ティラミス
重たい話が、苦手な方は引き返すことをお勧めします。
よかったら最後まで読んでいただけると嬉しいです。
題名の意味は、「私を引き上げて」です。
秋は、必要ない?秋いらない?どうして、秋は女の子なの?どうして男の子じゃないの?誰にも悲しんでほしくないのに、秋の存在がみんなを不幸にするの?
夏の夜。
秋は、パジャマ姿のまま、はだしでコンクリートの坂を下る。
夜とはいえ、うだるような熱気は健在。
じっとりと肌を濡らす。
秋が悪い子だから、お父さんとお母さんは喧嘩するんだきっと!
秋のせいなのに、どうして何も悪いことしてないお母さんがお父さんにどなられなければいけないの?
秋さえいなければ、きっとみんな幸せだったんだ。
秋が全部壊したんだ!秋が奪ったんだ!みんなから幸せと笑顔を……
「ご、めん、な、さい」
幾度同じ言葉を口から洩らしただろう。心の雨はやまない。やまないどころか次々とふりだし、秋の頬を濡らす。
季節は夏だというのに心は、ずっとどんよりと重たい灰色の雲で覆われていた。
小さな雲が集まってそれがどんどん散り積もった。やがて、雲行きは怪しくなり、ついに雷まで鳴り出してしまったのだ!
「生まれてきてごめん、な、さい」
走る、走る。月の光が照らし道を転がるように下る。
耳にこびりついて離れないコエを振り払うように、幾度も幾度も頭を振る。
大好きな二人の互いをののしる言葉。
激しくうねる感情。
わずかに漏れ出る光源が室内で喧嘩する二人のシルエットを秋に見せつける。
もうやめて。喧嘩しないで。私なんかのために二人が傷つけあうなんておかしいよ。秋の見ている前では、二人は仲好かった。あれは、幻だというの?わからなくなってきた。秋の頭で理解なんてできない言葉が飛ぶ。
それでも、秋にでも理解できる言葉だってある。
秋に見られていることを知らないふたりのけんかは、ヒートアップするばかりで一向に冷める気配がないと思えた。
「私にばかり、嫌われ役を押し付けてあなたは甘やかす!もういい加減にしてよ!」
涙にぬれたお母さんの言葉。今までため込んでしまっていたもの。それを、お父さんにぶつけていた。我慢に我慢を重ねた結果、ついに破裂した風船みたいに。
胸がキューって締め付けられる。どうしてかわからないけどすごく凄く苦しかった。陸に迷い込んだ魚のように秋は口をパクパクとさせる。
「お前なんかと結婚するんじゃなかった!」
そういった父の言葉が、秋の心に氷のナイフを突き立てた。ものすごく冷たくて低い声だった。秋は、いままでこんなふたりの話し方聞いたことなかった。
秋にだってわかる。お母さんとお父さんが結婚しなければ、愛し合わなければ、秋がいないということくらい。
さっきのお父さんの言葉は、秋の存在の否定、拒絶の言葉。
つま先が、路上に転がった丸く冷たい何かに当たる。足がもつれ、固い地面に衝突しそうになる。
あわてて、両手で顔を覆うように転ぶ。
ぱふっ。
細かな粒が、舞う。
痛みを覚悟してぎゅっと寄った眉。
しかし、予想に反して痛みはなかった。
口の中にじゃりじゃりとした感触と塩っ辛さを感じた。
「ずなっ、ばいっだ」
ぺっぺっと、入った砂を出す。まだ、口の中がじゃりじゃりする。
後ろを振り返り、空き缶につまずきいつの間にかたどり着いて砂浜に倒れたことを知った。
一心不乱に走り続けた秋は、自分が坂の頂上から坂の終着点にたどり着いていたことを今ようやく気が付いたのだ。いつの間に、海にまで走ってきたの?
ざざん ざざん
波の音が聞こえる。
秋はゆっくりと波に近づく。
夜の海 月の月光 静寂の中の波音
「綺麗。広い」
一つの芸術品のように美しい景色は、魔性を秘めている。
足裏に感じる砂の感触が、いつの間にか、湿ったものへ変わっていく。
先の見えぬ海をわずかに照らす銀色に輝く三日月は哂う。
一歩また一歩と海に近づく。
強い塩の匂い 寝息のような波の音
秋の思考を麻痺させていく。
左足の先が生暖かい液体に当たる。
ざざあんと波しぶきが秋に降りかかる。
秋は、白波に手招きされるようにまた一歩海へ足を踏み入れた。
ぼんやりとしている秋の意識に白波は囁く。
こうすればいいんだ。こうすれば消えられる。こうすればいなくなれる。
みんな幸せになれるんだ。
唄うように、手招く。
必要としてほしい。愛されたい。そばにいてほしい。助けてほしい。苦しい。悲しい。誰でもいいから、助けて!でも、できれば、助けてくれるのは、家族がいいな。
秋の胸に開いた大きく黒い穴をめがけて海水は流れ込んできた。生ぬるく弾力のある水が、秋の進行を押しとどめようと足掻く。
夜空に浮かぶ三つの離れた光の星は、まるで今の秋たち家族みたいだった。手の触れられるほどに近くにいてもあの空のように、離れていた心。そばにいたのに、秋は、気が付かなかった。お母さんが、大変な思いしていたのを、つらかったのを気づいてあげられなかった。もし気が付いていたら、秋は、もっといい子になろうと頑張ったよ。
波の音が強くなる。
また一歩前へ足を進める。
秋は、おかあさんもおとうさんも大好き。だから、ずっと仲良くしていたいの。
「おかあさん。おとうさん」
ふたりを想い、星を見上げていたせいで秋は気が付かった。
がくん
身体が傾く。段差を踏み外した。
足がいきなり届かなくなった。
えっ、何?
