禁煙記念日
「今日を禁煙記念日にしたよ。」
煙草を吸おうとライターを手にした時だった。テーブルを挟んだ向こうで、先ほどからカレンダーとにらっめこをしていた彼女が顔をあげたのは。久々の休日を家で過ごすと決めたのは彼女だ。見たい番組でもあるのかとTVをつけていれば、やってきた彼女は床に座るなり、TVに背を向けて、にらめっこ大会を開催。赤ペンで日付をぐりぐりと丸付けしながらなにやら書きこんでいる。禁煙という二文字に眉を寄せながら、両手にもったブツへ自然と目が行く。左手に煙草が一本、もう片方の手にライターが一つ。今まさに火をつけようと天を向く右手の親指がなんだか酷く情けない。
「・・・喫煙記念日ね。じゃ、遠慮なく。」
「うん、禁煙記念日って、煙草吸っちゃダメだってば!」
うるせーなぁ。火をつけた煙草を口にくわえながら応えると彼女がペンを放り出して、慌てたようにこちらへ手を伸ばす。ひょいっとその手をかわせば、テーブルに邪魔されてそれ以上進めないのか、もう!と牛のように唸った。ここは窓際だし、ちゃんと喚起もしてある。なんだって突然、記念日が決められたのか、俺には皆目見当もつかなかった。それでも彼女には大切な記念日らしく、いつも以上にしつこい。
「煙草、ダメ!」
床に転がる赤ペンを跨いで、彼女が傍まで接近しながら再び手を伸ばす。チっと舌打ちをして、煙草を消すために床に置いている灰皿へとそれを押し付けながら、伸ばされた手を引き寄せた。油断していたのか、あっけないほど簡単に腕の中へおさまった身体。小さい顎を上向かせて、驚いたのかひらいたままの唇をかぷりと食べる。
「ちょ、な、ンン!?」
咄嗟に肩に置かれた手のひらがぎゅっと拳を握るのが服越しに分かって、ふっと吐息だけで笑って、キスから解放してやる。
「なんで、君はそう・・・もういい!」
抵抗する前に解放された彼女の拳が行き場を失って宙に浮いていた。反転させて後ろから抱き寄せても、その手はまだ握りしめられたままだ。膝の間で小さくなっている彼女に気をよくした俺はTVを見る振りをして、その拳をじっと見ていた。二人分の沈黙をテレビ番組の陽気な笑い声がごまかす。でもこの空気が嫌いじゃない。握った拳の理由は、彼女の心臓の音が彼女の赤くなった耳が教えくれる。
「煙草、やめてもいいぜ。」
「え、本当?」
少しの間、彼女が落ち着くのを待つ。
「うそ。」
「もう!」
また牛のように唸った彼女を笑いながら、多分近いうちに禁煙するだろうと、遠くない未来を想像した。