王子様、弟は絶対に渡しません!悪役令嬢の私で我慢してください
(あーこれ、乙女ゲームの世界だわ)
唐突に前世の記憶を思い出したのは、邸に引き取られて来た異母弟の顔を初めて見た瞬間だった。
傷んだ黒髪に潤んだ大きく碧い瞳。プルプルと震える小さな身体はまるで子犬の様。
よく見れば寸法の合わない服の隙間から見える素肌には、所々傷あとが見える。
(虐待……かしら?)
よくもまあ、舐めた真似をしてくれたものだ。公爵家に喧嘩を売ってただで済むと思うなよと、天使のような愛らしい外見からは想像すらつかない暴言の限りを脳内で吐きつつ、アリエノールは異母弟へと近づいた。
「初めまして。わたくしは貴方のお姉様よ」
居並ぶ公爵家の使用人たちに言い聞かせるように、令嬢らしからぬ声量ではっきりと告げる。
目の前で立ち竦んだままの異母弟は、大きな瞳が溢れ落ちそうなくらいに見開いて、びくりと身体を震わせた。
「……ねぇ様?」
見上げる瞳に縋る様な色が見えて、アリエノールの胸がぎゅっと痛んだ。
「そうよ。お姉様よ。貴方はわたくしの異母弟。わたくしたちは姉弟よ」
「……姉弟」
「ええ。もう一人じゃないわ」
「……ほんとう?」
「ダングレイム家の名にかけて誓うわ」
「……っ」
信じていいのだろうか。信じたいと、その小さな身体全部が叫んでいるようだった。
だからアリエノールは、自分よりも小さな異母弟の身体をただそっと抱きしめた。
◇
アリエノール・ド・ダングレイム公爵令嬢。それが今世の名と身分であると気がついた時点でなかなか詰んでるなとは思ったのだ。正直。
(だって乙女ゲームの悪役令嬢なんだもんっ)
まだ前世でやり込んだゲームなら、断罪ルート回避で平穏無事に暮らせばいい。それが出来ないから腹が立ってるのだ。
このゲームは呪われている。
正式名称よりも【呪女】の渾名が浸透しているくらい。
配信直後に重篤なエラーでメンテナンスに入ったかと思えばそのままサービス終了……。
いや、絶対に違う理由だろうと、誰もが思った。けれど大量のクレームもものともせず、二度と配信再開されることがなかった代物だった。
つまり、序盤と粗筋しか公開されず、クリアしたプレイヤーのいない幻の乙女ゲーム……何なら攻略対象すらメインの二人しか明かされていない。それがアリエノールが転生した世界だったのだ。
異母弟がメインヒーローなのを喜ぶべきかどうか、非常に難しいところだ。
しかも粗筋によると、自身は異母弟を虐げて成長した後に断罪される悪役令嬢なのだから。
(まあ、異母弟が攻略対象でわたくしが悪役令嬢だって思い出しただけでもラッキーなのかしら……処刑されるみたいだけどっ!)
ふんっと見事なまでに顎をのけぞらせると、アリエノールは気を取り直して机に向かった。
今日の出来事を整理して、結婚を控え独立した歳の離れた兄に手紙を書くために。
昼間初対面を果たした異母弟のエディアスは、とっくに眠っている。寝顔を見届けてから自室に戻ったアリエノールだったのだが、どうしたものかと随分長い間考え込んでしまっていた。
流石に前世の記憶を全て明かすつもりはない。
かといって見えすいた嘘を吐けばすぐに見破られてしまうだろう。少しでも未来の生存率を上げるためにはここで躓くわけにはいかなかった。
「さてと……気合いが入るわね」
そう呟くと、ふうっと一つ小さく息を吐いて、アリエノールはペンを握り締めたのだった。
◇
《 愛するお兄様へ
すっかり春めいて気持ちの良い毎日ですわね。
テレーゼお義姉様とはお変わりなく仲良くなさっていて?お願いですから愛想を尽かされないでくださいませ。
さて、お兄様のいらっしゃらない邸で一人寂しく過ごしておりましたわたくしの為に、このたび異母弟が引っ越してまいりましたの。
わたくしより三つ歳下でとっても可愛い子ですのよ。お兄様の結婚式にはぜひ一緒に参列したいですわ。
つきましては、お父様とお母様を何とかしていただけますかしら?
