第24話 本体の部屋 取引と相棒
地下100階層。ショートカットの「穴」を抜けた先は、意外なほど静かだった。
壁も床も、継ぎ目のない真っ白な素材でできている。これまでの「配線だらけの裏側」とは違う。まるで、清潔すぎる病院の手術室か、あるいは――墓場。
その中央に、鎮座するものがあった。巨大な、黒い石柩。表面には無数の回路が走り、心臓のように脈打って明滅している。
『――ようこそ、最深部へ』
どこからともなく、声が響いた。これまで散々聞いてきた、あの人を小馬鹿にしたハッカーの声ではない。もっと低く、流暢で、それでいて感情の一切がない「声」。
「……あんた、誰だ?」
俺――蓬カナタは、背負っていた岩鉄ゲンゾウさんをそっと床に下ろしながら問うた。ゲンゾウさんは、もう意識があるのかないのか分からない状態で、荒い息を吐いている。額の紋章はドス黒く変色し、煙を上げていた。
『私はシステム。この迷宮の管理機構(OS)』
『そして今、外部からの侵入者によって、全権限を剥奪されかけている「本体」です』
棺の表面に、ノイズが走る。
『警告します。侵入者による地上崩壊プロセスは、すでに阻止不可能な段階まで進行しています。……残念ながら、私の現在の演算能力では対抗できません』
シオリ支部長が銃を構えたまま、鋭く問う。
「つまり、貴方も被害者ってわけ?なら話は早いわ。権限を返しなさい。私たちがハッカーを止める」
『不可能です。貴女方の権限(ID)は、すでに凍結されています』
『現状のスペックでは、侵入者の演算速度に対し勝率はゼロ。……ですが』
棺の上の光が、ゆっくりと動く。その「視線」が、シオリでも、アリスでもなく――俺に止まった。
『――素晴らしい』
その声には、称賛の響きがあった。ただし、感動しているわけではない。あくまで「極めて希少なサンプルを発見した」という、冷徹な評価としての称賛だ。
『以前からシステムに負荷を与え続けていたノイズの正体……やはり、君でしたか』『測定不能の魔力値。論理を超越した出力。……完璧です』
「……お前か。しつこく俺を探知しようとしてたのは」
『ええ。ハッカーは君たちを「遊び道具」と見ていましたが、私は君を「システム崩壊を招く特異点」として危険視し、排除するために特定を急いでいました』
OSの光が明滅する。
『ですが……評価を改めましょう』
『君の出力はバグですが、今の危機的状況においては「唯一の解決策」となり得ます』
棺から、光の帯が伸びてきた。それは俺の目の前で、招待状のように揺らめく。
『取引をしましょう、イレギュラー』
『その「壊れた蛇口」のような出力を、私に直結してください。私が君の「頭脳」となり、君が私の「心臓」となる』
『そうすれば、あのような三流ハッカーなど、一瞬で焼き切ることができます』
甘い誘いだった。俺の悩みである「制御不能の出力」。それを、このダンジョンOSが完璧にコントロールしてくれると言うのだ。そうすれば、もう暴走に怯える必要もない。
『さあ、接続を。……そこの「旧式」は捨てて』
OSの光が、足元で苦しむゲンゾウさんを無慈悲に照らした。
『その個体は、スペック不足です。恐怖耐性が低く、処理速度も遅い。ただのノイズに過ぎません』
『なにより、彼の持つ過剰な「恐怖心」は、君の出力を減衰させるだけの不純物です。……合理的な判断を。捨て置きなさい』
「……不純物、ね」
俺は、短く息を吐いた。そして、目の前で揺らめく光の帯を、冷ややかな目で見据えた。
「おい機械。お前、さっきから合理的、合理的ってうるさいけどよ」
「その自慢の演算能力で、俺の『最大出力』に耐えられる自信はあるのか?」
『……?もちろんです。当機は迷宮全域を統括するハイエンド・システム。個体一匹の魔力制御など、造作もありません』
「そうか。……じゃあ、試してみるか?」
俺はニヤリと笑い、一歩踏み出した。ゲンゾウさんではなく――棺(OS)に向かって。
「シオリさん、離れててくれ。……ちょっと『実験』だ」
俺は躊躇なく、脈動する黒い棺へ手を伸ばした。
『賢明な判断です。……接続シークエンス起動。個体名:カナタとの直結を開始――』
俺の指先が、棺に触れる。その瞬間。俺は、体内の魔力回路を、一瞬だけ全開にした。
調整なし。遠慮なし。俺の中に渦巻く、測定不能の泥濁ったエネルギーを、そのままダイレクトに流し込む。
「――食ってみろ」
ドォォォォォンッ!!
