4.入門試験と不干渉原則
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「囚われのエルフを連れて来な」
美人の女店主は小ビンをカウンターテーブルに置くとそんなことを言った。
あまりにも唐突な物言いに思わず引きつった笑みが出てしまう。
だってさあ、ねぇ?
俺が雇ってくださいって言ったらその答えがエルフ連れて来いって……会話が成り立ってないよね、これ。
まあ店に入って初めて喋った言葉がここで労働させてください!な俺も大概だけど。
「……えっと、それはどういう意味でしょう?」
「どういう意味も何も言葉のまんまだよ。あたしの客の中にエルフを監禁している疑いがある奴がいてね。あんたにはそのエルフを助けに行ってもらう」
「な、なんで?」
助けたいなら俺なんかに任せず自分で行けばいいじゃないか。そう思って訊ねたのだが、
「なんでって。そりゃあんた、あたしが必要としているからに決まってるだろう」と女店主は答えた。
ダメだ。話が通じている気がしない。
女店主はがっくりとうなだれる俺を無視して続けた。
「それに、だ。あたしの弟子になりたいのならそのくらい軽くこなしてもらわなくちゃ困る」
「……弟子?」
弟子ってなんだ、初耳だぞ。
「ん?ここで働きたかったんじゃないのかい?」
「いえ、ここで働きたいとは言いましたけど、弟子になりたいというのは言ってないです」
「あのねぇ。魔法屋で働きたいって言ったらそりゃ魔術師の弟子になりたいって意味だよ。そんなことも知らなかったのかい?」
そ、そうだったのか!
そう言えば前世でも昔に丁稚奉公なるものがあったような気がする。
しかし魔術師の弟子か。すごくいい響きだな。
それに魔術師に師事すればいずれ魔法も上手に使えるようになるだろう。そう考えればいい話かもしれない。
「……そう、ですね。弟子になりたいです」
「じゃあやれ。上手くいったら弟子にしてやる。給金も出すぞ。まあ小遣い扱いになるが」
つまり囚われのエルフを助けるってのは魔術師の弟子になるための入門試験といったところか。
「うーん……」
しかし、助けると言ってもいったいどうやって助けるんだ。
自慢じゃないが今の俺は10歳のガキだぞ。
前世分の経験があったとしてもそんな大層なことが出来るとは思えないのだが。
それにその囚われのエルフとやらがどこに閉じ込められているのか知らないし、助けに行く上でどんな危険があるかも分からない。
魔術師の弟子という報酬は確かに魅力的だが何か危険な匂いがする。
俺がリスクとリターンを秤にかけてうんうん悩んでいると、美人店主が付け加えるように続けた。
「なあに、確かに危険はあるかもしれないがその分サポートの方は十全にやらせてもらうさ。あんたが使えそうな装備や魔法なんかも貸してやるよ」
「……魔法?」
「ああ、そうだ。見たところあんたにはそこそこ魔力があるようし、せっかくだからとっておきの魔法を使えるようにしてやるよ」
「乗ったッ!」
魔法が使えるという言葉を聞いて俺は思わず叫んでしまった。
美人店主はそんな俺の反応を見て紫色の口唇をにんまりと歪めた。
しまった!早まったか!
