第9話 【悲報】ダンジョンさん、バグの修正(デバッグ)に来る
「……無理。……絶対に無理ですよ、カナタさん。僕、今すぐお腹を壊してリタイアしたいです。実家の母ちゃん、ゲンゾウは今日、都会の空に星になります……」
新宿ダンジョン最深部へと続く巨大な扉の前。白銀の重装鎧に身を包んだ岩鉄ゲンゾウさんが、生まれたての小鹿のようにブルブルと震えていた。だが、その震えが肉厚な筋肉を波打たせ、周囲には「これから始まる死闘を前に、溢れ出す闘志を抑えきれずに空間を共鳴させている」ようにしか見えないのが、この人の恐ろしいところである。
「しっかりしてください、ゲンゾウさん!今日のライブ配信、全世界の同時視聴者数がついに一千万人を超えたんですよ!?ここで逃げたら、全世界を敵に回すことになります!」
俺、蓬カナタは、『依代』兼マネージャーとしてゲンゾウさんの背中をパシパシと叩く。今日の舞台は、第50階層再攻略。出現するモンスターはすべてBランク以上。本来ならSランクパーティが総出で挑むような魔境を、ゲンゾウさんが「ソロ」で攻略するという、ギルド肝いりの大イベントだ。
「いいですか、ゲンゾウさん。作戦は昨日と同じです。あなたはただ、『……ぬるいな』とか『……掃除の時間だ』とか言って、適当に手を振ってください。あとの物理現象は全部俺が裏で処理しますから!」
「……ぬ、ぬるいな。……掃除の時間だ。……ううっ、母ちゃん、ごめん……」
ゲンゾウさんが涙目で呪文を唱えていると、ギルドマスターのシオリさんが意気揚々と現れた。
「準備はいいかしら、ゲンゾウさん?今日の生中継には、日本政府の要人も注目しているわ。あなたがこのダンジョンを単独……いえ、依代のカナタくんも一応セットだったわね...、あなたのSSランク認定は確実よ」
シオリさんはそう言って、俺の方をチラリと見た。その瞳には、相変わらず「観察」の光が宿っている。
「……蓬くんも、しっかりゲンゾウさんの『勇姿』をカメラに収めるのよ?昨日のような『奇跡』が、また都合よく起きるかもしれないしね」
「へへ、お任せください支部長!シャッターチャンスは逃しませんよ!」
(……釘を刺してきやがる。この女、やっぱりまだ俺を疑ってんのか……?よし、今日はこれまで以上に『自然な事故』を演出してやるぜ!)
――ネット掲示板【探索者実況スレ:神域攻略ライブPart1】
『102:名無しの探索者』キターーーー!!生中継始まったぞ!!『103:名無しの探索者』うおおお、ゲンゾウさんの鎧、マジで聖騎士みたいでカッコよすぎwww『104:名無しの探索者』背景のカナタ、相変わらず不審者セット(マスク)つけてて草。『105:名無しの探索者』てか、今の見たか!?ゲンゾウさんが手を横に振っただけで、Bランクモンスター3体が消滅したんだが。『106:名無しの探索者』衝撃波!?いや、もはや空間そのものを削り取ってるだろこれ。『107:名無しの探索者』同接、一瞬で300万突破!これ、歴史の目撃者になるぞ……。
ダンジョン最深部。そこに鎮座していたのは、右半分が氷、左半分が炎という、見るからに「攻略法を間違えたら即死」なビジュアルの巨大な魔獣。――変異種、『氷炎のキメラ』。推定討伐レベル95。
「グガァァァァァァァッ!!!」
キメラの咆哮一つで、同行を許可された(という名目でついてきた)立会人のエリナたちが膝をつく。「……ダメ、これ……Sランクパーティが束になっても勝てるかどうか……っ!」絶望に染まる現場。しかし、ゲンゾウさんは動かない。というか、恐怖のあまり膝がロックされて動けないのだ。
「……ゲンゾウさん。……決め台詞、お願いします。そのあと、思いっきり地面を足でドンドンしてください」俺はカメラの死角から小声で指示を出す。
「……今の、俺には……掃除が……必要だ……」
(……セリフが混ざってるけど、地響きボイスのせいで超カッコよく聞こえてるからヨシ!)
ゲンゾウさんが、震える右足を高く上げ、地面に振り下ろした。いわゆる、四股のような動作だ。
「(――身体強化、脚部集中。衝撃波・全周放射!!)」
俺はゲンゾウさんの着地の瞬間に合わせて、自分自身の足を地面に叩きつけた。ただし、床の岩盤を貫通させないよう、魔力を「振動」へと変換して横方向へ逃がす。
――ゴ、ガ、ガ、ガ、ガ、ガ、ギィィィィィィンッ!!!
