこそ出さなかったものの講師の頭はおかしいんじゃないかと思ったものだ。
蓋を開けたままにしていた懐中時計に目をやる。進級祝いに貰ってからずっと使っているが、くれた相手の前で使っているところを見せたことはない。
「もうすぐ三時、か」
早めの昼食をとってから三時間は経つらしい。固まった筋肉をほぐすべく、静かに肩を回す。それから思い立って机の引き出しをあけてじっと中を見据えた。
封をした手紙が一通ある。
ビッキーは迷った末にそれを取り出した。
さっと馴れた仕草で髪を分けて、結っていく。あっという間に三つ編みが二本完成した。
「ちょっと出かけてくるね」
ユニの返事はない。が、声は届いているだろうと見当をつける。おそらく行き先に察しがついているから返事がないのだ。
二人は部分的に思考を共有している。
といってもそれは一方通行だ。ビッキーの思考がユニへ自動的に共有される。ユニが自律思考する礎にはビッキーからの思考が含まれている。
この共有を嫌な言い方をすれば、強制的に弱みを握られている状態だ。
二人が知り合った頃は、お互い探りあい状態だったからちょっとした用でもユニはビッキーについてこようとした。
当時を思い出してビッキーの顔に笑みが浮かぶ。手紙だけ持って静かにドアを開け、廊下に滑り出た。
学生寮は男女で棟がわかたれているが、造りはおなじだ。部屋割りも、選抜か一般学生かどうかは関係ない。そもそもこの学園は単位制なので学年がなく、入学した時点で空いていた部屋が各人に宛がわれる。運が悪いと奇妙な隣人に挟まれてしまうこともあるが、そこは魔法学園の生徒だ、快適空間は自分の力で生み出せばいい。
幸い、その点でビッキーは困ったことはない。しかも部屋は一階の、裏口からすぐという、抜け出すにはもってこいの位置だ。
裏口には常時鍵が掛かっていない。しかし出入りする人間を寮監が魔法でしっかり観測していることをビッキーはもう気付いている。分かっていて抜け出すのだからあとで何を言われようが黙って受け止める覚悟がある。もっともいまのところ、何か言われたことはないが。
裏口のドアを開けた途端、反対側から驚嘆の声があがった。
「わっ――」
「え?」
ドアを押した格好のまま向こうを覗けば、見知った顔がそこにある。
「グウェン?」
刈り上げたように短い髪と唇のピアスが彼女の象徴である。取っている講義がよくかぶっていることがきっかけに、仲が縮まった。
「ごめんごめん、驚かすつもりなかったんだけど、開けようとしたらそっちから開くからさあ、びっくりしちゃって」
謝罪の言葉を並べながらグウェンは中に入ってくる。まだ日のある内から微かに酒精を漂わせて。
どうしたのだと問いただすほどビッキーは無粋ではない。
というのも、グウェンは学生であるがとっくに成人している。ここではそんな人間は珍しくない。それに、本人曰く相当にザルらしく、心配するだけ無駄かとビッキーは早々に考えを改めたのだ。
グウェンはビッキーの方へくるっと向き直り、しげしげとその顔を見つめた。が、された方は戸惑う。
「な、なに?」
「うーん、久々に顔見たなあと思って……――おかえり!」
「きゃっ!」
いきなり抱きしめられたビッキーは、最近出したことのない可愛らしい悲鳴をあげた。そんな自分の出した声に驚き、内心もだえる。
(やだ、恥ずかし)
そんなビッキーを見て、グウェンはにやにや笑みを深める。
「むふ、ふふ……愛いのお……」
「……グウェン、それやめて」
どこの酒場の親父かと言いたい。
「えー、ほんとのことじゃん?」
何が悪いのかと不満げな彼女に、ビッキーは苦笑する。
「ねえグウェン、夜は寮にいる?」
「ん? いるよ?」
「お土産があるの。あとで持って行くから」
グウェンははっとして、
「……もしかしてもしかして。頼んでたやつ取ってきてくれたの?」
ビッキーはええ、と頷いた。