俺が自分の失言に青褪めていると女店主は満足げに頷いた。
「そうかそうか、やってくれるか。うんうん、やっぱりこのネメア様の弟子になるやつはそうでなくっちゃね。あんた、見所あるよ。あたしの目に狂いはなかったな」
「あの、やっぱり今のは無しということには……」
「出来ないね。諦めな」
「…………はぁ」
時すでに遅し。覆水盆に返らず。俺は自分の迂闊さを呪うことしか出来なかった。
《不干渉原則》。
それは裏通りの店における物品の売買を行う際に自動的に発生する約束事で、取引を行う両者の《個人的な事情》には不干渉でなくてはならない、というものだった。
それはどういうことかと言えば、明らかな盗品を売りに来ようが不干渉、発禁された物品を買いに来ようが不干渉、つまりは取引される物品に何らかの犯罪行為が関与する疑いがあろうが関わってはいけない、ということである。
このルールを破るということは裏通りの店を陰から牛耳る《闇市組合》を敵に回すということだ。
もしこのルールを破ったことが組合に知られたら、口封じのために合法非合法を問わぬあらゆる手段をもってして関係者一同叩き潰されてしまうだろう。
また、《闇市組合》が提唱する《不干渉》とはどういう定義なのかと言えば、取引者もしくはそれの依頼を受けた第三者が、取引相手の《個人的な事情》に関与してはならない、というものである。
そういうわけでこの女店主は、助けに行くことが出来ない自分の代わりにこの俺をエルフの救出に向かわせようとしているらしい。
その話を聞いて俺は頭が痛くなるのを感じた。
「あの、これって思いっきり違反項目に抵触してません?」
そう。先ほどのやり取りは完全に不干渉原則に反している。抵触と言う言葉を使ってオブラートに包んで言ったのだがもろアウトであった。
「ん?いったいどこが抵触してるって言うんだい?」
しかし俺の言葉を聞いた女店主はそうは思ってなかったようで、不思議そうな顔をして聞き返してきた。
「その、依頼を受けた第三者ってところが……」
俺の言葉を聞いて女店主は嗤笑を浮かべた。
「は、馬鹿かあんたは。あんたは自分の力を示すために《自発的に》囚われのエルフを助けに行くんだ。自発的って言葉の意味は分かるか?自分から進んで、って意味だ」
「はぁ、自発的……」
店に入ってからのやり取りはいったいなんだったのか。俺の記憶違いでなければ明らかにこの女店主に命令されてたような気がするのだが。
「あたしはあんたに《弟子になりたいなら囚われのエルフを連れて来い》という、《弟子になるための条件》を提示しただけに過ぎない。それをやるかどうかはあんたの自由意志だし、どう解釈するかもあんた次第だ。それにあたしはあんたに情報や装備、魔法などを売ったり貸与したりするがそれはあくまで《客》としてだ。お客同士が互いの個人的な事情に干渉しようがルール違反にはならないしあたしにもそれを止める義務はない」
むちゃくちゃだ。屁理屈にもほどがある。
だが、この人ならその屁理屈を通してしまいそうな気がするのも確かだった。
「どうしても自発的に助けに行く気分になれないって言うなら、自発的に助けに行きたくなるような話をしてやる。聞け」
そう言って女店主が語り始めた話の内容は、この店に三日に一度エルフの血を売りに来る男の話だった。
「……なんだ、それは。酷すぎる」
話を聞いて俺は静かに怒っていた。
自分の利益のために何の罪もないエルフを監禁して無理矢理血を搾取するなど非道にも程がある。到底許せることではない。
加えてそのエルフが衰弱しているということは拷問や虐待を受けている可能性もある。
そのことを考えるとはらわたが煮えくり返るような思いだった。
「その様子を見ると、どうやらやる気になってくれたみたいだね」
「ああ、やるよ。やってやろうじゃねえか。不干渉原則なんて知ったことかよ。もしぐだぐだ言う奴がいたら俺が叩き潰してやる」
俺はこのエルフを助けに行くことに決めた。
魔法屋の店主に頼まれたからとか弟子になるための入門試験とかそういう次元の話ではなく、俺が俺の意志で助けに行くのだ。
そこに誰かの意志を介入させるつもりはない。
「よし、いい返事だ。じゃあ、早速救出のための準備を始めようか。ついて来な」
俺の意志が固まったことを確認した女店主はにんまりとした笑みを浮かべて立ち上がった。
「そういや自己紹介がまだだったね。あたしはネメア。この店の店主だ。あんたは?」
女店主――ネメアの放った問い掛けに、レイノルド=クランディアでも宇津木邦孝でもない俺は、新たな名前を答えた。
「俺はイド、スラムに住み着いたただのガキさ」