第5話:事故で死神が消し飛んだ件
地下50階層。そこは昨日、俺がミノタウロスをワンパンした場所だ。現場に到着した俺たちを待っていたのは、静寂ではなく、空間そのものが悲鳴を上げているような異様なプレッシャーだった。
「な、何これ……空気が重すぎる……」ルナが杖を握る手を震わせる。そこには、昨日俺が作った巨大なクレーターを中心に、どす黒い魔力の渦が巻いていた。渦の中心から、漆黒のローブを纏い、巨大な鎌を携えた骸骨の騎士が姿を現す。
――隠しボス、『冥府の断罪者・タナトス』。
「……バカな。タナトス!?伝説の隠しボスが、なぜこんなところで……!?」エリナの声が裏返る。通常、このモンスターは、ダンジョンが「侵入者によって生態系が破壊された」と判断した時にのみ現れる、いわばダンジョンの強力な抗体だ。原因は100%、昨日の俺である。
「剛、前衛!ルナ、最大火力の障壁を……ッ!ひっ!?」エリナが指示を出そうとした瞬間、タナトスが鎌を一振りした。ただの素振りだ。だが、それだけでAランク探索者たちが放つ威圧感が霧散し、剛の大盾にヒビが入る。
「ヒ、ヒィイイイイ!!怖いよぉおおお!」俺はわざとらしく叫びながら、近くの岩陰に隠れようとした。その時だ。俺の胸元のポケットから、あのアクションカメラがポロッと地面に落ちた。そして――。
カチッ。
衝撃で、よりによって『配信開始』のスイッチが入ってしまった。
***
――ネット上、阿鼻叫喚。
『通知キターーーー!!』『え、タイトル「聖地巡礼してたら死神出た」なんだがwww』『待て、画質よすぎだろ。これ「白銀の剣」が全滅しかけてるぞ!?』『同接30万突破!!おい、ギルドに連絡しろ!特級災害だぞこれ!』
***
「あー、もう!なんでここでスイッチ入るんだよ!」俺は小声で毒づいた。だが、カメラは今、俺の背後から「絶体絶命のパーティ」と「迫りくる死神」を完璧なアングルで捉えている。
タナトスがエリナに向けて鎌を振り下ろす。彼女は目を見開き、死を覚悟した表情で立ち尽くしていた。Aランクでも、この「絶望」の前では赤子同然だ。
(……はいはい、助ければいいんでしょ!)
「わ、わわわっ!助けてぇええ!滑ったぁあああ!」俺は全力の棒読みで叫び、エリナの足元に向かってダイブした。カメラから見れば、単にパニックになったポーターが転んで突っ込んでいったようにしか見えないはずだ。
だが、そのスライディングの軌道。俺はエリナの脇をすり抜ける刹那、身体をひねり、右の拳をタナトスの膝関節に「そっと」添えた。もちろん、体内にある全魔力を一点に集中させた状態で。
――ド、パァァァァァァンッ!!!
ダンジョン全体を揺らすような、凄まじい衝撃波。タナトスの巨体は、まるで紙屑のように空中に跳ね上げられた。さらに、俺が放った魔力の余波が螺旋を描き、天井の岩盤を巻き込みながら死神を粉砕していく。
「あ、あれぇ……?転んでぶつかったら、なんか勝手に弾けて消えちゃいましたぁ……。ラッキー?」俺は地面に突っ伏したまま、上空を舞う黒い塵を見上げてマヌケな声を出す。
「自爆……?いま、貴様の腕が当たった瞬間に……?」エリナが震える手で俺を指さす。だが、彼女の追及よりも先に、俺のスマホから爆音でコメント読み上げ音声が鳴り響いた。
『ナイスワンパン!!www』『今のスライディング、時速200キロくらい出てなかったか?』『「助けてぇ」が全然助けてほしくなさそうで草』『同接100万突破!おめでとう!!』
俺は、血の気が引くのを感じた。カメラは生きていた。しかも、俺の「不自然すぎる一撃」を世界中に垂れ流していたのだ。
「…………蓬カナタ」エリナが、剣を鞘に収め、一歩一歩俺に近づいてくる。その瞳には、もはや軽蔑の色はない。あるのは、深淵を覗き込もうとするような、底知れない恐怖と疑念だ。
「貴様……いや、君。……その腕、ちょっと見せなさい」「あは、あははは。……いやぁ、僕の筋肉って、驚くと膨張するタイプなんですよ。……あれ、皆さん、なんでそんなに遠巻きに僕を見てるんですか?」
剛もルナも、俺を「救世主」ではなく「理解不能なバケモノ」を見る目で見ていた。この瞬間、俺の「平穏なモブ生活」は、タナトスと共に粉々に砕け散ったのである。