今度北の大地に行くのだとグウェンに話したなら「じゃあついでに雪、持って帰ってきてよ」と言われた。冗談なのは分かっていた。次会った時は忘れているかもしれないが、でもビッキーは叶えようと思った。数少ない友人の喜ぶ顔が見たかった。
「やだ、ありがとうビッキー! ぜったい家宝にする!」
「家宝って、まだ渡してもいないのに……」
「んふふ、いいじゃないべつにー。ま、でもあんたがちゃんとここにいるのが一番嬉しいよ」
さらりと吐かれた言葉に、ビッキーは不意をつかれた。
なにも言い返せないうちにぽんと肩を叩かれ、
「楽しみに待ってるね」
言い置いてグウェンは行ってしまう。その背中を呼び止める言葉をとっさに吐き出せなくて、臍をかむ。
(ありがとグウェン……)
自分にそんなことを言ってくれる人はそういない。
時折彼女が羨ましく、自分もああなりたいと焦がれる。
選抜の者を別格視して崇めたり、妬んだり、色眼鏡でみる人間の方が多いというのにグウェンはビッキーを他と同じように扱ってくれる。それがビッキーにはたまらなく嬉しい。感謝の気持ちをいつもうまく伝えられなくてもどかしい想いをしている。
ビッキーは込み上げる喜びを閉じ込めるようにそっと目を閉じた。土産を渡すためにもさっさと行ってさっさと戻ってこよう。
寮を出たビッキーは一路、南へ向かって歩き出した。
学園の敷地内には学生用の簡易郵便局が設けられている。国外からの学生に向けた仕送りなどもここを通して各人の元へ向かう。
本当は、手紙くらいならわざわざ持ち込まずとも学内に設置された集荷箱に入れるだけで事は済む。ビッキーも普段はそうしている。
だがこの手紙だけは別だ。
この宛先だけはもう、決めた手順を踏まねばビッキーは送ることさえままならない。
封をして幾日経っただろう。郵便局へとおもむく足はぬかるみをゆくように重い。手紙を持つ手の先は、冬でもないのに冷え切っている。
この手紙を出しに行くときはいつもこうだ。郵便局へ着いたときには喉はからからに渇いている。それを悟られぬように必要最小限のことだけ口にしてやりきるのだ。
「――あら、戻ってきていたのね」
暗い気持ちで歩いていたせいか、ビッキーは声を掛けられるまで気配に気付かなかった。
学内敷地はそれぞれの建物をつなぐように白い舗道がつけられているのだが、場所を把握してしまうと人間は近道をするようになる。舗道を行くより敷地を突っ切った方が早い。ビッキーも雨の日以外はその口である。
顔をあげると視界を横切る舗道の上を行く、一組の男女がいた。
二人をビッキーはよく知っていた。
それもそのはずで、同じ選抜の者だった。
女の方はアリーといい、ビッキーと歳は同じだ。いつも豪奢なドレスを纏っている。日に当たって輝く紅茶色の髪は腰に届くほど長く、真っ直ぐだ。瞬きをすれば音がしそうな長い睫が縁取る翡翠色の双眸がビッキーを静かに見据えていた。
その隣、透けるようなアリーの白い肌を焼かぬよう日傘を差しているのは二十代半ばの青年で、焦げ茶色の髪を七三に分けている。シャツの上にパンツと揃いのベストを着、白い手袋を嵌めていた。こちらはジェイといい、その瞳には金の環がある。アリーのA’だ。
確か協力要請の依頼でパラデウムから出かけていたんだったかと、ビッキーは記憶を掘り起こす。
「あなたたちの方こそ、戻っていたのね。おかえりなさい」
ビッキーが労いを込めてそう告げたなら、アリーはゆっくりひとつ瞬きをし、
「……変な人。戻ってくるのは当然じゃないかしら」
言い放つ言葉は驕りでも何でもない。できることを為しに行って帰ってきたのに労われる意味が分からない、これが彼女の本音である。
「そうかもしれないけれど……無事に帰ってきた姿を見たら言いたくなるというか、わたしは言いたいのよ」
「…………そうね。そうかもしれない。わたしもあなたを見かけてつい声をかけてしまったわ」
