10
**
「うわー……いい天気だな」
ヴァルは空を見て顔をしかめた。感情のこもらぬ声はせめてもの反抗である。
今日は朝から雲一つない晴天。
自然の光は好きでない。闇のものとして生まれたからにはやはり夜の方が落ちつく。
ヴァルは苦痛とまでは感じないが、闇のものの中には、この日の光を大いに嫌うものもいるのは確かだ。
ヴァルとバリーは昨日まで押し込められていた教職員用宿舎の玄関口に背を向けて立っていた。三日間に渡りビッキーとユニから人間社会について叩き込まれ、今日やっと外出を許された。
今はここに仮住まいの身だから、しばらくは外出のたびに許可をもらわねばならないらしい。ヴァルたちに与えられた自由には色々と制約があった。面倒だが仕方がない。住居を見つければ外出は今より楽になるだろう。
だから今日は家探しも兼ね、あちこちを見て回る予定である。
ヴァルたちは学園を出るための通用門を目指して歩き出した。
学園の敷地内はあまりうろうろするなとビッキーから釘を刺されている。
理由は「魔族研究に精を出している変人も多いから」とのこと。確かにそんなのに捕まったら碌な事はなさそうだとヴァルは忠告を肝に銘じた。痛いのや怖いのは御免被るところだ。想像しただけでぞっとする。この身体の一片たりとも人間なんかにくれてやるものか。
宿舎には一応、転送方陣があるのだが、闇のものであるヴァルたちには使うことができない。だから移動は徒歩に限られる。場所さえ把握すれば次からは自分達の魔法で跳べるが、人間社会であまり魔法使うのは避けようと思っているヴァルだ。
基本姿勢は波風立てず、郷に入れば郷に従えの精神である。
人間に怯えない自分を想像して……思い浮かばない。
いつかは平気になるだろうか。
「なに言っているんですか、もっと自信持ってください」
心の中で言ったつもりだったヴァルは驚いた。
「俺いま声に出してた?」
「はい。わたし、耳いいですからね」
獣の耳は人のそれよりずっと感度がいい。だからごく小さな独り言でも拾ってしまう。
「確かに人間は怖いですけど、それだけです。たとえ遅れをとったとしてもヴァル様に敵う人間はきっといませんから」
「……はあ。なんでおまえはそう好戦的かな。俺は人間と事を構える気はこれっぽっちもないからな」
「わかってますよ。だけどヴァル様にその気はなくとも向こうはどうだか分かりませんよ」
「だから。そうならないようにゆるくいこうぜって言ってるだろうが」
「……善処します」
言葉とは裏腹に声音は不満げである。
バリーにはあるじの「ゆるく」が気に入らない。なんだってこんなに自己評価が低いのだろう。いや、原因は分かっている。今まで比べる相手がいなかったからだ。
物心ついたときからずっと窖でひきこもり。知っているのはバリーとBBぐらい。人間なんか、おとぎ話に出てくる空想の生き物と変わらない。
そんな生活を千年近くも続けてきたのだ。重傷である。
しかしこれからいくらでも挽回できるはずだ。バリーはそう信じている。
けれど遠くに人間の姿を見つけるたび、あるじの尾が腿に貼り付きそうなくらいひっついているのを見るにつけ、その心は挫けそうになった。
思わずため息が漏れたバリーをヴァルが睨む。
「何だよ?」
「さあ、なんでしょうね」
「……」
癪に障るがヴァルはぐっと堪えた。なんとなく考えは読めている。
(どうせ情けないとか思ってんだろ)
好きに思えばいいさ。ヴァルは開き直る。人間は怖いが、バリーは怖くない。
「ここか」
地面に埋め込まれた石畳と標識を見比べ辿っていけば通用門には迷わず向かうことができた。途中、すれ違う女学生グループに遠巻きにされたり、これでもかとこちらを見てくる学生の存在を無視したりしながらここまで到着した。
前途は明るくない。
いったい街に出たら何が待っているのだろう。
