第1章 クラン ・ 第2話 五ツ詣り ①
翌朝、この集落の少年ツムジが俺の様子を見に来た。
「多伎さま。八野凝の翁(じいさん)のところへ行ってきました。阿利を葬るのは明日に決まったそうです」
鬼に精気を抜かれて死んだ若夫婦の葬儀のことだ。俺を助けた男は阿利と言った。
ツムジが八野凝じいさんからもらった食べ物を土器に盛ってくれた。たぶん、そのじいさんは郷の長老のような人かな。
「八野凝が怒ってましたよ。多伎さまが帰ってきたのならどうして、儂のところに一番に顔を出さないのか、ってね」
ツムジは八野凝の真似をして自分で笑う、無邪気な少年だった。
「俺のことは多伎でいいよ、ツムジ。敬語もいらねぇし」
俺が言うとツムジは目を輝かせ、
「本当に? 子供の頃みたいだね。多伎! じゃ、友達になろう。俺が多伎を助けてあげるよ。夜、また来るね、多伎!」
本当に嬉しそうだった。俺に多伎の記憶がなくて、ツムジに申し訳ない気がした。
俺は八野凝の差し入れを全部食べた。それだけでは満腹にならなくて、昼前にはひもじい思いをした。
俺は多伎の家を出て、バイトを探す決心をした。とにかく農作業でも屋根修理でも手伝って、飯を食わせてもらおう。
腹一杯食いたい。こんな量で若い俺の食欲が満たされるかってーの。
俺は集落を歩き、人を探した。細い水路の補修をしている男が二人居た。髪を髷に結い、とても引き締まって日焼けした男達だ。
俺は腰の低い感じで、バイトの件を切り出した。
「あのー、突然なんですが、何かお手伝いすることは…」
そうしたら、大の男が二人揃って、
「ヒェッ! ヒャ―‼」
と、悲鳴を上げながら逃げ出した。
「あっ。怪しい者じゃありません。俺は腹が減ってて…」
俺は何歩か追いかけた。
男達は幽霊を見たかのように青い顔で走り去ってしまった。
あーあ。どうなってんだよ。がっかりする。
その後、葦の束を担いでいる男達を見つけた。葦は屋根を葺く材量だ。俺の世界ではヨシと言う。河原に生える背の高い草だ。
この集落には運搬の為のトラック、車、馬車、荷車すら無い。長い葦の束を全て人力で運ぶ。
「お、お手伝いすることってありますか?」
緊張しながら声を掛けてみたが。
やはり、男達は蒼白になって、
「多伎さま! 滅相もありません! 手伝ってもらうなんて、とんでもない…!」
葦を放り出して逃げていった。
俺は涙目になった。
「多伎…。お前、嫌われてんじゃねぇの?」
俺はそこに居ない多伎に文句が言いたかった。
収穫期を過ぎた郷ではそれほど人と出会わず、次の集落まで歩いた。
「腹減ったなぁ…」
腹の虫がグーグー鳴った。
普通、竪穴住居で昨夜の若夫婦のような少人数住みの例は少なく、大抵は三世代ほど一緒に住んでいる。あの大きさの住居で子供を含めて六、七人くらい、もう少し大きい住居なら十数人も住んでいる。
竪穴住居は大体二十五年くらいで建て替えになる。そのタイミングで息子達が独立していく。
集落の人達の白い視線に耐えながら、俺は働いている人を探す。
俺はずんずん歩いて、集落を見て回った。木材加工の作業場があったが、そんなところで俺に出来ることは何もないだろう。
大体、工具が半端なく古過ぎる。クサビを打ち込んで木材を割き、カンナが無いのか、細い棒に刃が付いたヤリガンナで木材の表面を滑らかにしていた。
途中、大人が少年に乱暴している場面に出くわした。
ちょっと身なりのいい若い男が、粗末な貫頭衣一枚着た少年に対し、殴る蹴るの酷い暴行をしていた。俺はすぐ止めに入ろうとした。
それで、どこからかツムジが飛んできて、俺を止めた。
「あれは日河の兄さんだよ。所有物をどうしようが、口を挟めない。見ないふりして!」
俺にわけわからない理屈を説明した。
「なんで?」
腹が立っておさまらないから、俺はその日河という男を睨んだ。
日河は俺の視線に気付いた。
「何、こっち見てんだよ。お前は気持ち悪ぃんだよ、多伎!」
「そこまでする必要ある? 何があったとしても…」
日河は多伎の親戚。
殴られていたのは新、十六歳。
この世界には奴婢という使用人制度があった。奴は男の使用人のこと。
6世紀頃の日本には『國のミヤツコ・伴のミヤツコ』と呼ばれた豪族がいて、大王直属の重臣の制度だった。だから、ヤツコという言葉自体は奴隷というほど悪い意味じゃない。
だけど、新は相当酷い扱いを受けていた。
痩せてガリガリ、全身痣だらけで、顔が腫れ、唇が切れて血を垂らしていた。倒れてぐったりして、俺に助けを求めるでもなく無表情だ。
日河の背後には邪霊が憑いていた。それで性格が歪んでしまったのかも知れない。
俺が視たところ、邪霊は灰色の影のようなもので、日河の背中から腕を掛けてしがみついている。古い思念だからか、輪郭がぼやけ、顔立ちは曖昧。三十代くらいの髭ぼうぼうの男だということまではわかる。
暴力で苦しんで死んだ人の思念が、また人を苦しめて死なせようとする、ろくでもないループになっていた。
ちょうどいい、と思う。
邪霊を祓うことが、俺の母方の家業だ。祖父の弥栄千五十寿は弥栄流退魔道の宗家で、全国から弟子を取っている。お祓いくらいなら俺にだって出来る。
いきなり、俺は日河の顔前に手をかざした。
「『風瀧』!」
俺の気で、肉眼では見えない爆風が起きた。弾き飛ばすように邪霊を祓ってやった。
後には欠片も残っていない。成功だ!
