12
新しい契約者、もといお客様が増えたことでグレーテルは浮かれていた。気を抜いたらすぐにでも鼻歌を歌ってしまいそうだ。だけど今は仕事中だ。
まずはお部屋へご案内、教授からそう仰せつかったし。それからそれから、そうだあとでお願いしてあの黒いしっぽとふさふさのお耳触らせて貰えないかなあ……グレーテルの頭の中は明るい未来しかない。それは彼女のもつ性格にある。
しかし人形とは本来、はっきりした感情を持たず個々の性格付けもなされていないものである。
グレーテルとヘンゼルの瞳にある環は銀色だ。
それは汎用が持つ色。
彼女らは汎用を素体として、実験的に性格付けされた人形だった。教授が友人から譲り受け、自分の小間使いにしたのだ。
「あのう、グレーテルさん」
玄関ホールへととって引き返す中、バリーから声がかかり、グレーテルは頭を巡らせる。
「はい、なんでしょう?」
「さっきは聞きそびれてしまったのですが、教授はなにを専門にしている方なのですか?」
「せんもん……きょーじゅのお仕事ですか? きょーじゅはですね、魔族のけんきゅうか、なのです」
ぶわりとヴァルの尾の毛が逆立つ。
バリーはあるじを横目に気にしつつ、会話を続ける。ビッキーが言った「魔族研究に精を出している変人」が頭を過ぎったのはなにもヴァルだけではない。
「け、けんきゅう……ですか」
「はい」
「身を切ったり血を抜いてみたり、そのような感じの……?」
「とんでもない! きょーじゅは、魚は必ず切り身で小骨をとるのを忘れるなって念を押しておっしゃるくらい不器用なんですよ?」
「は、はあ……そうなんですか?」
「そうなんですよ!」
鈴を転がすような可愛らしい声でグレーテルは笑う。その後ろで、ヴァルたちがひとまず胸をなで下ろしていることなど知らずに。
「きょーじゅはですね、魔族がどんな生活をしているとか何が好きなのかとか、そういうのを研究されているんです。今まで本の中だけだったものがこうして直に聞き取り調査できるようになって、すっごくいきいきしてるんですよ。だから。おふたりも協力おねがいしますね?」
「ああ、まあ……そうだな」
「そうですね、できる範囲で」
ヴァルたちの返事に気をよくしたグレーテルは、彼らの思いなど知らず、鼻歌交じりに言う。
「お部屋どこにしましょうね? いまなら選び放題ですからね」
「……なあ、それなんだけどさ」
「あ、さきほどのご案内中に気に入ったお部屋が?」
「え、や、そうじゃなくてだな」
グレーテルは選び放題といったが、選べるのは部屋の場所と広さだけだ。部屋の内装はどれも、元々備え付けである物とカーテン以外取っ払われているので条件は同じである。
日光に当たらないとだめ、ということもないから日当たりを考慮する必要はなく、これがないとだめというものが正直なところ見あたらないヴァルたちは、空いてある部屋のどれが自分達のものになってもよかった。
「先に住んでる奴のことなんだけど」
「あ! あれですか、縄張りもんだい?」
グレーテルははっとした顔になり、拳を握ると「しゅっ!」と自前の効果音をつけ前方へと繰り出した。
ヴァルは目を瞬いた。
「なんだそれ?」
「え? こっからここはおれのところだ入ってくんなってやつですよ。え? ちがうんですか?」
「なあバリー、これは俺の幻聴か」
「いいえ。現実です、お気を確かに」
「そうか……」
気を取り直そうとヴァルは深く息を吐き、グレーテルに向き合う。一行は玄関ホールの階段前で長らく立ち止まっていた。
「いいか? よく聞けよ」
「はい」
「一つ屋根の下で人間と暮らしていこうってやつらに縄張りなんてあってないようなもんだ」
「そう言われると、たしかにそうですね」
「……」
ヴァルはもう一つため息をついた。
グレーテルの顔は本気で考えもつかなかったもののそれだ。そう、彼女に悪気はないのだ。分かっている、これ以上責めてはいけないのだとヴァルは強く思った、思い込もうとした。
「いいか。俺が知りたかったのは縄張りじゃなくて、先客の名前だ」
