第19話 管理アバター、パッチを当てに来る
白い光の中に立っていた“それ”は、人型だった。
人の形をしているのに、人の気配がない。
肌は陶器みたいに滑らかで、目の部分だけが空白。
そこに淡い光が点滅していて、まるで監視カメラのレンズみたいだった。
『――イレギュラー・ユーザーを検知』
『修正を開始します』
天井から落ちてきた無機質な声が、空気を切り裂く。
九条シオリ支部長が、即座に銃口を上げた。
「動くな。――名乗れ」
『名乗りは不要です』
『当該階層は“未公開”。侵入は仕様外』
『修正対象:不正アクセス/権限偽装/出力異常』
最後の一言が、俺の背骨に釘を打った。
(出力異常。……俺のことじゃん)
視線が――向く。
あの空白の目が、俺の胸の辺りへ、ゆっくり焦点を合わせようとする。
心臓が嫌な音を立てた。
「ひ、ひぃ……!」
ゲンゾウさんが半歩引く。
アリスは逆に半歩出る。
「素晴らしい……これが管理者の使い……!」
「素晴らしいとか言うな!」
ゲンゾウさんの悲鳴が重なる。
シオリ支部長は一切動揺せず、短く指示を飛ばした。
「第一班、盾。主のゲンゾウさんを中心に。カナタは私の右。アリス、前に出るな」
「承知しましたわ」
承知してない顔でアリスが頷く。頼むから承知しろ。
管理アバターが、ぬるりと一歩前へ出た。
足音がしない。
なのに床の線だけが赤黒く脈打って、“進入”を報告するように光る。
『修正手順を開始』
『対象の識別――』
来る。識別される。
(ここで俺が“本物”ってバレたら、終わる)
隠したいとか平穏とか、もうそんな可愛い話じゃない。
この場で“偽りの英雄くん”の正体が確定した瞬間、地上も地下も、全部が火に油だ。
俺は舌の裏を噛みそうになりながら、シオリ支部長へ小声で言った。
「……支部長。今、魔力パス――使います」
「やって。失敗しても恨まない。成功したら、後でご飯奢るわ」
「恨まないのハードルが低すぎません?」
「時間がない」
支部長の声が切れ味だけ残して短く響く。
俺はゲンゾウさんの背中へ視線を投げた。
震えてる。けど、逃げてない。地獄の残業に足を突っ込んだ人の目だ。
(ゲンゾウさん、頼む。今日だけは“主”と認定されたままで!)
俺は息を吸い、吐いた。
出力は過剰。制御は粗い。
だからやることは単純に――“流す”。
自分を隠すために、発信源をずらす。
俺の中の魔力が、蛇口の壊れた水みたいに溢れ出す。
それを、細い管に押し込むイメージで――ゲンゾウさんへ。
その瞬間。
管理アバターの空白の目が、ぴたりとゲンゾウさんの額――紋章へ向いた。
『識別完了』
『管理者権限:確認』
『対象:マスター(主)』
……通った。
背中に冷たい汗が流れ落ちる。
俺は内心でガッツポーズをしたいのに、指先が震えて動かなかった。
だが、続きがあった。
『異常出力:検出』
『出力供給元:――』
管理アバターが、首をわずかに傾ける。
(やめろ。そこ探るなよっ!)