期待と不安に胸を膨らませて、ヴァルは通用門の係員に外出許可証を見せた。
通用門から道なりに進むと「ようこそ学生たち」と書かれたアーチ型の看板が見えてくる。
「ここから学生街のようですね」
バリーが分厚い手引き書の表紙をめくったところにある簡略図を眺めて言う。律儀に持ってきているあたりが彼の正確を表している。
パラデウムでは学園に入学できる歳に制限は設けられてはいないが、多くは十代から二十代である。
学生街は学園内の規則から外れるため原則、制服たるローブを纏う義務がない。だから黒色のそれを見つける方が難しく、しかも学生以外の立ち入りを禁じているわけでないから、学生かどうかを外部の者が見分けるのは至難だ。
ここは学生の息抜きのために作られた場所。
流行品を売る店や、濃い味付けの料理を売る店が並ぶ。学生のための、健全な匂いのする建物。中には羽目を外した店もあるのだろうが、おそらくそれもある程度認められた範囲なのだと察せられる。
不健全さえ管理された街。
そんな印象をバリーは街から見受け、また嗅ぎ取った。そこかしこから漂う匂い、人いきれ、そんなものが混じり合って織りなす街の匂いは嘘がつけない。そこで生活するものたちを現している指標である。
「机に齧り付いているだけでは学べないこともありますからね」
「へえ、」
気のない返事をしてヴァルはバリーの手元を見た。
簡略図には番号が振ってあり、余白にどの番号が何の店であるとか、限られた文字数で補足されている。
「どこか寄ってみたいところあります?」
「んー……、おまえは?」
「わたし、ですか?」
「だって俺、店とかよく分からんし、でもお前はそういうの分かるだろ?」
飲食店は少し気になるが、そも人間のような食が不要でかつ味も分からないのに立ち寄っていいものか。そんなのでよく来たなと怒られるかもしれない。嫌がるかもしれない。迷惑がられるかもしれない。
気にせず押し入ることはできる。ヴァルだって闇のものだ。己の欲求に忠実な生き物だ。でも、だけど。何だか嫌だと一度思ったら、足は重い。
「たしかにヴァル様よりはそうですけど……わたしが知っているのは千年は昔なんですよ? 当時だってこんな立派な街とは無縁でしたし」
謙遜ではない。本心だ。
「んー……んー……どうするかな」
あてもなく、ヴァルたちはぶらぶらと通りを歩いた。
店を遠巻きに眺めているだけでヴァルは十分楽しかった。これが人間の街か。そう思うだけで心が浮き立った。
バリーは隣で、そんなあるじを微笑ましく思っていた。
一方、通行人たちはヴァルたちをあからさまに避けた。近づいてくるのが見えると距離を開けるように道端に寄り、軒先に立つ売り子は目を逸らした。
予想通りの展開にヴァルは尻尾を逆立てながら歩く。怒りはない。怯える余り警戒心むき出し状態なのである。
(……はいはい。お前らの大嫌いな魔族様が通りますよー、何にもしませんよー)
取って食ったりしないから、もっと自然にしてくれればいいのに。
「ヴァル様、心の声漏れてますよ」
「え、」
「ほんとです」
「……もうやだ」
「情けない声出さないでくださいよ」
「……だって怖いんだもんよ」
真面目に訴えたら、情けないものを切り捨てるような冷たい目で見られた。
こいつ仮にも従者を自任してたよな……恨みがましくバリーを睨め付けるも、バリーはどこ吹く風とばかりに受け流す。
しばらく進むと「忘れ物に気をつけて」と書かれたアーチ型看板が見えてくる。
学生街の終点だ。しかし道は続く。結局どこにも立ち寄らないまま終点まで来てしまった。
もういいのかとバリーが訊いてくる。いいんだとヴァルは返す。また来ればいいのだ。今日は下見の下見だからいいのだ。決して逃げの言い訳ではない。
看板の下をくぐり、またしばらく道なりに進むと次の区画が見えてきた。