異母弟がいるんですもの、お父様もおイタが過ぎましてよ。お兄様はあの子の母親がどんな目にあったかご存知かしら?わたくし虫唾が走りましたわ。
お母様があの子を放っておくわけがありません。どうせご自分にしか興味の無い方なんですから、関わらないでくださればよろしいのに。
子どもは守られるべき存在ですわよね?
遂にお兄様のお手並みを拝見する日が来たのかと、わたくし楽しみで仕方ありませんの。
良いお返事をいただける日をお待ちしておりますわね。
ー追伸ー
もし異母弟を見捨てて一緒に暮らそうなんておっしゃったら、その瞬間にテレーゼお義姉様にお兄様の黒歴史をお届けいたしますわよ。
勿論そんなの杞憂だと笑い飛ばしていただけると信じておりますけれど。
貴方の可愛い妹 アリエノールより 》
◇
「姉上ー!」
アリエノールを見つけた途端に、鍛錬場で険しい顔で剣をかまえていたエディアスの表情が、ぱあっと明るくなる。
成長しても子どもの頃と変わらず子犬の様な笑顔を見せてくれるのだから、わたくしの異母弟は本当に可愛いと、アリエノールもつられて笑顔になった。
「姉上!見に来てくださったんですかっ」
見学席まで走って来たせいか、嬉しさからか、エディアスの語尾は弾んでいた。
「最近特に励んでいると聞いたのよ。エディアスの剣技をわたくしも見たくって」
「そうなんですね!じゃあ俺、もっと頑張らないとっ」
ぶんぶんと、見えない筈の尻尾が振られているのが見えるよう。
共に暮らした年月で培われた姉への親愛は揺るぎなく、エディアスの中で軸として立っていた。
十年前、エディアスの母が亡くなり我が家に引き取ってから、概ね平和に暮らしてきた。
何か起こったとしても、対処は公爵位を継いだ兄に任せれば良いのだから気楽なものだ。
そんな風に至って平和に子ども時代を謳歌してきたアリエノールだったのだが、いよいよそうも言っていられなくなった。
この春、アリエノールと入れ違いにエディアスが王立学園の高等部に入学したからだ。
エディアスの入学、それはつまりこの世界での乙女ゲームの開始を意味していた。
自分の学園生活は無難に過ごせた。
けれどエディアスは違う。
異母弟は攻略対象なのだ。
今後の展開次第では、どんなバッドエンドが待っているかわからない。打てる手は全て打つべきだろう。
そう考えたアリエノールは、わざわざ卒業した学園の放課後の鍛錬場に、生徒の親族として見学に来たのだった。
「エディアスー!始めるぞ」
いつまで経ってもアリエノールの側から離れないエディアスに痺れを切らしたのか、鍛錬場の中央から声が飛んでくる。
「あ、やばっ。姉上また後でっ」
「ええ。頑張ってね」
「はいっ!」
満面の笑みで声の主へと駈けて行くエディアスを見送りながら、アリエノールは手を差し出した。それまで気配を消して控えていた侍女は、意図を察してすぐにオペラグラスをその手に乗せる。
オペラグラス越しに鍛錬場に戻ったエディアスを見ると、エディアスは既に赤毛の少年と打ち合いを始めていた。
赤毛に金の瞳の少年。
この国の第三王子。ジョン殿下。
明かされているもう一人の攻略対象で、エディアスの親友になるはずの人物だ。
オペラグラスを外すと、アリエノールは背後に現れた人の気配に、ふうっと小さく息を吐く。
ああ厄介だ。
本来自分は、面倒事が大っ嫌いなのにと。
けれど嘆いてばかりもいられない。
意を決すると、アリエノールは背後を振り返り優雅にカーテシーをした。
「ご無沙汰いたしております。リチャード第一王子殿下」
気付かれるとは思わなかったのか、へぇと小さく呟いて、目の前の男は面白そうに目を細めた。
長身の体躯に艶やかな長い銀の髪を後ろで一つに結んだその姿は、常に衆目を集める。
二つの紅い瞳は、見つめられれば魂まで魅入られてしまうのではと、実しやかに囁かれるほど、恐ろしいまでに美しい男。
アリエノールと同じ歳の、この国の第一王子殿下。
「畏まる必要はないよ。君と私との仲じゃないか」
「仰ってる意味がわかりかねますわ」
何の関わりもないだろうと言外に込めて、アリエノールは困ったように首をかしげる。
「そんな悲しいことを言わないでおくれ」
僅かに眉を下げ、わざとらしくアリエノールに潤んだ視線を向けるリチャードの姿に、様子を窺っていた周囲がざわつき出した。
(面倒ね)
素早く周囲を確認すると、リチャードのすぐ後ろに控えている護衛は四人。どれだけその他大勢が騒ごうと安易に近づけはしないだろう。
「殿下」
ほんの少しだけ考えて、アリエノールは鍛錬場の正面になるように姿勢を変えた。
意図を察したリチャードも、アリエノールに寄り添うように自然と隣に並び立つ。
(いや、ちっか!)
