第9話: 自由への第一歩、そして違和感
「さらば、ゴリラ親父。さらば、空間切断お母様。俺はホワイトな隠居生活を求めて、新天地へ旅立つぜ……」
背後に広がる「両親の夫婦喧嘩で更地になったクレーター」を背に、俺は5歳児の短い足で力強く踏み出した。
手荷物は、母さんが持たせてくれた『地獄大百足の干物(非常食)』と、父さんが「これでおやつでも買え」と渡してきた『ドラゴンの牙(換金用)』だけだ。
(……普通、おやつ代に希少素材は渡さないだろ。これ、一個売るだけで村が買えるレベルのやつじゃないのか?)
俺は冷めた溜息をつきながら、実家の裏山を下り始めた。
ここから一番近い「冒険者の街・エルドラ」までは、大人の足で3日はかかると聞いている。
「(3日か……。まぁ、俺の『神風歩』なら30分だけど、それだと目立ちすぎるな。5歳児らしく、時速40キロくらいのジョギングで我慢するか)」
俺は周囲に風を纏わせ、軽くステップを踏んだ。
だが、その瞬間だった。
ガサガサッ!!
茂みから、真っ赤な目をした巨大な狼——『ブラッド・ウルフ』が飛び出してきた。
前世のRPGなら、序盤の難敵だ。
「(お、モンスターか。親父なら『歯磨き粉の代わり』にするレベルの雑魚だな)」
俺は、反射的にデコピンの要領で指先を弾いた。
【青龍】の雷を、静電気レベルにまで抑えて放つ。
バヂッ!
「ガフッ……!?」
ブラッド・ウルフは、悲鳴を上げる暇もなく消し炭になり、その背後の大樹が3本ほどなぎ倒された。
「……あ。やりすぎた。今のは、毛を少し焦がすくらいのつもりだったんだけど」
俺は、自分の「加減」という感覚が、すでに修復不可能なほど壊れていることに気づき始めていた。
山を下りて10分。俺は、道端に設置された「警告看板」の前で足を止めた。
『【警告】この先、人類未踏の絶望域。Sランク以上のパーティー以外、立ち入りを禁ず。生還率0.01%』
看板の裏側には、無数の冒険者の遺品らしき剣や盾が突き刺さっている。
「……人類未踏? 絶望域?」
俺は看板を二度見した。
この看板の向こう側——つまり、俺が今まで「庭」だと思っていた場所は、世間一般では「魔境中の魔境」と呼ばれている場所だったらしい。
「(待て待て。じゃあ、俺が毎日おむつ一丁で走り回ってたあの河原は、地図で見ると『死の谷』って書いてあるのか? 母さんが『雑草を抜いてきて』って言ってたあそこは、『万物を喰らう魔界植物の苗床』だったのか?)」
前世の記憶が、激しく警鐘を鳴らす。
俺の家は、ブラック企業どころか、地獄の最下層に建っていたのだ。
「……親父、あのゴリラ。あいつ、よく『近所の散歩に行ってくる』って言って、数ヶ月帰ってこないと思ったら、隣の大陸の魔王をボコってただけじゃないのか?」
しばらく進むと、ようやく「人間」の気配がした。
フルプレートの鎧に身を包んだ、いかにも強そうな4人組のパーティーが、震えながらこちらに向かってくる。
「おい……見ろ。子供だ。あんな絶望域から、子供が一人で歩いてくるぞ……!」
リーダーらしき男が、震える声で言った。
俺は「あ、ちょうどいい。道を聞こう」と思い、5歳児スマイル(営業用)を浮かべて駆け寄った。
「こんにちは! すみません、街への道を教えてもらえませんか?」
俺が軽く駆け寄っただけなのだが、地面を蹴るたびに【青龍】の風が巻き起こり、周囲の岩がパキパキと割れる。
「ひぃっ! 凄まじいプレッシャーだ! この子……人間じゃない! 高位の魔族が化けているのか!?」
「待て、鑑定スキルを使う! ……えっ、『名前:カイト、職業:5歳児、レベル:測定不能』!? レベルがバグってるぞ!!」
(……失礼な。職業は『転生者(隠居希望)』にしてくれよ。あと、レベルが測定不能なのは、俺のせいじゃなくて青龍のせいだ)
「あの、怖がらせるつもりはないんです。ただ、実家がちょっと……暑苦しくて、家出してきただけで」
「家出!? あの『蒼龍の棲む禁忌の山』から家出してきたっていうのか!? あそこには、一撃で天候を変える武神と、空間を操る魔女が住んでいるという伝説が……」
「……あ。それ、俺の父さんと母さんだわ」
俺が冷めた顔で言うと、4人組は一斉に白目を剥いて泡を吹き、その場に崩れ落ちた。
「……あー。弱い。弱すぎる。この人たち、さっきの狼よりメンタルが豆腐じゃないか」




