3.魔法屋と気色の悪い男
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「へっへ、姐さん、また持ってきやしたぜ」
魔法屋の店内で、カウンターの前に立つ小汚い中年の男が薄笑いを浮かべてそう言った。
手には小ビンを持っており、その中には赤い液体が入っていた。
「ああ、いつも悪いね」
魔法屋の女店主はそう言って男から小ビンを受け取った。
小ビンに入っているのは血液である。それもそれはただの血液ではなく、エルフと呼ばれる種族から採取された血液だった。
エルフの血には妖精の成分が多分に含まれており、高く取引される。
女店主は机の抽斗から感応紙を一枚取り出すと、ビンの栓を抜き、ピンセットを用いて中の液体に浸した。するとみるみるうちに感応紙は芒洋とした水色に染まっていった。
感応紙はさまざまな種類があるが今女店主が使ったのは妖精の力に感応して色を変える紙で、血液に含まれる妖精の成分が高ければ高いほど色は濃さを増していくという代物である。
変化の具合を見ると男が持ってきた血液はあまり妖精の成分が含まれていないようだった。
エルフの血に妖精の成分があまり含まれていないというのは、採血元であるエルフが混血であるか、もしくは何らかの原因で衰弱しているかのどちらかの場合が基本である。
そしてこの男が持ってきた血は後者だった。
男が魔法屋にエルフの血を持ってくるのは今回を含めると5回目だ。
最初の頃に持ってきた血はそれなりに妖精の成分が濃かったのだが、今では大分薄くなっていた。
「うーん、前より大分薄くなってるねぇ。ちゃんと栄養とってんの? この子。大分弱ってるみたいだけど」
「へっへ、すいやせん」
女店主の言葉に、男は下卑た笑みを浮かべて頭を下げた。
エルフの血の取引というものは、お金に困った旅のエルフがやむを得ず魔法屋に自分の血液を持ち込むという経緯で行われているのが普通だ。
故にエルフ以外の種族がエルフの血を店に持ち込むというのは誘拐や監禁、殺人に奴隷売買などの犯罪が関わっている恐れがあり、まっとうな商売をしている店ならば出自が不明なエルフの血の取引など行わない。
男の場合も、エルフの血の出自は不明だった。
男は最初に持ち込んだときに「エルフの知り合いに貰った」などと嘯いていたが、プライドの高いエルフが自分の血を他人に差し出すということはまずないので、血を売るための建前であることは明らかだった。
犯罪に関わる取引を行った場合投獄される恐れがあるのだがここは裏通りの店。
裏通りにある店は盗品、発禁品なんでもござれのブラックマーケット。
取引される物品の出自を訊ねるたり気にしたりするようなことはご法度である。
「これじゃ銀貨一枚がいいとこだね」
「へ、へへ。最初は銀貨が十六枚だったのに今回はたったの一枚ですかい? 勘弁してくだせぇよ」
「いやだったら表で取引してきな。こんなに薄い血だったら銀貨一枚でも多いくらいだよ、まったく」
「……へ、仕方ありやせんね」
女店主はエルフの血の対価として銀貨一枚を男に差し出した。
あれだけ薄い血ならば銀貨一枚でも多いくらいだ。
男は納得していないようだったが、女店主が軽くあしらうと男は渋々銀貨を受け取り踵を返した。
そして男が店を出て行くのと入れ替わりに襤褸切れを纏った子供が店に入ってきた。
俺が魔法屋にいざ入らんと扉に手を掛けたときにその男が扉を開いて現れた。
その男は店の前にいた俺に驚いたようだったが、俺の全身を舐めるようにして視線を這わすと一転して気持ちの悪い笑みを浮かべ口を開いた。
「へへ。そこに立っていると通れねえよ、お嬢ちゃん」
男の言葉に俺は慌てて飛びのいた。
「おっと、失礼。あと俺は男だ」
「なぁんだ、嬢ちゃんは男、か。……へっ。へへへへへっ」
俺の性別を聞くと男は不気味な笑い声を上げた。きめぇ。
しかしまた女と間違われたか。
鏡を見ていないのではっきりとは言えないが恐らくレイノルド=俺の中性的な容姿と屋敷を逃げ出したときから一度も切っていない頭髪の所為だろう。
そういう嗜好を持つ人物に襲われないよう気を付けなくては。
穴を掘る趣味も掘られる趣味もない。
それにしても気色の悪いおっさんだな。
容姿や笑い方もそうだが一番気色悪いのはこの腐ったどぶのような目だ。
前世にもたまにこういう目をした人間がいたが例外なく畜生以下のクズと言ってもいいような下種ばかりだった。正直あまり関わりたくない。
俺は男の視線から逃げるようにして魔法屋へと入った。
ぎぃっと軋む音を立てて扉が開く。
ここが魔法屋か。
薄暗い店内の左右には棚があり、片方の棚には液体や眼球らしきものなどが入った怪しげなビンが並び、もう一方の棚には古めかしい魔術書らしきものが並んでいる。
他にも宝石や首飾り、髑髏の置物に奇妙な形をした短剣など怪しげなアイテムが見受けられた。
そしてカウンターには店主らしき女が一人。
紫色のローブ、紫色の長い髪、紫色に塗られた口唇……紫尽くめと言ってもいいような風体だ。
しかし不思議と違和感はなく、薄暗い店が持つ妖しげな雰囲気とマッチしている。
年齢は分からないが大人の魅力を放つ妖艶な美女だった。
はぁ……。
まさに魔法屋とも言うべき店内の様子に思わずうっとりと嘆息してしまう。
これだよ、これ! 俺が求めていたのは!
薄暗く雰囲気のある店内!効果の不明瞭な怪しげなアイテム!艶やかでありながら妖しい魅力を放つ美人店主!
「ここで労働させて下さい!」
俺は言った。腰を九十度も曲げて言ってやった。
しかししばらく待っていても何のリアクションも返ってこない。
頭を下げたままちらりと美人店主の方を見遣ると、当の美人店主は俺のことを気にも留めず物憂げな様子で小ビンの中に入った赤い液体を金属の匙でカチャカチャとかき混ぜていた。
無視か?無視なのか?俺は虫以下なのか?
いやあそんなわけがない。
いくらスラムの乞食だからって虫以下はなぁ?
恐らく集中していて聞こえていなかったのだろう。そうだそうに違いない。俺の声が羽虫の羽音以下なんてありえない。
そんなわけで俺はもう一度言うことにした。
「ここで勤労させてくださいッ!」
先ほどよりもボリュームを上げて言ってやった。
しかし反応はない。
ちらりと美人店主を見遣るとまだ液体をかき混ぜていた。
ダメか?俺はダメなのか?蝿以下なのか――?
「エルフ」
「えっ?」
唐突に言葉を放った美人店主に俺は思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。
エルフ?エルフがなんだって?
「囚われのエルフを連れて来な」
美人店主は小ビンをカウンターテーブルに置くとそんなことを言った。
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