学生街が整った街だとするなら、そこは継ぎ接ぎの街だった。建物の外観はばらばらでちぐはぐ、鮮やかな屋根の隣に錆びたトタン屋根が並んでいたり、明らかに建て増ししたと分かるように壁に色が違う家がある。
バリーが例の冊子をめくる。
彼の手は獣のそれと人のそれの特徴が合わさったもので、形だけは人と同じなのでこうして紙をめくるのにも困らない。ただ毛が抜けるのでその辺には神経を使う。
「生活区、ですか」
パラデウムの国土の大半はこの部分である。
国の最高機関を兼ねる学園を囲んで、樹木の年輪のように層で構成されている。大雑把に生活区と括って冊子は説明いているが、生活区は層ごとに実は特色がある。学生街はその中に作られた特別区域だ。
パラデウムで家を探すならここに行けと、冊子の簡略図にはビッキーによって印をつけられた場所がある。
住居には大家という持ち主がいるからまずそこに話をつけにいかないといけないらしい。勝手にどこでも住めるわけじゃないのだと説くビッキーに、なんか面倒だなとヴァルは思ったものだ。
「……ヴァル様」
「なんだ?」
「そのですね。もうここで、この国で生活していくんです?」
「んー……」
こちらを伺うような視線を前に、ヴァルは意識して己の首に手を回し、触れた。そこにある見えない枷はおそらく国外でも有効なのだろうと思われた。
バリーの言いたいことは分かる。
世界はパラデウムだけではない。そしてヴァルはまだ世界をよく知らない。
「……じゃあ、バリー。おまえ、どっか行ってみたいところある?」
意見を求められると思っていなかったからバリーは言葉に迷ったが、気持ちだけはあった。
「……わがままを言えば一つ。でもヴァル様の向かう先のついでで構いません」
「それでいいのか?」
「ええ」
ヴァルはバリーの目を見た。嘘は言っていないようだ。
「覚えとく。……まあ、今日は下見だし。俺には何もかもが目新しいからさ、まだ判断基準が定まってないわけよ。だからさ、なんだ、気長につきあってよ」
「言われずとも、いつだってあなたのそばにいますよ」
「あー、はいはい」
恥ずかしげもなく言われる文句を聞き流すのももう馴れたものである。
「なあ、バリー」
「なんです?」
「人間の街、懐かしいか」
急な質問にバリーは言葉もない。
気になったから訊いてみた、それぐらいのものだろうと思われたが、バリーを動揺させるに十分すぎる言葉だった。
それとも自分を案じてくれたのだろうか。
人間の主従関係が闇のものにあてはまるとは限らない。むしろ当てはまらないことの方が多いだろう。そもそも闇のものには多少の同属意識はあれど、基本は下克上もいいところであり、主従関係の成立は難しい生き物だ。
だからバリーは自分があるじから心配されているなんて思わない。
「そうですね。懐かしくないと言ったら嘘になりますけど……、わたしもパラデウムは初めてですからね。……こんな綺麗なところ、わたしは知りませんから」
「ふうん?」
「ええ――」
バリーは瞬きの中に手の届かない地を垣間見る。
記憶の中の景色はきっといまはもう同じ形をしていない。列車を見たときバリーは強くそう感じた。千年前、そんなものバリーは見たことも聞いたこともなかった。
新しいものが生み出されれば、古いものは消えていく。変わらないものの方が少ない。
「おまえ、そこに行きたいの?」
バリーは瞠目した。
どうして分かったんだろう。想い出と、この街を比べていたこと。
するとヴァルが得意げな顔でふふんと笑った。
「何年の付き合いだと思う? そこがどこかは知らないけどな、お前の考えてること当てるぐらい簡単なんだよ」
バリーの心は震えた。
ああやっぱり何があってもこの先もついていく――単純とも言えるが、バリーは直感を信じる男だった。
さあいくぞと、促され歩みを再開する。
あるはずのないバリーの尾がぶんぶんと左右に揺れるのが、今なら見えるようだった。