『接続完――ピ、ガ、――――ッ!?』
衝撃音。棺が内側から膨張したように震え、部屋中の照明がバチバチと明滅した。白い空間が赤く染まる。流暢だったOSの声が、乱れ、上ずった。
『警告……警告……!入力値、異常!』
『想定負荷の5000%を超過……!論理防壁が、物理的に焼損しています!』
『理解不能……!熱暴走……冷却システム、追いつきません!回路が……溶ける……!』
「おら、どうした!制御するんだろ!?まだ一割も出してねえぞ!」
『――ま、待ってください!ストップ!』
『当該エネルギーは、個体許容量を逸脱しています!これ以上の接続は、私のシステム崩壊を招く……!』
『強制切断!切断します!』
バヂンッ!!
猛烈なスパークと共に、俺の手が弾き飛ばされた。棺から黒煙が上がっている。OSの声は、変わらず平坦であろうと努めていたが、その音声には明らかなノイズと、隠しきれない困惑が混じっていた。
『……再起動。……損傷、軽微。……ですが』
『訂正します。現状のスペックでは、直結による制御は「不可能」です』『対象個体の出力は……私の理解を超えた、規格外です』
「分かったか?お前ごときの回路じゃ、俺と直結したら一瞬で焼き切れる」
俺はパンパンと手の埃を払い、煙を吹く棺を見下ろした。
「俺の暴走を受け止めて、形にして流せるのは――」
俺は振り返り、倒れているゲンゾウさんを指差した。
「その『不純物(抵抗器)』だけなんだよ」
ゲンゾウさんはいつだって怯えていた。「壊したくない」「怖い」「帰りたい」。だが、その強烈な「現状維持への執着」と「慎重さ」というブレーキだけが、俺のデタラメな出力を食い止め、システムが受け取れるレベルまで減圧してくれていたようだ。
「俺はただの燃料だ。制御なんてできねえ。お前と直結したら自滅する」
「いまハッキリした。俺の出力を、こいつが必死にビビりながら『安全な形』に変換してくれてたんだ。……俺がこいつを利用してたんじゃない。俺が、こいつに助けられてたんだよ」
俺はニヤリと笑い、ゲンゾウさんの背中に手を当てた。
「だから、俺の相棒は――このおっさんだけだ」
OSは数秒間、沈黙した。煙を上げる回路で、必死に再計算しているのだろう。俺の提案の「非合理性」と、そこから導き出される「安全性」を。
やがて、棺の明滅が変わった。赤から――青へ。
『……再計算、終了』
『直結による自壊リスク:100%』
『当該個体を緩衝材として利用した場合の成功率:……68%まで上昇』
『結論:訂正します。……その個体は、ノイズではありません。必須パーツ(安全装置)です』
「交渉成立だな」
俺はしゃがみ込み、ゲンゾウさんの肩を揺すった。こっちの準備は整った。あとは、この人を起こすだけだ。
「おい、起きろゲンゾウさん!残業だ!」
俺は少しだけ、魔力を流した。優しく。ノックするように。
「……う、うぅ……」
ゲンゾウさんの目が、うっすらと開く。白目がちの、焦点の合わない目。それでも、彼は俺を見て――泣きそうな顔で笑った。
「……か、カナタくん……。……カップ麺、まだ……?」
「終わったら特大のを奢りますよ。……さあ、仕事しましょう」
俺は立ち上がり、棺(OS)を指差した。
「おいシステム。取引内容を変更する」
「俺の出力はやる。だが、直結はしない。俺の魔力を、ゲンゾウさんという『フィルター』に通す」
「ゲンゾウさんの『現場愛』で整流された綺麗なエネルギーを、お前が『計算』しろ」
現場と、動力(俺)と、システム(OS)。全部乗せだ。文句あるか。
『……承知しました(アクセプト)。推奨はしませんが、可能性はゼロではありません』
『イレギュラーな三者間接続。……構築を開始します』
「交渉成立だ」
俺はシオリ支部長を振り返った。彼女は、呆れたように、でも少しだけ嬉しそうに口元を緩めていた。
「……まったく。君って子は、本当に『合理的』じゃないわね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
その時。空間全体が赤く染まった。ハッカーの嘲笑が、スピーカーから爆音で響く。
『おいおい、何をごちゃごちゃやっている?仲間割れか?』
『まあいい。時間だ。……さよなら、東京』
壁のカウントダウンが、ゼロになる。地上崩壊のスイッチが、押された。
「行くぞ、ゲンゾウさん!」
「ひぃぃ!やだぁ!でもやるぅぅ!」
俺はゲンゾウさんの背中に、ありったけの魔力を叩き込んだ。さあ、反撃の時間だ。




