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忍ぶ恋文

作者: 柏木一木

 仲原雅之(なかはらまさゆき)が顔をにやつかせながら歩いているのを視認すると、許斐幸一(このみこういち)は、怪訝そうな面持ちでコートのポケットから携帯電話を取り出した。


 電話のディスプレイには、モノトーンの壁紙の上に《12月4日13時3分》と現在の時刻と日にちか表示されている。


「……間違いないよな」


 確かめるようにそう呟いたとき、幸一の姿を見つけた雅之が右手を振りながら近づいてきた。


「幸一ぃ聞いてくれよ……って、メールでも着ているのか?」

「いや、カレンダーを確認していた」


 携帯電話をしまいながら幸一はそう答える。

 それに対し、雅之は呆れたような表情を浮かべた。


「はぁ、なに言っているんだよ。今日は午前様で授業が終わったから、土曜日に決まっているじゃねーか」

「土曜日であることは知っている。ただ、タイムスリップでもしたのかと思ってね」

「ラベンダーの匂いでも嗅いだのか?」

「いや、冬なのに春が来たかのような顔している奴が目の前を歩いていたから」

「それは俺のことか?」

「そのとおり」


 いつものようにムキになって大声を張り上げるかと思ったが、雅之は笑みを浮かべて大笑いし始める。幸一は予想もしない友人の反応に、一瞬狼狽するが、すぐに《何か》があったのだろうと検討つける。


「どうしたんだ? 告白でもされたのか?」


 幸一は直感でそのことを口にしたわけではない。今日のような表情を浮かべていたことは、雅之との付き合いが始まってから五年の間、一度もなかった。そのことを踏まえたうえで、学生生活において起こりうる出来事の中で、友人の身に一度も起こらなかった、彼が喜びそうなものを選んだに過ぎない。

 それがどうやら的中したらしく、雅之は崩れてしまわんばかりに顔面を弛緩させる。


「少し違うが、ほぼ正解だな」


 雅之をうれしそうにそういうと、一通の手紙を突き出した。


「恋文か。今でもこんなことする奴がいるんだな」

「ラブレターって言えよ。お前は何時代の人間だ」

「生まれは昭和だから、時代で考えるならば問題ないだろ」

「ああいえばこういう奴だな」

「読んだのか?」

「いや、まだ。家に帰ってから読むつもりだったし」


 雅之の性格からいって、すぐ読まないのは考えられない。早い段階で見つけたのならば、休み時間に読んでいたことだろう。つまり、帰り間際に見つけたと考えるのが正しい。

 お約束のように下駄箱の中にでも入っていたのか?

 と幸一は検討つけたが、二人が通う学校の下駄箱は扉がつけられていないタイプのものである。普通に入れただけならば通りがかった人に見えてしまう。無理に隠そうとするならば下履きに押し込む以外方法はない。


「どこにあったんだ?」


 雅之の足の裏が醸し出す汚染物の可能性があるラブレターから視線をはずしながら、幸一は雅之に尋ねる。


「鞄の中。教科書に挟んであったというのが正しいな」

「となると、数Ⅰの教科書か」

「そうそう、よくわかったな。いやーまいった。木曜日に出されていた宿題をうっかり忘れて、あの陰険メガネに直後に見つけたから、なんていうの? おみくじ引いて、大凶が出てがっかりしたけど、中には金運絶好調って書かれているって感じ?」


 その言葉を聞き、一抹の可能性が幸一の頭に過ぎった。


「その例えはよく判らないが、言いたいことは判ったから、すぐに読むことを薦める」

「ん? なんだぁ、幸一も中身が気になるっていうのか?」

「気になるといえば気になる。しかし、それは《誰が》ではなく、その内容だ。便宜上彼女とするが、彼女が計算高いせっかちな人間だった場合、最悪のケースが考えられる」

「なんだ、その計算高いせっかちな人間って。人と油じゃねーか」

「せっかちというのは、恋という燃料で暴走し始めた機関車だったという意味だ。そして、計算高いというのは、人目を気にして学校で見つからないように手紙を忍ばせたということを指している」


