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「……ここか?」
辿り着いた先でヴァルたちを待っていたのは塀で囲まれた白亜の豪邸だった。
遭遇した人間に道はあっているのか尋ねようとしては逃げられ、最終的に出会った道ばたで遊ぶ子供たちに先導されて辿り着いた。
あきらかに周囲と趣が違うので、後から建てられたことは容易に想像がつく。邸が建つのはパラデウムの外縁部のなかでもとりわけ人口密度の低い場所なので、外観の浮きっぷりは相当である。
案内してくれた子供たちはまだ幼いからか闇のものへの先入観が少ないのだろう、初めは異形の存在におっかなびっくりといった感じだったが好奇心には勝てないらしく、執拗にヴァルの尾を掴もうと奮闘する姿はおかしく、大いにヴァルを楽しませた。
鉄格子の門扉の前で突っ立っていると、格子の向こうに人影が湧いて出た。喩えでなく、本当に何もない所にそれは現れたのだ。
「ご用の方ですか?」
灰色シャツに黒いパンツ、臙脂のリボンタイを身につけた中肉中背の青年だ。髪はほんのり赤みがかった茶色。
きわめて事務的に問うてくる顔は無表情に近い。
暗緑色の瞳にはうっすら銀の環が浮かんでいる。
それを見たヴァルはこいつもか、と顔には出さず思う。どうやらユニやピアのお仲間らしい。
バリーが冊子を青年の方に見えるように掲げる。
「家を探すなら、こちらはどうかと勧められたのですが」
ビッキーが印がつけた箇所はいくつかあるのだが、ヴァルたちが気の向くまま進んだ結果、最初に辿り着いたのがここだった。
「なるほど見学の方ですね。今開けます」
青年は無表情から一転、柔和な笑みを浮かべると指を鳴らした。
門扉が左右に開く。
音が鳴った瞬間光が散ったから、ああ魔法なのだとすぐ分かってしまい、がっかりするヴァルだ。
「ついてきてください」
促され、青年の後をついていく。煉瓦の道が家に向かって伸びている。道の脇は青々とした芝生で覆われ、きちんと手入れがされている印象を受けた。
前庭はシンプルな作りで、目立つのは玄関前のアーチに影を落とす一本の巨木だ。幹に大きな洞が、門に向いて開いている。近づいてみると、赤ん坊が寝返り打って眠れるくらいのゆとりがある。
青年が玄関まで辿り着く前に中から少女が一人、ほとんど転ぶようにして飛び出してきた。
青年の妹だと言われたら疑いようもないくらい髪色も顔も似ている。
ヴァルは興味深く、二人を見比べた。
少女の背丈はヴァルの腰くらいしかなく、分類するなら幼女の域になるだろう。その瞳にも銀の環があった。
「い、いらっしゃいませ、ようこそお邸へ」
紺色のドレスの上に糊のきいた真白いピナフォアを着た彼女はドレスの裾を摘まんで、舌っ足らずながら一息に告げる。
「あるじに代わりあなたがたをご案内させていただきます、わ、わたくしグレーテルと、」
「ヘンゼルです、お客様」
「……グレーテルと、ヘンゼル?」
遠慮なく顔を指さし確認するヴァルに「はい!」と元気よくグレーテルが頷く。ヴァルは幼女を頭の先から爪先まで一通り見下ろして、
「このちっこいの、可愛くないか」
何だか頭に手を伸ばしてかいぐり回したくなる衝動に駆られ、ヴァルは自分の手をじっと見る。理由は分からないがそれをやったらおしまいだという気がした。現に、気のせいだろうか、ヘンゼルから妙な気を感じるのだ。冷気というか、殺気に近い。
「ヴァル様、思うにそこは「愛らしい」じゃないかと」
「あい……? 何だそれは」
首を傾げたところで、ヘンゼルの咳払いがヴァルたちに現実を思い出させた。
「外で立ち話するより、中へ入りましょう。ご案内します」
邸の中は昼間だというのに薄暗い。
というのも窓という窓にカーテンが二重にひかれているからだった。