普段のアリーは積極的に他者に話しかける性質ではない。挨拶されても返さないことは学内でもわりと知られている。よくよく見れば目礼していると分かるのだが、大抵の者は無視されたと思って気付かない。当人は口を開くのを億劫がってこうなっているのだが、損をするだけだと周囲から小言を言われてもどこ吹く風で、自分を貫いている。
「……そうだわ」
ふと思いついたようにアリーが言う。
「これから学長の所へ行くのだけれど、なにかある?」
伝えることがあるなら一緒に伝えましょうか、と短い言葉に含めて彼女は言う。
ビッキーは黙って頭を振った。必要なことは必要な時に告げている。
アリーはそう、とあっさり納得して、
「それじゃあごきげんよう――――」
歩き出したアリーの後ろを、ぺこりとビッキーに向かって頭を下げたジェイがついていく。主人に似て寡黙な男だが、要点は締めることをビッキーは経験で知っている。
ビッキーはしばらくそのまま二人を見送っていたが、きゅっと唇を結んで背を向けた。アリーに悪気はないのは分かっている。だが、ビッキーは自分の姓が好きではない。だから必要がない限り、自分からは絶対口にしない。
しかしアリーは他者をフルネームで呼ぶ。ビッキーのことだってそうだ。
――ビッキー・エトワイル、と。
エトワイルの名はビッキーを縛る鎖だ。
学長、メイヤー・エトワイルはビッキーの祖母にあたる。そして彼女の保護者だ。
ふと手紙の存在思い出してビッキーは手元を見る。思わず手に力が入っていたのか、封筒に皺が寄っている。
「……どうしよう」
途方に暮れた幼子のように宛名を見つめる。
戻って書き直した方がいいだろうか。だけどそうしたら間違いなくまた、日が遠のくだろう。
(……ああ、だめだ。しっかりしなきゃ)
目を閉じて、深呼吸を一つ。
急ごうがどうしようが、返事がきたことは一度もないというのにおかしな話だ。
だったらこのまま出したっていいじゃないか。ビッキーは迷いを捨て、郵便局へと向かう。
生きているのか死んでいるのかも分からない母親への手紙を出しに――。
母親が好きかと訊かれたらビッキーは言葉に詰まる。
嫌いではない、と答えることはできる。
ビッキーの母は、自分に魔法の才がないことに苦悩し、男と駆け落ちする形で家を出た。そしてビッキーを産んだ。そこまではよかった。
ようやく言葉を覚えはじめた娘が次第に何かを訴えるようになった。だが娘の言い分は両親にはうまく伝わらない。そのうちに娘は、誰にも習っていないのに、初歩の初歩ともいえる拙いものだが魔法を使うようになった。
自分で魔法を作ったのだ。
両親、とりわけ母親は混乱した。
魔法の才がない自分からひょっとしたら天才が生まれたかもしれない。
どうしよう。
駆け落ちして築いた家庭だ。日々を細々暮らす分には充分だが、学校に通わせられるほど経済的なゆとりはない。かといって才能が開花するよう導くことは自分達にはできない。
悩んだ末、ビッキーの母親は捨てた実家に縋った。
メイヤーはすでにパラデウムの学長だった。学長は世襲であり、何ごともなければメイヤーの跡はその娘が継ぐはずだった。
『母さん、お願いよ――』
この子を自分達に代わって育ててちょうだい。自分達の手に余るこの子をどうか。きっとあなたの役に立つ。ね、お願いよ。わたしは幸せになりたいの――。
メイヤーは娘が幼いときから才脳のなさとエトワイルの名を背負うことの重荷に苦しんでいたことを知っていた。だがそれから救ってやることはできず、娘は家を出てしまった。そのことはメイヤーの心に重くのしかかっていた。だから、再会したとき本当は娘に言いたいことが幾つもあったのだが、涙ながらの娘の訴えは彼女の胸に渦巻いていた言葉を見事に封じ込めてしまった。
そうしてメイヤーは、己の罪滅ぼしに娘から孫を受け取ったのである。