 幸一の言葉に、雅之は首を傾げる。


「なに言っているんだ? 学校で見つけたじゃねーか」

「お前じゃなかったら、家でその手紙を見つけたはずだ。まあいい。杞憂に終わる可能性は、猫の死体を確認するレベルで存在する。どちらにしても、手紙を読まなければ答えは目の前に現れない」

「……まぁどうでもいいけどさ。でも、手紙は読ませないぞ、彼女に失礼だ」


 そう言いながら、雅之はラブレターの封を慎重に開ける。そして二枚になる手紙を取り出し、読み始めてから数分後、表情を青ざめた。


 雅之のことが好きという彼女は、木曜日の数Ⅰの授業のとき、手紙を鞄に忍ばせることを思いついたのだろう。宿題をするために、家で教科書を開けば手紙を発見するというわけだ。その日は、体育があったため、雅之の鞄に手紙を忍ばすチャンスもあった。

 しかし、問題は雅之が宿題の存在を忘れたことだろう。彼が宿題を意欲的に行う人間ではないことは周知の事実であったので、好きな人間のことを理解していないとも言えるが、それも不幸な偶然が重なったのもまた事実である。

 雅之が陰険メガネという数Ⅰの高松教師は、宿題を忘れた人間に対し、人格を否定するほど説教することは有名であったのが一点。どんなに不精な人間であっても、高松の宿題はやるだろうと勘違いしてもおかしくなかった。

 もう一点は、学業に不真面目な人間にありがちな、机の中に勉強道具の一式を入れたままにすることを、不真面目な人間にも関わらず雅之が行わないからである。


 もともと雅之は、ランドセルの中身を空っぽにしていた子供だった。机の中身は詰め込むべきであるという信念があったのか、勉強道具のみならずゲームなども片っ端から入れていたため、もっとも重い机と、教室を掃除をするクラスメイトから忌み嫌われていた。

 あるとき、その重い机から異臭が発せられていることに、朝早く来た日直に気づく。鼻を押さえながら机の中身をおそるおそる取り出していくと、なにかビニール袋になにかがぼとり床に落ちた。色は変色してすぐにはわからなかったが、一部の特徴から、それが二週間前の給食出たおかずであることが判った。

 その異臭騒ぎが露見したのち、雅之は両親にこっぴどく怒られた。その後、机を常に空にすることを義務づけられ、現在に至るというわけである。

 持ち帰るからには宿題をするに違いない。そう考えてしまったまだ見ぬ彼女のことを思い、幸一は冥福を祈った。


「……幸一、タイムマシン持っているか?」

「作ろうと思ったことがない」

「くそー!」


 雅之は、自身の不精を呪いながら空に向かって叫んだ。

 それから数十分が経ち、雅之も落ち着いてきたのだろう。荒く吐き出していた息が、ため息に変わり、地団駄を踏むために直立に立っていた体が、肩を落とすように沈んでいた。

 その様子を何も言わず見ていた幸一は「やれやれ」と呟くと、力なき指から手紙を抜き取り、中身の文末と手紙を入れていた袋を見始める。


「……ないな」

「……なにしているんだ? 幸一」

「誰が出したのか判れば、事情を説明することができるだろ」

「そ、そうか。いわば、これは事故だ。金曜日、体育館裏へ行こうに行けなかったのだから、しょうがない」


 またベタな場所をしたものだ、と思いながら幸一はため息をついた。


「しかし、名前がないぞ」

「……うそ」

「徹底しているな。もし、途中でバレたときのことを考えた上、名前を書かなかったのだろう。体育館裏に行かなければ相手が判らない。もちろん、判らない人間を仲間達と揶揄することはできるが、もしかわいいあの娘が待っているとしたら、揶揄したとたん関係は途切れてしまう。誰にも知られないように約束の場所にやってくる、と」