薄暗いとはいうものの、それは闇のものであるヴァルたちには何の問題もなく、むしろこれまで人間に受けた仕打ちからすれば好ましいといえた。
「おまえらの主人は人間じゃないのか?」
「きょーじゅですか?」
「いいえ人間ですよ、変人ですが」
何食わぬ顔でさらっとヘンゼルが言う。
「きょーじゅ……教授ですか?」
「そうですね、頭のおかしい人です」
「ええと、おまえらの主人なんだよな?」
「そうですが?」
「そうですよ?」
声を揃えられては、ヴァルたちも何と返したものか困ってしまう。
主人に対する発言としてそれはどうなのか気になるが、それ以上に、こうも言われる主人とはいったいどんな人物なのだろうか。気になってくる。
「当邸は、あまっている部屋をあなた方のようなお客様に貸し出しているのですが……お貸しするのは二階の部屋となります。一階はあるじの生活圏なのですが、娯楽室などはご自由にお使いいただけます」
廊下を歩きながらヘンゼルが次々と部屋前で立ち止まっては扉に貼られたルームプレートを指し、ドアノブを回していく。
どの部屋も利用者がいないため明かりが落とされ真っ暗だ。
いくつか部屋を見終わったあと、二階に上がりましょうと促され玄関ホールへ戻る。階段は全部で三つ。腕を広げたように二つ、その間をもう一つがまっすぐ伸びる。それらは上通路で一つに繋がっていた。だから上がるだけならどれを使っても問題はない。
三つに折れた通路の一番長い辺に扉が三つ。
階段の途中でヴァルはすん、と鼻を鳴らした。
「――質問しても?」
バリーが律儀に挙手をして許可を取る。
「はい、なんなりと!」
にこっと笑って応えたのはグレーテル。思わずバリーは娘を持つならこんな子がいいなと考えた。
「ここは私たちのようなものに貸し出しているとさっき仰いましたよね? ということは先客が?」
「ええと……」
グレーテルは言いよどんで、助けを求めてヘンゼルを見る。ヘンゼルは心得たとばかりに頷いた。
「はい、先に住人になられた方は確かにおります。ですが……お客さまが仮にこのお屋敷を気に入ったとしても、こちらの提示する条件を呑んでいただかないことには契約は成り立たないので……現在当邸に間借りしているお客様は三名様だけですね」
「ですから、いまならお部屋は選び放題ですよ?」
二人が浮かべているのが取り繕うような笑みならまだ対処のしようがあった。けれど彼らの笑みは心からのようで、かえってヴァルたちはうすら寒さを覚えた。
(……なんだよ、条件ってなんなんだよ!)
やばい、怖い。やっぱり来るところ間違えたかもしれない、ヴァルはそう考え始めていた。
部屋の薄暗さや内装は非常に好みである。しかし「条件」が脅し文句となりヴァルに重くのし掛かる。
「今日はざんねんながら、三名様とも外出中ですー」
「ここは外出は申告制ですか?」
意気消沈しかかっているヴァルの代わりにバリーが色々質問を飛ばす。
「していただくに越したことはないですが、別にこちらからは求めません。お客様を信じていますから」
「……なかなかできたご主人ですね」
「いえ、あるじは放任主義というか個人主義といいますか、つまりそういうことです」
「煩わしいことが嫌い?」
「そうです」
一階へと引き返し、先ほどは素通りした扉の前までやってくる。
「ここから先はあるじの区画になります」
扉を開けると子供でも大股一歩でやり過ごせる短い通路を挟んで次の扉が待っている。
ヘンゼルは扉をノックしたが返事を待たず「失礼します」と開け放った。
姿を見せた部屋の様相にヴァルは僅かだが目を瞠り、バリーは息を飲んだ。
もとは高さも奥行きある空間なのだろう。壁三面に配置された棚から溢れた本や物が床中、足の踏み場もないほど乱雑に積まれ、その中に埋もれるように机に向かう男がいた。