シオリ支部長が、銃口を一ミリも下げずに言った。
「権限者はゲンゾウさんよ。供給元があるというなら、こっちが聞きたい」
『供給元の識別は必須』
『仕様外の出力は破綻の原因』
『修正:遮断』
遮断。
その単語だけで、胃がひっくり返った。
「遮断されたら……」
ゲンゾウさんが、子どもみたいに震える声で言う。
「僕、死ぬ?ねえ、僕、死ぬの?」
「死にません」
俺は即答した。
即答しないと、ゲンゾウさんが心だけ先に折れる。
「死なない。……ただ、ちょっと“止まる”かもしれない」
「止まるって何が!心臓!?」
「権限が。扉が。動くやつ全部が」
つまり、詰みだ。
俺たちはここで足を止めた瞬間、カウントダウンに殺される。
アリスがぱっと両手を広げた。
「ならば聖女として――祈りで……!」
「祈りでパッチは止まらない」
シオリ支部長が即切る。
「カナタ。いける?」
「……いけます。たぶん」
「“たぶん”は、今やめてちょうだい」
「……いけます」
俺は言い直した。
言い直してから、自分で笑いたくなった。
俺、こういうの苦手なんだよ。本当は。
管理アバターが腕を上げる。
腕の内側に、黒い回路が走り、光が集まって――
その瞬間。
ゲンゾウさんが、震えるまま一歩前へ出た。
「……ちょ、ちょっと待って」
声は震えている。
でも、逃げる震えじゃない。踏ん張る震えだった。
「僕のダンジョンだ。僕の……職場だ。勝手に“遮断”とか言われたら困る」
『権限者の保護は仕様』
『しかし破綻を防ぐための修正は必須』
「破綻?……破綻って、どこが?」
ゲンゾウさんは恐る恐る床を指した。
赤黒く脈打つ線。回路。設備。
「ここ、配線が雑だよ。……いや、雑っていうか。負荷に対して細すぎる。遮断じゃなくて、まず“迂回”でしょ。バイパス」
全員が固まった。
(え、ゲンゾウさん……?)
ゲンゾウさんは泣きそうな顔のまま、でも妙に真剣だった。
「遮断したら全部止まる。止めたら復旧が大変。復旧は……僕の仕事が増える。嫌だ」
理由が雑!でも、その雑さがゲンゾウさんだ!
管理アバターが数秒沈黙して告げた。
『提案:非承認』
『修正優先度:高』
『遮断処理を――』
「じゃあさ」
ゲンゾウさんが震える指で額の紋章を指す。
「僕が権限者だよね?だったら“遮断”じゃなくて、“制限”にして。負荷が上がるなら……上がらないように、配線を太くする」
言ってることは無茶だ。
でも、妙に“現場”の理屈だ。
シオリ支部長が、俺の横で小さく息を吸った。
(……支部長、笑ってる?)
笑ってない。口角が微動しただけだ。
でも、あの支部長がそれをやるってことは、刺さったってことだ。
『権限者の指示を確認』
『制限処理に変更』
『ただし、権限者への負荷が増大します』
「負荷って……痛い?」
『痛みの定義は個体差』
「やめてその言い方!」
ゲンゾウさんが泣き声で叫ぶ。
次の瞬間。
ゲンゾウさんの額の紋章が、じわりと熱を帯びて光った。
白ではなく、鈍い金。
そしてその縁が、ほんの少しだけ――黒ずむ。
「……っ」
ゲンゾウさんが歯を食いしばる。
震えが止まらない。肩で息をする。
(やばい。器が削れてる)
俺は反射的に出力を絞ろうとして、逆に溢れた。
蛇口の壊れた魔力が、ゲンゾウさんへ流れ込みそうになる。
「カナタ!」
支部長の声で我に返る。
「……絞れ。供給を一定にしろ。ゲンゾウさんを壊すな」
「……っ、はい!」
俺は必死で“一定”を作る。
制御は粗い。だからこそ、無理をすると周りを壊す。
管理アバターが、ゆっくり腕を下ろした。
『修正:完了』
『次の階層へ進行可能』
白い光が薄れ、通路の奥に赤黒い線が伸びていく。
助かった。
……助かった、はずなのに。
ゲンゾウさんの額の黒ずみが、消えない。
「ねえ、カナタくん」
ゲンゾウさんが、小さな声で言った。
「僕……今、ちょっとだけ、ダンジョンの“声”が聞こえた気がする」
冗談じゃなく、怖い言葉だった。
アリスが息を呑む。
「……主が、目覚めていく……」
「目覚めなくていい!寝てて!」
ゲンゾウさんが叫ぶ。
シオリ支部長が、カウントダウンを見上げた。
【22:59:06】
「もう一時間も経ったのね」
支部長の声が低い。
「……100階まで、このペースで行けると思う?」
誰も答えられなかった。
通路の奥で、赤黒い線が別の色に変わる。
――黒。
黒い回路が、じわじわと広がっている。
『追加修正が必要です』
管理アバターが、もう一度だけ告げた。
『次の階層で――“供給元”を確定します』
俺は、喉の奥が凍るのを感じた。
(次で、バレる?)
カウントダウンが容赦なく減っていく。
【22:50:47】
俺は、ゲンゾウさんの背中を支えながら、暗い通路へ足を踏み出した。