こちらは未婚の公爵令嬢である。
あらぬ誤解をされぬように、本音を言うともう少し離れて欲しかったのだが、背に腹は代えられない。
口元に微笑みを浮かべ、鍛錬場を正面に見据えたまま、アリエノールは口火を切った。
「ご用件をお伺いしても?」
「君と話したかっただけだよ」
「まあ、ご冗談を」
「つれないな」
のらりくらりとはぐらかされる。相変わらず食えない男だ。
関わると面倒なのは分かり切っていたから、学園生活では極力接点を持たずに過ごした。
アリエノールと同じ歳のため攻略キャラではなさそうだが、隠しキャラということもある。用心に越したことはない。
何より乙女ゲームを抜きにしても、この男はとにかく厄介なのだ。
「同じ色なんだね」
「え?」
不意に落とされた言葉の意図が読み取れず、珍しくアリエノールの反応が遅れた。
「ふふっ。可愛いね」
「……」
「そう怒らないでよ」
「……殿下」
揶揄われてばかりは気に入らない。いい加減に用件を言えと低い声が出た。
いつものアリエノールならこれくらい何の問題もなく対処出来るのに、どうにもこの男とは相性が悪かった。
「あの子、くれない?」
「はっ?」
何を言っているのか。
思わず横顔を見上げれば、愉しそうに笑う美しい男がアリエノールを見下ろしていた。
「あの子」
そう言って指差した先にいるのが誰かなんて、もう分かり切っていて。
「ねえ、アリエノール嬢。大事にするよ?」
(このくそ王子がっ!!)
脳内で盛大に毒づいたアリエノールは、暴言が口から溢れ出ないように必死に奥歯を噛み締めた。
「ご冗談を」
「それ口ぐせ?」
「……ご冗談が過ぎるからですわ」
「ふぅん。本気なのに」
「お断りいたします」
我慢が効かず、令嬢らしからぬ少々強めの口調で返せば、リチャードは目を丸くした。
そうして声を上げて笑うと、くるりと踵を返した。
「まあ、気長に待つからさ」
「お断りいたしましたが?」
「うちの異母弟とも仲良いみたいだし」
「!?」
「またね。アリエノール嬢」
去って行くリチャードの後ろ姿に、公爵令嬢の礼儀として叩き込まれたカーテシーをする。
本音としてはもう二度と会いたくなかったが。
姿が見えなくなるまで見送って、姿勢を戻して鍛錬場へと視線を遣れば、戯れ合うリチャードと第三王子の姿が視界に映った。
◇
この国の王家がそもそも問題なのだ。
王家というか、国王個人というべきか。
治世は安定している。内政は賢王と言って差し支えないだろう。即位後に戦も起こさずに平和を維持している。
けれど後継の面では、極めて脆弱であった。
この国は宗教上一夫一妻制だ。
妾を持つ貴族は珍しくないが、婚姻制度外で生まれた子どもに家督は継ぐ権利はない。
正妻の養子になって手持ちの下位の爵位を継ぐか、他家に養子に出されるか、騎士になるか。
婚外子が貴族として生きる道は限られている。
それは王家とて例外ではない。
現国王ヘンリーは長年子に恵まれなかった。婚姻から十年後、ようやく小国の王女である王妃との間に授かった王子が、第一王子のリチャードである。
しかし産後の肥立ちが悪く王妃はそのまま亡くなってしまう。
王妃の死後、好機とばかりに権力欲の旺盛な候爵家が娘を王妃に送り込む。新王妃はほどなくして第二王子を産むが、出産と同時にこの世を去った。
そうして両王妃付きだった女官の伯爵令嬢が新たな王妃として迎えられ、第三王子を産み今日に至る。
腹違いの王子が三人。
腹違いとはいえ全員王妃腹である。
王位継承権者としては同列とされた。