部屋の光源は机の上にあるランタン一基で、窓のない部屋だからそれはもう、部屋の中は暗い。そのランタンも、男の机のうえに積もる紙束の上に無造作に置かれている。よく見れば灯りは魔法ではなく蝋燭によるものだ。これだけ紙類に囲まれているのに火事への配慮がまったくなされていない。
男は自身の手元に視線を注ぐばかりで、扉が開いたことすら気がついていないようだった。
ヘンゼルは器用に隙間を縫って机まで向かうと、無造作に男の耳たぶを掴んだ。
「――あるじ、お客様です」
耳元に吹き込むように、しかしはっきりした声で告げる。男がむっとして睨むと、素早く手を離した。
まったく動じることないヘンゼルを見るに、これは日常的に行われていることなのかもしれない。一連の流れを目の当たりにしたヴァルたちは、とんでもないところにきたかもしれないと互いに視線を送り合う。
のっそりと男が顔をあげ、扉のところで佇むヴァルたちを視界に入れる。
男の髪はぼさぼさで、目は淀み、生気のかけた顔には無精髭が見える。着ているシャツは元は糊が効いていたのかも知れないが皺だらけでよれよれだ。青年と言うには薹が立っているように見受けられたが、正確なところはわからない。
「客? 客だと?」
男はヴァルたちを値踏みするように目を細めた。
「……失礼、あの方が「きょーじゅ」ですか?」
こそっとグレーテルに問えば「そうです」と小気味よく返ってくる。
人間恐怖症のヴァルは不躾な視線に揺らしていた尾を腿に張り付かせた。表面上は何てことはない顔をしているが、内心大絶叫中である。
男、あらため教授は口の中で何やらもごもご呟いて、
「……うちの部屋を借りたいなら条件があるが?」
「……辞退もできるんですよね?」
「無論。だが悪い話ではないぞ。なに、条件は簡単だ。俺が呼び出したときに俺と会話する、ただそれだけのことだ」
頬杖をつき、怠そうな姿勢で語りかける教授。
言葉そのままに受け取れば確かに簡単なことだろう。何故この条件を断る者がいるのかヴァルは疑問に思ったが、なるほど全ての闇のものが自分のようでないことを忘れるところだった。
なぜ人間なんかの求めに応じなくてはならないのか。
断る理由はこの一点に尽きるだろう。
「なんだ、」
ぽろりとヴァルの口から零れる。よかった腹を切らせろとかじゃなかった。提示条件がそれだったらすぐさま回れ右して出ていったところだ。
会話くらい、やすい物だ。
「そんなのでいいのか? というか、あんた物好きだな」
決して嫌味でなく感心してそう告げたなら、教授は口端をにっと吊り上げた。何か企んでいそうな、歪んだ笑みだ。
「なに、それが仕事だからな。よし。――グレーテル、契約書だ」
「はいな」
グレーテルはピナフォアの小さなポケットから皺一つない契約書を一枚取り出した。
「おまえのそこ、どうなってんの?」
「えへへー」
はにかむグレーテルだが、仕事はしっかりやった。契約書をヴァルたちに掲示し、紙面下部の余白をとんと指で弾く。
ヴァルは心の中で文面を読み上げる。
(なになに……契約者(甲)は貸し主(乙)の求めに応じることを条件とし、ここに契約を結ぶことを……)
読み上げる前にグレーテルが手を動かしたので最後までは読めなかった。もし最後まで目を通せたとしても、きちんと読めたかは定かでない。文章中にはヴァルの知らない単語がいくつかあった。知っているのと似通っている物もあったが、それが同じ意味を表すのかは不明だ。
同じ事をバリーも思っていた。やはり千年の間に言語に変化があったらしい。
「はい。ではここへ指の腹をなすりつけてください。それで契約かんりょうですー」
「お、おう」
おっかなびっくり、ヴァルは手を伸ばした。なにしろ書面がきらきら光っている。契約書に魔法が働いているのは間違いない。
