第3話 最強のFランク、最強の「キモオタ」と勘違いされる
「……あ、あの」
エリナの顔が近すぎる。整った顔立ちと、高級なシャンプーの香り。そして何より、獲物を狩る肉食獣のような瞳。俺は冷や汗で溺れそうになりながら、必死に脳みそをフル回転させた。
剣のテーピングが同じ。これをどう言い訳する?『たまたまです』?無理だ、あんな汚い巻き方が偶然一致してたまるか。『俺が本人です』?言えるか!言ったら最後、俺の平穏なスローライフ(予定)は崩壊し、一生こき使われる社畜探索者コースだ。
なら、答えは一つしかない。
「こ、これは……コスプレです!!」
「……は?」
エリナがキョトンとした顔をする。俺は畳み掛けた。
「き、昨日の配信を見て!あの圧倒的な強さに感動して!一秒でも早くあの御方に近づきたくて、動画を一時停止してテーピングの巻き方まで完コピしたんです!俺、あの『謎のFランク様』の大ファンなんで!!」
俺は叫んだ。魂の叫び(嘘)だった。頼む、信じてくれ。ただの痛いファンだと思ってくれ。
エリナは俺の目をじっと見つめ――そして、ふっと力を抜いて手を離した。
「……なんだ。ただの崇拝者(信者)か」
助かった。エリナは呆れたように肩をすくめた。
「まあ、そうだろうな。貴様のような貧弱なモヤシが、あの『彼』であるはずがない。魔力回路の輝きが月とスッポンだ」「で、ですよねー!あはは、僕なんてゴミ虫ですもんね!」
プライド?そんなものは5年前にドブに捨てた。今はバレないことが最優先だ。
「しかし……」
立ち去ろうとしたエリナが、再び足を止める。彼女は顎に手を当て、何かを考え込みながら俺を見た。
「貴様、動画が配信されてからまだ10時間も経っていないぞ。その短時間で、あんな画質の悪い映像からテーピングの癖を解析し、模倣したのか?」
「え?あ、はい。まあ……愛ゆえに?」
「……ほう」
エリナの目が、怪しく光った。嫌な予感がする。
「おい、ゴミ虫。名前は?」「よ、蓬カナタです」「蓬。貴様を『白銀の剣』の臨時ポーターとして雇ってやる」
「……はい?」
予想外の提案に、俺は素っ頓狂な声を上げた。
「こ、光栄ですけど……今日は別のパーティの依頼が……」「倍払う。いや、10倍だ」「喜んでお供します!!」
即答してしまった。俺は資本主義の豚だ。いや待て、喜んでいる場合じゃない。Aランクパーティについていくってことは。
「行き先は新宿50階層。昨日の現場だ」
エリナはニヤリと笑った。
「貴様ほどの『観察眼』を持つ熱狂的なファンなら、現場に残された痕跡から『彼』の情報を何か掴めるかもしれん。案内しろ、蓬」
――墓穴を掘った。ファン(設定)としての熱意がアダとなり、俺は自分自身のストーカー捜査に協力させられることになってしまった。
1時間後。新宿ダンジョン入り口。俺は自分の背丈ほどもある巨大なリュックを背負わされていた。
「おい蓬!遅れるなよ!」「とろとろしてると置いてくわよー?」
声をかけてきたのは、『白銀の剣』のメンバーたちだ。大盾使いの剛と、魔法使いのルナ。二人ともAランクの実力者で、俺のようなFランクには目もくれない人種……のはずだが、今日は機嫌がいい。なぜなら、俺が「謎の配信者のマニアックな考察」を披露しまくっているからだ。
「ええ、昨日の動画の12分30秒あたり、剣を振る瞬間に左足の親指に重心がかかってるんです。あれは古流剣術の型ですね(適当)」「すっげえ!よく見てんなお前!」「キモいけど詳しいわね。役に立つじゃん」
適当にそれっぽいことを言っているだけで、彼らは感心してくれる。だが、エリナだけは違った。
「……ふむ」
先頭を歩くエリナは、時折振り返り、鋭い視線を俺に向けてくる。俺が重い荷物を持っていても息切れ一つしていないのを、不審に思っているのかもしれない。やばい、もっとハァハァ言わないと。
「はぁ、はぁ!お、重いなぁ……!」
俺がわざとらしい演技をした、その時だった。
「――グルルルルッ!」
ダンジョンの通路脇から、殺気が膨れ上がった。中層に出現する『キラーウルフ』の群れだ。その数、およそ20体。
「チッ、数が多いな!剛、前衛!ルナは詠唱!」「了解!」
エリナの指示で戦闘態勢に入るパーティ。さすがAランク、動きに無駄がない。だが、俺は気づいてしまった。
(……あそこに隠れてる1匹、リーダー個体の『シルバーウルフ』か?)
群れの最後尾、暗がりに潜んでいる個体。あれは魔法耐性が高く、初見殺しで有名なレアモンスターだ。ルナが広範囲魔法を撃とうとしているが、あれを撃ち漏らすと、詠唱後の隙を狙われてルナが喉笛を喰いちぎられる。
教えるべきか?いや、Fランクの俺が気づくのは不自然だ。でも、このままだと死ぬぞ。
「ファイヤー・ストーム!!」
ルナの杖から業火が放たれ、ウルフたちが焼き尽くされる。勝利を確信して油断するメンバーたち。その炎の陰から、銀色の影が飛び出した。
「――ッ!?」
ルナが息を呑む。シルバーウルフの牙が、彼女の無防備な首筋に迫る。エリナも剛も、距離が遠くて間に合わない。
(……あーもう、仕方ない!)
俺は「転んだフリ」をして、荷物の山ごと地面に倒れ込んだ。そして、その勢いを利用して、手元にあった小石を指で弾いた。
――パシュッ。
消音された破裂音。俺の指先から放たれた小石は、音速を超え、シルバーウルフの脳天を正確に貫いた。
ギャンッ!
悲鳴も上げられず、シルバーウルフは空中で絶命し、ルナの足元にボロ雑巾のように転がった。
「……え?」
ルナが呆然と狼の死体を見下ろす。エリナと剛も駆け寄ってきた。
「なんだ今の?何が起きた?」「わ、わかんない……急に狼が死んで……頭に穴が……」
全員が困惑している隙に、俺は立ち上がり、埃を払うフリをした。
「い、痛ってぇ……すみません、転んじゃいました!あ、皆さん無事ですか?」
完璧な演技だ。誰にもバレていないはず。俺は心の中でガッツポーズをした。
だが。エリナだけが、狼の死体と、俺が転んだ位置を交互に見つめていた。
「(……今、あいつが転んだ瞬間に狼が死んだ?いや、まさか……)」
エリナの瞳に、疑惑の色が濃厚に宿り始めていた。