「……そこまで考えるものか?」


 雅之は落胆するのも忘れて、呆れたように幸一を見る。


「判らん。少なくとも俺が恋文を異性に渡すならば、それくらいのことは考える」

「……マジかよ」


 その言葉には、幸一と同じことを考える女なのか、という意味が含まれていた。


「もう少しさぁ、直球にできないわけ?」

「直球に告白できないから、恋文という手段を使ったのだろう。たぶん、シャイなんだな」

「シャイか。なら、大丈夫だ」

「ん? なにが大丈夫なんだ?」

「いや、独り言」


 そして、大きく息を吐き出した。


「どうした?」

「知らぬ間にフっているというのは、気分的に悪いな」

「ふむ」


 幸一は、腰に手を当てる。


「確実とは言わないが、彼女が誰なのか検討はつけることはできるんじゃないか?」

「本当か?」

「ポイントはいくつかある。その一、数Ⅰの教科書に手紙を挟んでいたこと。その二、体育の授業のときに手紙を忍ばすことができたこと。その三、雅之の席を知っていたこと」

「それからなにがわかるんだ?」

「数Ⅰの教科書に挟んでいたことから、数Ⅰの授業で宿題が出ることを知っていた人間であること。次に体育のときに忍ばしたという点だが、人目を憚りながら入れるタイミングは体育の授業しかない。体育は数Ⅰのあとだ。すぐに行動に起こさなければいけないことになる」

「その三は?」

「まあ、おまけだな。好きな相手の席とはいえ、下級生や上級生が知っているとは思えない。仮にいたとして、うちのクラスを覗いている人間がいたら、それだけで目立つので判るだろう」

「……なるほど」

「と、うなづくな。今俺は単独犯という前提で考えている。ここで共犯者がいるかもしれない、という可能性を考えてくれないと」

「共犯者ってなんだよ」

「別に内通者でもいい。俺がその可能性を考えていないのは、今日が何事もなく終わったからだ。まあ、月曜日になればまだ状況は変わるかもしれないが、状況が変わればまた検討がつく」

「?」

「考えてみろ。内通者がいたとしたら、彼女が雅之に好意を持っていたことを知り、作戦を参加したことを意味している。彼女達からすれば、お前は実際に会おうとせず、好意を頭から否定して人間となる。それなのに、一言も言ってこないというのもおかしいだろう。もちろん、愛情を押し付けたわけだから、文句を言う権利はないと考えたかもしれない。しかし、人間は頭では考えていても、理性まで制御できる人間はそうはいない。友人のため、という義憤もある。睨む、影口を言う、などの行為を行ってもおかしくない。少なくとも今日はそのようなことはなかった」

「……なるほど」

「以上のことから、人間関係やクラス状況が変化した場合、その中心にいる人間に直接尋ねることで問題は解決。状況が変化しなかった場合は、単独犯と限定し、そこから犯人を特定する」


 12月6日月曜日。

 ショートホームルームが終わり、教室は安堵に含んだ喧騒に包まれるが、一時間もしないうちに幸一と雅之だけとなり、閑散とした様相へ移り変わった。幸一は誰もいないことを確認した後、口を開いた。


「状況は変化なかったことから、単独犯ということで話を進める」

「おう」

「休み時間の間に、別のクラスの人たちに数Ⅰの宿題がいつ出されたのか確認してみた。どうやらうちのクラスが一番最初だったらしい。このことから、うちのクラスか隣のクラスの人間が手紙を忍ばせたという可能性が高い」

「そうなのか? ねえ、数Ⅰ、宿題出るから注意した方がいいよ? という会話があったとは考えないのか?」

「もちろん、そのことを考慮している。体育の準備は休み時間を使う以上、情報を手に入れることができるのは、うちのクラスと準備しているときの雑談で知ることができるかもしれない、隣のクラス――つまり、この二クラスの誰かである、と。そして、注目しなければいけないのは、体育は二クラス合同で行っているという点だ。更衣室がないため、女子は隣のクラスへ。男子はうちのクラスで着替えることになる。そこで判ることは」