「ヴァル様、ほんとにここにするんですか。ほかを廻ってからでもいいんじゃ――」
「……構わない」
「そ、そうですか?」
短い返答にあるじの強い意志を感じ取って、バリーはそれ以上は言わなかった。きっと何か深い考えがあるのだろう。いや、ひょっとしたらただ好奇心だけで動いているかもしれないが、なんといってもあるじは凄い方なのだ、何かあっても何とかなるだろう。
バリーのそれは盲信と変わらないが、本人に自覚はない。
ヴァルがそっと余白に指の腹を押しつけ滑らせると微かな痛みが走った。しかし紙面に変化はないし、指の腹は無傷だ。
グレーテルはバリーにも同じ事をするよう、紙面を突き出す。
「む、」
バリーがやっても同じ事が起こった。
「じゃ、きょーじゅ、いきますね」
グレーテルが指を鳴らすと、契約書は彼女の手から教授のもとへ瞬間移動した。
教授はにやりと口端を歪め、
「さあ契約完了だ。これからは朝だろうが夜だろうが何時だろうが俺の呼び出しには応えろ、いいな?」
「は、ちょっとまて、何時だろうがって……?」
「当たり前だ、おまえらは俺様から部屋を借りる立場なんだぞ。契約してから文句言うな」
「いや待て、いや、契約に応じろとは書いてあったけど、いつでもなんてどこにもなかったぞ……なかったよな?」
同じ文面を読んだだろうバリーに確認を取ろうとするヴァルに、教授の目つきが鋭く尖る。
「……まさかとは思うがおまえら、読めるのか?」
「ま、まあ……?」
「ひょっとしたら古語に分類されるかも知れませんがね。書くこともできますよ」
「……なんだと」
教授が小さく唸る。
魔族は人間の使う文字の読み書きができないと、基本的に人間側は思っている。
その一因を担っているのが大封鎖だ。
主導したパラデウムはこの作戦のために水面下で世界中の言語の統一化を図った。正しくは世界中の人の間で通じる暗号を作ったのだ。この時代の魔族のほとんどは人間の言語にそこまで興味も関心もなかったからだ。読めずともかけずとも、力でねじ伏せるから問題ないと思っていたからである。
しかし統一化がそうそう上手くいくわけがなく、現在そのなごりが非常に強いのがパラデウムより以西地域で、元からある言語よりもこちらが主として使われている。以東では主よりも副、あるいは教養のひとつに追いやられていることが多い。
もちろんパラデウムで使用されているのは自分達が作った言葉で、それが読み書きできる魔族の存在は非常に希有だと言えた。
これまで教授と契約した魔族たちはみな、契約書が読めなかった。いや、読もうとすらしなかった。
「ははあ、これは逸材と出会ったぞ! ――よし、ヘンゼル。茶を淹れろ、休憩だ。グレーテル、そいつらを部屋に案内してやれ」
教授は手を叩いて指示を飛ばすと、座っている椅子を前後に揺らし笑い始めた。それはヴァルたちをドン引きさせるに充分たる異様な光景だった。
「……おい、あいつ大丈夫なのか」
「いつものことなのです」
「そ、そうなのか」
「はい、じゃあお部屋に案内しますねー」
にっこり笑って先導しようと廊下にとって返すグレーテル。置いて行かれまい追いかけるヴァルだが、気になって後ろを振り返る。教授は椅子を揺らすのはやめていたが、肩を震わせまだ笑っている。
はやまったかもな。ヴァルは引きつった顔をバリーに向ける。バリーはゆるゆると頭を振った。諦めましょう、だってもう契約しちゃったじゃないですか。声なき声がそう語る。
確かにそうなのだが……ヴァルは己の手の先を見る。余白に触れた指には魔法の残滓が蛇のように絡みついていた。
契約にこちらの命を脅かすような強制力はないようだし、放っておいても害はないだろう。それにまあ、人間に付き合ってやるのも悪くないかもしれない。
(ま、いつでもできるか)
ヴァルは契約の破棄をひとまず諦めた。