ダンジョン全体が悲鳴を上げるような地鳴りに包まれた。ゲンゾウさんの足元から発生した(ように見える)白銀の衝撃波が、広間の空気を一瞬で真空に変え、キメラの身体を細胞単位で粉砕した。
「…………ふぅ。……いい運動になったな」
ゲンゾウさんが、絶望のあまり真っ白な顔で呟いた。実際は極度の緊張で魂が抜けかかっているだけだが、その絶望的なまでの無機質さが、視聴者には「神の審判を下した後の静寂」に見えていた。
だが、事態はそこでは終わらなかった。
ダンジョンの天井から、幾何学的な紋様を纏った「光の柱」が降り注いだ。そこから現れたのは、黄金の輝きを放つ、非実在の存在――ダンジョンの管理インターフェース。
「……イレギュラー・ユーザーを検知。世界の理を著しく乱す個体を確認しました」
その声は、感情のない機械音だった。俺、蓬カナタは、ポーター用のリュックに隠れながら冷や汗を流した。(……まずい。デコピンの威力が高すぎて、ダンジョンの管理システムが『バグ』の修正に来やがった……!)
システムのアバターが、その透き通った瞳を……正確に俺の方へと向けた。
「対象を特定。……世界ランクを逸脱した不正規個体。排除、もしくは……」
(……来る!俺がスキャンされたら終わりだ!)
俺は咄嗟に、目の前で固まっているゲンゾウさんの背中をドンッ!と押した。「わわわっ!ゲンゾウさん、危ないですよぉ!」
俺は転ぶフリをして、ゲンゾウさんの影に潜り込みながら、自分の魔力回路を「ゲンゾウさんの身体」に直結させた。名付けて、『魔力パス(身代わり)』。俺が放つ膨大なエネルギーを、物理的にゲンゾウさんの体を通してから外部に放出する荒技だ。
「……あ、あ、ああああ……」
ゲンゾウさんが恐怖でさらに震える。その瞬間、俺はシステムに向けて、決定的な「干渉信号」を魔力で叩き込んだ。
(――いいかシステム、俺を見るな!このデカいおっさんを見ろ!こいつが最強なんだ!こいつに全部権限を投げろ!!)
――ピ、ピピピピッ、エラー。エラー。――対象を再スキャン。……修正。――不正規個体は、この「岩鉄ゲンゾウ」と断定。
管理アバターの動きがピタリと止まった。そして、あろうことか。ゲンゾウさんの前に跪いたのだ。
「……認識を修正しました。貴方こそが、このダンジョンに選ばれた『真の支配者』。……『新宿ダンジョンの主』の称号を、岩鉄ゲンゾウに授与します」
アバターが光り輝き、ゲンゾウさんの額に奇妙な紋章が刻まれた。その瞬間、ダンジョン中のモンスターたちが一斉に平伏し、通路の壁がゲンゾウさんを祝福するように黄金に輝き始めた。
「…………え?」
ゲンゾウさんが、本日何度目か分からない白目を剥いた。
――ネット掲示板【探索者実況スレ:神話誕生・伝説確定Part5】
『601:名無しの探索者』はぁ!?!?!?!?『602:名無しの探索者』今、なんて言った!?「ダンジョンの主」!?!?『603:名無しの探索者』【速報】岩鉄ゲンゾウ、ダンジョンの管理システムに公式に「王」として認められる。『604:名無しの探索者』これもうSランクとかの次元じゃねーだろwww神話の登場人物じゃんwww『605:名無しの探索者』見てろよ、後ろでカナタが光にビビって泡吹いて倒れてるぞwww一般人には刺激が強すぎたなwww
ダンジョンの外。生還したゲンゾウさん(気絶中)を背負いながら、俺は押し寄せるマスコミの波の中を歩いていた。
「……蓬くん。お疲れ様」
待ち構えていたシオリさんが、震える声で俺を呼び止めた。その瞳には、かつてないほどの驚愕と、そして……拭いきれない深い疑惑が宿っていた。
「……今の光。あれは『ダンジョンの意志』だわ。……それを、ゲンゾウさんは『足踏み一つ』で支配下に置いたのね。……蓬くん、君の『主』は、本当にどこまで行くのかしら?」
「へへ、すごいっすよねぇゲンゾウさん!まさかダンジョンの王様になっちゃうなんて。僕、あんなすごい人の隣にいたかと思うと、今さら足がガクガクしてきましたよぉ!」
俺は必死にキモオタ・スマイルを浮かべ、シオリさんの追及をかわした。だが、俺は内心でガッツポーズをしていた。ゲンゾウさんが公式に「ダンジョンの主」になった。ということは、今後、このダンジョンで起きるすべての「バグ(俺の無双)」が、公式に『主の権能です』として処理されるということだ。
(……よっしゃあああ!!これで俺が何をしても、全部ゲンゾウさんの仕業にできる!!自由だ!!)
俺は、勝利を確信した。