状況が呑み込めなかった。秋は、髪の毛の一本まですべて海水につかってしまった。つまり、顔も海の中ということなのだ。息ができないことに、気が付いた秋は、息をしようともがく。
「おかあ、さん。たすけ、て」
水面に顔を出せたと思ったら、また沈む。その繰り返しだったけど、それも長く続かない。秋の体力はそんなにないのだ。口の中に遠慮なく侵入する海水の塩っ辛さが、これが悪い夢ではなく現実なのだといやでも知らせてくる。
迫る白波をみて秋は、目を見開いてそれから助けを求めて、手を伸ばす。お母さん、お父さん、爺ちゃん、ばあちゃん!せんせい!誰でもいいから、秋を助けてよ!お願い神様、いい子にするから、もう皆を困らせたりしないよ。いい子にするから助けて!こわいよ。凄く怖いよ!助けて。
がほっ
息ができない。苦しかった。
あうっ。
ごめんなさい。たすけて。悪いことしないよ。だから、苦しいのから助けて。
死んじゃうの?死にたくないよ。秋、生きたいよ。
波の音は囁く
こうすれば、心の苦しみから逃げられるのだと。もう傷つかなくて済むのだと。
「シニタクナイヨ」
楽になれるかもしれない、それでもまだやりたいことだったたくさん残っている。最後の悪あがきで、手を伸ばした。
ダレカの声を聴いた。それは、幻聴だったのかそれとも本当にダレカの声だったのか。
確かめる前に、秋は気を失った。
ボコボコボコ
海の中に気泡が生じた。
「生きろ!そんな年で死ぬなんておかしいだろう!もどってこい」
ダレカの必死な声。すごくすごく一生懸命に呼び止めるの。やめて、こんなにここはふわふわしていて気持ちがいいのに、呼び戻さないでよ。そっちは嫌なことがたくさんあるし、イタイし、苦しいんだよ。やっと、苦しいのから逃げられたのに、どうして引き戻すの?
「生きろ!」
煙草とお酒が入り混じった呼気がふきこまれる。
そのあんまりさに、秋は目を見開いた。
「ゲホゥッ」
海水を吐き出そうとする。
口の中が塩っ辛いし、口が変なにおいでいっぱいになる。
「よかった」
ダレカの安堵の声
吐き出したものが、またはいらないように態勢を整えるのを太くしっかりとした大きな腕が助ける。
「うっ、げほっ」
男が差し出した袋に、胃からせりあがってきたものを吐き出す。
口の中が変な味でいっぱいになる。
目の前に、ペットボトルを渡される。
「ゆずいどけ」
ぶっきらぼうな男の声に従い、秋は水で口をゆすぐ。
口の中がだいぶすっきりした。
「ありがとう」
秋を助けてくれたのはこの人だよね。
「おう。嬢ちゃん、なんでこんな夜中にひとりで海におぼれていたんだ?」
そう尋ねる声音に、責める様子も怒る様子もない。気遣う声音だ。
「秋は、必要ある?」
名も知らぬ男に尋ねる。
「はぁ?あるにきまってるだろう。この世に、必要ないものなんかないぞ。この世に存在するありとあらゆる物事に意味っていうのはあるのさ」
全部に意味があるというのなら、秋が生まれたことにも、秋が消えようとしたことも、秋が助けられて今こうしているのもすべて意味があるの?お母さんが泣いて、お父さんが鬼みたいに怖くなって、二人が喧嘩していることにも全部必要なことなの?
「秋は、いていいの?消えなくていいの?」
すがるように男を見る。男の名前を知らないことに、秋は今頃気が付く。
「いていいのかって?そうだな、まずいだろうよ」
えっ、ダメなの。秋は、いちゃダメ?ならなんで助けたのよ。
名前も知らない男の人にこれほど苛立ちを覚えたのは、初めてだった。秋は、秋を助けてくれたヒーローに期待していたんだ。だから、その期待を裏切られて感じがしたの。
二カっと笑いながら、秋の絶望に落ち込んだ表情を吹き飛ばす。
「嬢ちゃん、夜遅くに子供の一人歩きは、ダメなんだぞ。はやく、ママとパパのとこに帰らなくちゃ心配して、譲ちゃんのママとパパの心臓止まっちまうぞ」
お母さんとお父さんは、秋がいなくなったことに気が付いてくれるかな?秋がいないことに気が付いて探しに来てくれるかな?秋を見つけてくれるかな?もし、いなくなってせいせいしたって思われていたらどうしよう。
「秋、見つけてくれるかな?嫌いにならないかな?」
無精ひげを生やし、よれよれのTシャツを着た男の人は、さあなっていうだけで、ポケットから煙草を取り出す。大人って、なんであんな煙いものを吸いたがるんだろう?