亡き小国の王女を母に持ち、後ろ盾に乏しい第一王子。しかもこの国では見かけない母方の王家譲りの紅い瞳をしている。表立って支持する貴族は少数だ。
侯爵家を外戚に持つ第二王子。後ろ盾に不足はないが、貴族間の権力バランスから牽制し合い、期待したほどの支持を集められていなかった。
現王妃を母に持つ第三王子。正統な後継者と言えなくもないが、母方の爵位が低い。
国王が無理やり望んだ結婚のため致し方ないが、こちらも支持基盤は脆弱だった。
要するに、ほとんどの貴族が様子見を決め込んでいたのだ。
(いい加減にして欲しいわ)
公爵家の自室にて、どうしたものかとアリエノールは考えを巡らせていた。
王家とは関わりを持ちたくない。
乙女ゲームの展開はわからないが、公爵令嬢を処刑出来る者など限られている。
まず間違いなく王家が絡んでいるはずだ。
すでにエディアスとは良好な姉弟関係を築き、ゲームのシナリオからは逸脱しているとはいえ、どこで足元を掬われてもおかしくない。
そもそもアリエノールには前世知識を抜きにしても、後継者争いの渦中に飛び込む気などさらさら無かった。
(自分の家の始末はご自分でどうぞ)
とはいえ、第一王子の真意が読めないままでは気味が悪い。
なぜ彼はエディアスを欲しいと言ったのか。
本来なら第一王子として問題なく王太子の座に就いていたはずの男。軽薄ではあるが頭の回転が早いのは隠しきれていない。まあ隠す気もないのか。
ただ彼には学園在学中から実しやかに囁かれている噂があった。
第一王子リチャードは男色家である、と。
大方噂を流しているのは、一つ歳下の第二王子陣営だ。
噂の大元は、リチャードが側近に貴族家の第二子以下、それも婚外子を多く侍らせていることに起因する。
優秀な人材は生まれを問わない。
為政者としては理想的な信念ではあるが、そこは信教や階級社会とも密接に絡み合う。反感を持たれるし、悪意も込められる。
抵抗の出来ない相手を慰み者にしている。
第一王子リチャードにはそうした相反する噂がずっと付き纏っていた。
アリエノールとしては個人の性的指向は自由であると考えていたし、興味もない。
しかし大事な異母弟を寄越せときては、そうも言っていられなかった。
カランと、呼び鈴を鳴らす。
どこからともなく現れた侍女に一枚の紙を渡すと、アリエノールは指示を出す。
「書かれている人物について至急調べさせなさい」
◇
「やあ。君の方から誘ってもらえるなんて夢のようだよ」
「まあ、ご冗談を」
「それやっぱり口癖だよね?」
相変わらずの軽口を叩きながら、リチャードはダングレイム公爵家へとやってきた。
アリエノールが招いたためである。
リチャードが応接室のソファへと腰掛けるのを確認してから、アリエノールも正面のソファに腰をおろした。
護衛も侍女も部屋の前に待機させている。
今この場にいるのは、二人だけだった。
「お忙しい中お越しいただきまして、ありがとう存じます」
「やだなぁ。君と私との仲じゃない」
「ごじょ……ふふふ」
あやうくまた同じくだりを繰り返すところだったと、アリエノールは綺麗な作り笑いを浮かべると、強引に本題を切り出した。
「今日は、先日殿下からお誘いいただいた件につきまして……お返事ですの」
「わあ、嬉しいな」
言うやいなや、にこにこと人好きのする笑顔を向けられる。ここまで心のこもってない愛嬌のある笑顔を作れるのは才能だろうと、アリエノールは尊敬すら覚えていた。
「でも本人が不在なんだね……振られちゃったかあ。残念だな」
はあと、大きく息を吐きながら、リチャードは肩を落として見せた。
そう、見せたのだ。
「殿下」
「うん?」