「なんだ、おなまえですか。でしたら、」
グレーテルはぺたんこのポケットから黒革の手帳を取り出した。表紙を軽く指で叩くと勝手に開いて該当のページが現れる。
「女性型のスペンサーさん、不定形型のモックさんに」
ナントカ型というのは人間のつけた魔族を分類する名である。
グレーテルの手帳には一ページごとにその魔族の名と特徴、そして似顔絵が描かれている。
「それから異形型の――」
グレーテルが次のページをめくったところでヴァルが吠えた。
「あたりだ」
「え?」
一体どうしたのだとグレーテルが問おうにも、ヴァルはもうこっちを見ていない。
「おいバリー、見たか?」
「もちろんです」
「どおりであいつのに似た気配がしたんだ」
「さすが、ヴァル様です」
蚊帳の外に放り出されてしまったグレーテルは疎外感にいじけそうになって、ああだめだと小さく頭を振る。しっかりするのよ、お姉ちゃんなんだから。
「……あのあの、お知り合いさんですか?」
おずおずと申し出たグレーテルをヴァルが振り返る。
「まあ、そうだな」
ヴァルの返事は何だか煮え切らない。
「えと、お知り合いさん……なんですよね?」
「そう、だな」
「……えと、だから、お知り合いさんなんですよね? そうなんですよね?」
見かねたバリーが間に入る。
「……すみません、ヴァル様は恥ずかしがり屋なんです」
グレーテルははっとして、
「それはあれですか巷で認められつつあるツンなんとかってやつですか?」
「……よくわかりませんが、あとで教えて貰えますか?」
「はい!」
嬉しそうにグレーテルが返事をしたところで玄関が外から開いた。
「――呼んだかね、友よ」
姿を現したのは枯れ木を思わせる男だ。
細身の上から濃暗緑色の丈の長い冬用コートを来ている。しかも上等品だ。靴もぴかぴか輝いている。
髪は黒いが、墨を吸った刷毛を数日放置したような艶のなさと毛の硬さは触れなくとも一目でそうと感じられる。頭の上にはコートと同じ色のフェルトの帽子が乗っていた。
目は爬虫類を思わせるぎょろっと丸いそれ、にやっと笑みに開いた口から鮫のようなぎざぎざした歯が無数に覗く。
人間の感覚でいうと近寄りがたい身なりと雰囲気を持つ。
これがBB、ボーンブラックという男だった。
「あ。BBさん、おかえりなさい」
「うむ」
BBは鷹揚に頷きながら一行の元へ優雅な足取りでやってくる。
「なんだねその顔は。わがはいに会いに来たわけではないのか?」
仏頂面のヴァルの顔に影が落ちる。向かい合うとヴァルの方が見上げなければならないほど、BBの背は高い。だが決してヴァルが低いのではない。BBが高すぎるのだ。
「……ちげえよ。おまえがありがた迷惑な紹介してくれたせいでこうなってんだよ」
「ハハハ。だが退屈しのぎにはいいだろう?」
「まあ、そこそこな」
「ハハハ、だろう? さ、じゃあ祝宴といこうか」
「は?」
BBがフェルト帽を取ると、その空洞から真っ黒な手が二本飛び出した。飛び出した手はまた帽子の中に舞い戻り、何かを探しているのか、帽子の輪郭がもぞもぞと波打つ。
しかしそれも束の間の事。
再び飛び出した手が帽子の中から放りだしたのはテーブルと椅子のセットだ。それらは過たず、玄関ホールの床に着地する。続いてずるりと引き摺り出されるのはレースのテーブルクロス――。
祝宴の準備を眺めるグレーテルの胸中は複雑だ。
「仰ってくだされば準備しましたのに……」
「いやいや、張り合うとこじゃねえからな。――おいBB、なにが祝宴だ。俺は付き合わないぞ」
「無粋なことを言うなよ、ほらほら座りたまえ」
しかし椅子は二脚しかなく、BBは先に自分が座って「さあ」と催促してくる。
「……バリー、おまえ行け」
「嫌ですよ、わたし死にたくないです」
とんでもないとバリーは頭を振る。祝宴というが最初から自分に席がないのは分かっていたし、それは当然だと思っている。あるじの後ろに立つことくらいは容認されるだろうが、仮に椅子に指の先でもかすったとしよう、命があるかその保証はない。