「手紙を忍ばすためには、男子が捌けた後でなければならない、ということだな」

「そして、最後までクラスに残っていた人間を探したところ、村岡が時間ギリギリまで教室に居たことがわかった」

「ああ、腹の調子が悪くて、ウンコしていたから遅れそうになった、とか言っていたな。村岡が彼女の姿を見ていたのか?」

「いや、見ていないらしい。しかし、このことから、忍ばせるために体育に遅れた可能性が高いことがわかるだろう。で、実際に遅れた女子が一人居ることが判明した」

「誰だ?」

「弓丘文子」

「へ? 弓丘文子が? 嘘だろ?」

「もちろん、推論を重ねた上での空論であるから正解とは限らない」

「……個人的には信じられないのだが」

「携帯番号教えてやるから、さっさとかけろ」

「……なんで、弓丘の電話番号知っている」

「弓丘に直接聞いた」

「なんだって? テレビに出ないとはいえ、芸能人だろ? そう簡単に教えてくれるものなのか? それに俺とつるんでいることも知っているだろう。敵に塩をやるっていうか、ああ、別に敵っていうわけではないんだけどさ」

「彼女は、俺が携帯電話を持っていることが驚きだったらしい。どうやら、俺はそのときにものすごく傷ついた表情を浮かべたそうだ。自分では判らないのだが、たぶん、いまどきの高校生ならば持っていて当たり前なのに、俺は持っていないと思われたのがショックだったんだろう」

「冷静に自己分析するなよ」

「そのおかげで電話番号を知ることができたわけだ。で、電話かけないのか?」

「……無理。有名人に電話かける根性はねーよ」

「じゃあ、俺がかけよう」

「ちょ、ちょっと待て」


 雅之の制止を無視して、幸一は文子に電話をかける。三コール目で受話器が取った音が聞こえると、彼女の声が聞こえてきた。


『うわ、本当にかけてきた』

「電話とはそういうものだろう、弓丘」

『いや、そうなんだけどね。不思議不思議。実際にね、電話番号を教えてもかけてくる人って少ないのよ。たぶん、わたしが有名人だからなんだろうね。あはは』

「人は目に見えないものに萎縮するものだからな」

『許斐くんはしないの?』

「萎縮しないように勤めているからな」


 文子の笑いのツボに入ったらしく、彼女は大笑いをした。


『あははは、許斐くん。最高に面白いよ』

「本題に入りたいのだが、いいか?」

『本題? なに? なにか聞きたいことがあるの?』

「仲原雅之の件について」


 幸一がそういうと、先ほどまで笑っていたのが嘘のように静かになった。


『――ええと、どうして知っているの……かな?』

「推論を重ねただけだが――」


 その枕詞にし、自分がどうやって文子までたどり着いたのかを説明する。


「というわけだ」

『もしかして、名探偵さん?』

「いや、普通の高校生だ」

「普通じゃねーよ」


 と雅之が沈黙に耐え切れなくなったのか、小さく呟く。


「で、勘違いしてもらいたくないのだが、別に弓丘を脅迫するために電話したわけではない」

「おい、物騒なことを言うな」

『脅迫って……ああーその可能性もあったのか』


 とまた笑う。幸一は、彼女は笑い上戸なのだろう、と意味もなく思う。


『じゃあ、なんで』

「単純な話だ。君の小細工に雅之が気づいたのが土曜日の昼だったので、返事をするにもできなかった。だから差出人を探した」

『へ? 嘘? どうして?』

「君の疑問ももっともだが、これは事実である。で、今俺が電話しているのは、君電話するのが恥ずかしいと雅之が――」

「あ、ええと、仲原雅之です」


 と幸一から奪い取るように携帯をとると、雅之は改まってそう言った。

 幸一は、息を短く吐き出して、電話代分はおごってもらうことを心に決めた。

すべての情報は読者に提示されていません。

なので推理はできませんが雰囲気をお楽しみ下さい。

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