せっかくの熱演に水を差すようでほんの少しだけ気がひけたが、アリエノールはそのまま言葉を続けた。
「まだお返事しておりません」
「あ、ごめんね。それじゃあ聞かせてくれるかい」
「異母弟はお預け出来ません。あの子は騎士となり卒業後すぐに公爵領を守らせますので」
そうだよねぇと呑気に頷くリチャードに、アリエノールは真っ直ぐ視線を合わせて言った。
「ですから、わたくしが参ります」
告げた瞬間、空気が変わる。
にこやかだったリチャードの瞳に、僅かながらも剣呑な光が灯ったのを、アリエノールは見逃さなかった。
「ん〜と……ごめんね。何がですからなのかな?」
瞬時に表情を立て直したのは、流石といったところか。さも不思議そうに首を傾げるリチャードに向かって、アリエノールは微笑んで告げる。
「わたくしを妻になさいませ」
「ん?」
「まずは婚約者になりますが」
「アリエノール嬢?」
「ダングレイム家なら、殿下の求めるものを差し上げられます」
すっとリチャードが目を細めた。
もはや取り繕う必要がないと判断したのか、基本的にいつも微笑んでいる口元も、今は真っ直ぐに引かれている。
「目的は?王太子妃の座なんて望んでないだろうに」
いつもより一段低い声の、不愉快さを隠しもしないリチャードにそう訊かれた。
当然だろう。
アリエノールはずっとリチャードを、いや王子全員を避けてきたのだから。
「殿下が王位に相応しいと思ったからですわ」
「ふぅん」
「お考えに共感いたしましたの」
「へぇ」
「というより、利害関係が一致したと言った方がよろしいかしら?」
頬に手をあてたアリエノールはさも困ったようにリチャードを見た。
「結論を言って欲しいかな」
口元にだけ歪な笑みを浮かべて、冷えた瞳でリチャードはアリエノールを促した。
(そんな顔も出来るんじゃない)
「わたくし異母弟を可愛がっておりますの」
真っ直ぐにリチャードの瞳を見つめてアリエノールは言い切った。
嘘偽りのない真実だ。
そうしてそれは、アリエノールが決断するに至った発端でもあった。
「殿下の子飼いは、婚外子の貴族子弟が主ですわね」
威圧するような視線がアリエノールに突き刺さる。
「大抵の貴族はどの王子を支持するか明言しておりません。嫡子を側に置けない以上、賢明なご判断ですわ」
けれど怯む気はなかった。そんな段階はもうとっくに過ぎている。
「殿下が即位……いえ、王太子になられた際には彼らは強力な武器になります」
それは間違いない。
けれど。
「楔は必要です」
ぴくりと、リチャードの米神が動く。
「彼らに力を持たせるのは危険だと?」
「ある程度は必要です。あまりにも現状は弱すぎる。けれど、権力を握ったとて彼らに使いこなせるとは思えません」
「……」
「とっくにお気づきでしょう?」
ほんの僅か、リチャードの紅い瞳が揺れた。
「平等、など嫡出子にとっては害しかありません。正妻も、自らの地位を脅かされます」
地位も財産も、平等などといわれて、これまで義務を果たし、また当然に利益を享受してきた者たちの一体誰が、納得するというのか。
「そして何より、教会を敵にしますわね」
国教は、神の名の下に一夫一妻を定めている。離縁すら複雑な条件が付き、最も簡単な別れが死別になるくらいに。
「殿下」
ふっとアリエノールは小さく笑った。
「お手伝いいたしますわ」
「手伝い?」
「ええ。殿下の治世を、お支えします」
「君は……学園時代ずっと、私と距離を取っていただろう。私だけじゃなく、第二王子とも。王家に関わりたくないんじゃないのかい?」