「嫌われたくないのか?」
「うん」
「なら、好きでいてもらえるように努力していれば大丈夫だろ?」
「どりょく?好きでいてもらえるようにするための努力って何をするの?」
「自分で考えてみろ」
なんだろう?どうすれば好きでいてもらえるの?いい子にしていればいいのかな?
「わかんない」
「そうか」
「答えおしえてもらえないの?」
「ああ。嬢ちゃんが、嬢ちゃんの答えを見つけるんだな。答えは一つじゃないんだぞ」
「うん、やってみる」
秋の答え。よくわからないから、秋は、どんなのが好きだろう?そう、考えてみる思い浮かぶのは、朝のテレビアニメの主人公だった。
「秋が好きなのは、強くてかっこいい子」
「強さか。それは、ただ腕力が強いだけじゃだめだぞ」
「そうなの?」
「あぁ。心も強くなければな。優しく強く柔軟性を持つ心がいいな」
「うん。がんばる」
「あぁ。嬢ちゃんはさ、塩っ辛い海水でのどヒリヒリさせて、おぼれていっぱい苦しんだんだろう。弱い嬢ちゃんは、だから強くなればいいさ。もうそんないやな思いしなくて済むようにさ」
強くなれるのかなぁ。秋は、今までの秋が弱いことも知らなかった。
煙草を吹かす男は、秋を見ているようで見てなかった。
まるで、秋越しに誰かを見ているみたい。
「ふぅっ。お前は、きっと将来美人な女になる。こんなところで死んじまうのはもったいないぞ」
そういって、ポンポンと頭をたたく。
なぜか無性に泣きたくなった。
「おい、なんでなく!せっかくの顔が台無しだぜ」
あわてた様子。なんでこんなに悲しいの?涙ちゃんが勝手に出てきちゃうよ。いやだ、出てきちゃダメ。
「秋羽。大江 秋羽。おじさんは?」
「ん、俺か?俺は、通りすがりのただの酔っぱらいのおっさんだ」
「なまえないの?」
「あるぞ」
そうやって会話している間にも涙は出てくる。ほっぺたに流れるしずくを舌でなめとるとしょっぱかった。海は、もしかしたらお空にいる死んだ人が生きた人のことを思って泣いた涙の集まりだったのかな?生きている人が、死に急ぐからそれを悲しく思うのかな?
「おしえて。教えてくれないと、勝手につけちゃうよ」
「いいぞ、勝手につけてみろ!」
不敵に笑う男のひと。いのちのおんじんっていうやつだってちゃんと理解したのは、秋がもう少し大人になってからだ。
「海男」
「はぁ?うみおとこって、海であったからっていう理由か?」
「うん、だって海の似合う人だもん」
「そうかぁ?」
胡散臭そうに、顏をしかめる海男をみて、どうして涙が出てきたのかわかった。あんしんしたんだ。やっと怖いのから、つらいのから助けてもらえたから嬉しかったんだ。助けてって言ったら助けてくれた。やさしいやさしい、秋のヒーローは、秋の両親が秋を発見するその時まで一緒にいてくれた。
澄んだ冷たい風が、頬をなでる。
人気のない海に一人の女が、小瓶を抱え訪れた。
小さな小瓶には、真っ白な便せんが赤いボンで結ばれ入っていた。
あの時と同じように海は、穏やかな寝息を立てている。
女は、野球のボールを投げるようにつよく小瓶を放り投げる。
海に波紋が広がる
眠りを邪魔されたのを怒るような、大きな波。
小瓶を波に向かって投げると女は気が済んだのか満足げに微笑み背筋をまっすぐと伸ばし去っていった。
女の去っていた海には手紙のはいった小瓶がゆらゆらとたゆたいながらしばらく浮いていたがやがて見えなくなった。
思春期の子どのたちの傷つきやすい柔らかな心ににどうか周りの大人は気が付いてあげてください。心ない一言が氷の刃となり幼子の心に血を流させ凍らせているかもしれないという可能性にどうか気が付いてください。そして願わくは、助けを求めているものに手を差しだし、引き上げてください。ヒーローを求めて伸ばした手を掴み取ってあげください。私は、手を指しのばせるような人間になりたいと思う。なぜなら、私は引き上げられた人間だから今度は私の番。私の次は誰の番かしら?
大江 秋羽より
名も姿も知らぬ誰かへ
私は私のヒーローを永遠に忘れない
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