バリーとBBの間にはそれくらいの隔たりがあるのだ。格の違いと評するべきか。
闇のものが敬意を払うとすれば己より強者だけだ。
面倒だが仕方あるまい。ヴァルは目を閉じて舌打ちした。椅子の背に手を掛け、しかし座る前に一つ苦言を呈する。
「おまえ、ここは人間の土地だぞ」
無闇に魔法を使うのは考えものだと言外に釘を刺せば、BBは肩を竦め、
「いや、全く使わぬ方がここでは問題なのだよ」
「そんなわけがあるか」
「まあ座って聴くがいい。人間というものはな、正体の分からぬ物を恐れ、排除したがる。だから我が輩たちは分かりやすく、かつ彼らに受け入れられる範囲で力を披露した方がよいのだよ、ここで暮らしていくためにはな」
「……そういうもんか?」
「ああ。今の人間たちはわがはいたちを真には識らぬ者たちばかりなのだ。貴公にはこの意味が分かるだろう?」
はっとして、ヴァルは頷いた。それは自分自身に置き換えられる簡単な話だった。ヴァルもまた真の意味で人間を識らない。ビッキーたちがやってくるまで人間は見たこともなかった。
「貴公が怯えていると、周りも怯える。逆もまた然り。貴公はあまり考えすぎぬ方がいいぞ」
「………………ありがたい話をどうも」
「なに、ただの世間話だ」
テーブルの裏から黒い腕が伸びてきてポットを手に取ると、カップに茶を淹れていく。
「茶といえば以前貴公にやったあれはどうした?」
「この前、客に初めて出した。なんだ、いるならまだあるぞ?」
「なに、思い出して言ってみただけだ」
傍目に魔族二人が茶を飲み語り合う姿は有閑貴族もかくやという、ゆるい空気を醸し出していた。
「……仲良しさんですね」
「ええ、そうですね」
上目遣いに訊いてくるグレーテルに向かってバリーは頷く。BBはあるじにとって大切な要員である。彼は、大封鎖後に生まれたヴァルに意見してくれる貴重な、大封鎖前から存在する闇のものなのだ。しかもバリーとは違い、生まれついての、である。闇のものとしての経験値は当然、BBに軍配が上がる。
だが生来持つ能力ならヴァルも引けを取らない。
ヴァルはBBの話を聞いてからこっそり魔法を使い、テーブル側と向こうとで壁を作っていた。目には見えず、触れることもできない壁。透過する壁はただの置物である。グレーテルが気付くかどうかは賭けだったが現時点で反応はなく、ひょっとしたら黙認かも知れないが、探る真似は墓穴を掘るだけだ。ヴァルはただ試したかっただけなのだからこれでいい。
「……これ、匂わないか」
ヴァルは自分の首を指で軽く叩いて見せた。そこには学長につけられた不可視の枷がある。
「これかね」
BBは自分の首もとに目をやり、
「うまく隠しているつもりなんだろうがな。……これからすれば教授の枷の可愛らしいものよ」
ハハハと軽妙に笑うBBだが、その口から覗く歯は知らぬ者をぎょっとさせる破壊力が充分ある。だがここにいる面子はみな、見慣れた者たちばかりだ。
そこへ用事を済ませたヘンゼルが戻ってきた。ごく自然にグレーテルの隣に立つ。
「お知り合いでしたか。お名前を後回しにしなければよかったですね」
「いいえ、お気になさらず。どうやらヴァル様は何となく察していたようなので」
「……そう言われたら立つ瀬がないです」
表情には出ていないが、どことなく拗ねた響きが声にある。
彼が人形であることを忘れて、ついバリーは親戚の兄のような目線で見てしまった。ひょっとして見かけよりまだ精神的には子供なのかもしれない。そう考えたら自然と顔が綻んだ。
「……ボク、面白いこと何ひとつ言ってませんけど」
「すみません、つい」
慌てて顔を引き締めるも、ヘンゼルからは冷たい目を向けられる。
しかし蔑まれようがさして気にはならない。バリーにとっての大事はそこではないから他にどう思われようがどうでもいいのだ。
やがて祝宴はお開きになり、ヴァルが席を立つ。
「終わった。――グレーテル、案内の続きたのむ」
「はい!」
きらきら目を輝かせ、待ってましたとグレーテルが元気のいい返事をした。