困惑の色が乗るその問いに、まるで些末な事を訊かれたとでもいう様に、アリエノールはあっけらかんと答えた。
「気が変わりましたの」
「!!」
リチャードが目を丸くする。そうして次の瞬間、声を上げて笑った。
「ふっ……ふふ、はははっ!すまない……耐えられなかった」
「まあ」
「アリエノール嬢は本当に格好いいなぁ」
「ご冗談を」
「それ絶対口癖だよね?」
いつもの調子を取り戻したリチャードは、軽口を叩きながら立ち上がった。どうするつもりかと見つめていると、彼はアリエノールの前までやってきて跪いた。
右手を、取られる。
「アリエノール・ド・ダングレイム公爵令嬢」
ほんの少しだけ、見上げて見つめられる。
真っ直ぐに。
「平坦な道ではないけれど、夫婦としてこれからの人生を私と一緒に歩んで欲しい」
「はい」
「今はまだ、お互いの事をよく知らないけれど、これから知っていきたいと思う。君にも知ってもらいたい」
「まあ」
「きっと、私はすぐに君を愛するようになると思う」
「ご冗談を」
「もうそれ口癖だって認めなよ」
目尻を下げて、リチャードが笑う。
アリエノールも、応えるように微笑んだ。
◇
「……よろしかったのですか?」
屋敷中が寝静まった頃、一人自室で報告書に目を通すアリエノールに、侍女が尋ねた。
「ええ。殿下は裏切らないもの」
「わかりませんよ」
「不満そうね」
ふふっと笑いながら、アリエノールは報告書から視線を上げた。
「大丈夫よ」
「……お嬢様がそう仰るなら」
「お前ももう下がりなさい」
「はい」
扉の閉まる音を確認すると、アリエノールは再び報告書に視線を落とす。
アイザック・ラ・チェンバレン伯爵
アリエノールが手のものに調べさせた人物の名だ。
チェンバレン家は現王妃の実家で、現当主は王妃の従兄弟が養子に入って継いでいる。
伯爵家の一人娘である王妃は箔付のため数年間王妃付きの女官として勤め、その後は幼い頃から決められた一族の婚約者を婿に取って、女伯爵となる筈だった。
先代王妃が亡くなるまでは。
いや、先々代の王妃が亡くなるまでだろうか。因果を辿れば。
「ほんっとに、胸くそ悪いわね」
リチャードの母である王妃は表向き産後の肥立が悪化して亡くなったことになっているが、実際は毒殺だった。
その事実は大抵の大貴族にとって公然の秘密となっている。
何せ毒を盛った犯人が次の王妃に収まったのだから。
けれど彼女も出産により命を落とした。
本当に死因は出産なのか。
太々しいほどに健康的だったのにと、知らせを受けた貴族連中は皆一様に眉を顰めた。
真相は闇の中。
真実を知るのはおそらく両王妃に仕えたごく一部の女たち。
けれど女たちは決して口を割らない。
何故なら彼女たちは知っていた。
自分たちはすぐに新しい主に仕えることを。
亡くなった王妃が産み月足らずで破水した時、王がどこにいたのかを。酒の力で理性が効かなかったのだと言い訳まで用意して、翌月には婚姻の為に城勤を辞す女官を無理やり自室に引き摺り込んでいたことを。
出産の痛みで泣き叫ぶ妻の声には耳を傾けずに、己の欲望に引き裂かれる女の悲鳴に滾った夜、王は王妃を失って、新たに王子を得たのだから。
「どいつもこいつも……」
クソ野郎ばっかりかよと、アリエノールは舌打ちする。自分の父も大概だったが国王からしてこれなのだから、貴族の婚外子で幸せを手にする者など実際いるのだろうか。
「子どもは笑顔でいるべきなのよ」
握りしめてぐちゃぐちゃになった報告書の皺をのばしながら、アリエノールは大きく息を吐いた。
アイザック・ラ・チェンバレン伯爵
赤髪に琥珀の瞳の元近衛騎士。
王妃も赤髪に金に近い琥珀の瞳をしている。赤髪はチェンバレン家の特徴だ。琥珀の瞳も。
金ではなく、琥珀なら。
歴代のチェンバレン家当主にも、複数金の瞳を持つ者はいた。だから、不自然なことは何もなかった。
彼らが皆、従兄妹同士の婚姻により生まれていることを知らなければ。
アイザック・ラ・チェンバレンは王妃の婚約者だった。婚姻を目前に控えた身で、不自然に辺境の魔獣討伐に送り込まれたその瞬間まで。
無事に帰還した彼は、伯爵位と引き換えに婚約者を失った。
「殿下が知らないわけないわよね……」
本当は昼間、訊いてしまおうかとも思った。けれど、王家の暗部に触れる内容だ。
忠誠を誓っているとはいえ護衛の騎士にも、公爵家の侍女の耳にも入れるわけにはいかないと断念した。
おそらくリチャードの真の狙いは、王妃の廃位だ。
何もそこに憎しみなどは存在しない。むしろ彼女を地獄から解放してやるのだと感じた。
現王妃がリチャードの母である亡き王妃に忠誠を誓っていたのは有名な話だ。
実子である第三王子を王太子に推さないのも、間接的に元主君の子を手助けしているともいえる。まあ、推せるわけもなかったが。
彼女にしても、是が非でもリチャードに王位を継いで欲しいだろう。
廃妃になれば、全ての権限を剥奪される。
王子の嫡出子としての地位も身分も。
即ち、第三王子は婚外子として扱われるのだ。
それがリチャードの狙いだろう。第三王子の出生を明かせない以上、最も穏便に王家から引き剥がせる。
だからその後に第三王子が婚外子として迫害されることの無いように、少しでも幸せに生きられるように、全てを変えようとしているのだ。
「優しすぎるのよねぇ……」
為政者として、王として、リチャードの優しさは甘すぎる。いつ命取りになってもおかしくなかった。
けれどアリエノールはその優しさを、甘さを、好ましいと思ったのだ。
あの日、鍛錬場で打ち解ける異母弟と第三王子の姿を目にした時から。
アリエノールもまた、初めて出来た異母弟の親友ごと、彼らの身も心も守りたいと願っていたのだ。
「ほら、弱った時につけ込む悪人ているじゃない?殿下だと、多分ピンクブロンドの性悪男爵令嬢とかだと思うのよね」
アリエノールはそう言って一人頷くと、手にしていた報告書に魔力を注ぎ込み跡形も無く消し去った。
◇
乙女ゲームのヒロインはいまだに現れない。アリエノールと同じ転生者なら、永遠に現れないだろうと睨んでいる。
この世界はおそらくバッドエンドだらけだ。普通の精神なら関わらないことを選ぶはず。
もし、あえて攻略対象と関わりを求めてくるのなら、なかなかの性悪女に違いないと、アリエノールは確信している。
本来のヒロインならともかく、そんな女に可愛い異母弟も異母弟の親友も任せられない。
ついでにリチャードに手を出されるのもなんとなくムカつくから却下だ。
死亡フラグを回避するべく、王家に関わることを避けてきたアリエノールだが、身内の幸せのためなら方針転換など容易いことだ。
何のための権力だ。
悪役令嬢の名が廃る。
先の見えないこの世界で、見事にリチャードを王座に就けてみせる。
断罪などいくらでも回避してやる。
揺るぎない決意のまま、アリエノールはペンを取った。
今後一番政変の被害を受ける、有能なくせに表に出ることを嫌う兄公爵に事後報告の手紙を書くために。
「さあて、気合い入れてくわよ!」
お読みいただきありがとうございます!
もしよろしければ⭐︎での評価やブクマをしていただけると嬉しいです!
今回投稿ジャンルに相当悩みました。多分大丈夫ではないかと……。間違ってたらぜひ教えてください。