何も気付かなかった日河は俺のポーズに顔色を失い、気味悪そうに見た。
「多伎、何やってんの? やっぱり、お前は気持ち悪ぃわ…。あっち行けよ!」
言いながら、自分が帰っていった。
新は何とか自力で立ち上がり、紫色に腫れ上がった瞼でこっちをチラッと見た。
でも、礼も言わずにさっさと歩いていった。
大きな怪我をしてなくてよかったけど、感じの悪い少年だった。
ツムジも新が嫌いらしかった。
「あいつは罪人の子だ。新を庇うなんて。多伎、どうしたんだよ?」
ツムジは不思議がった。
俺は意味の無い暴力が大嫌いだ。何者でも関係ない。
そんなわけで俺は腹ペコのまま、元の小石だらけの道を引き返す。
通りすがりの女の子が一部始終を見ていた。その女の子は佐知、十一歳。幼児の手を引き、赤ん坊をおんぶして、姉の子二人を任されていた。
「子守してるのか。偉いね」
俺は褒めたつもりだった。
もう大人の女のように、佐知も島田髷を結って櫛を挿している。佐知は口を尖らせた。
「働きなよ、多伎。働かない奴が飯食うんじゃないよ!」
辛辣に言った。
しっかりしてるなぁ。
きっと、こういう自給自足の集落では助け合わないと生きていけないに違いない。
「うん…そうだよね…」
俺は消え入りそうな声で返事した。腹の虫がぎゅるるると鳴った。
食べ物が本当に大事だと、俺は思い知った。
その日の午後はツムジの仕事を手伝った。木材を流水で運ぶ大溝の修復工事で、泥をさらい、埋まった部分を掘り起こして側面を固める、かなりハードな労働だった。
俺はジャケットを脱いで、ひらひらしたスカートも取り外し、深い溝に降りた。男数人で泥だらけになって夕方まで働いて、顔まで泥がこびりついた。
「多伎! 小さい頃、田んぼで泥んこになって遊んでて、一緒に叱られたよな!」
ツムジが屈託のない笑顔を見せた。
「そうだっけ?」
俺達は額に飛んだ泥を拭い、互いに顔を見合わせた。
ツムジが十四歳で、多伎もまだ十五歳だって。そうなのか。
俺は元の世界で二十歳だったけど、それより若い頃の多伎と入れ替わったようだ。
多伎とツムジは歳が近く、幼少時は一緒に悪戯をやる仲間だった。
「でも、多伎は変わってしまった。…何て言うか…、冷たくなって、近寄り難くなった。ここ何年か、余り喋らなくなってしまったんだ」
ツムジが教えてくれた。
大溝の修復後、俺達は集落の広場で井戸水を被り、泥を落とした。
この井戸には四本の掘立柱が支える茅葺き屋根がある。井戸は径1メートル以上ある大木を刳り貫いて筒にしたもの。思ったより井戸の深さは浅い。滑車は無いから、杓子で水を零さないよう汲む。杓子は一人分のラーメンを作る片手鍋くらいの大きさだ。
何から何まで手作りで凄い集落だ。
俺はくたくたに疲れた。
俺達は手を振って別れ、ツムジは、
「病気の母さんが待ってるから、先に帰るね。家で待ってて」
と、集落のデコボコ道を裸足で元気よく走っていった。
日没頃、本当に有難いことに、ツムジが大量の食糧を届けてくれた。
彼は火を熾して甕を置き、雑穀米を炊いてくれた。炊き立ては香ばしく素朴な味がした。
俺はやっと腹一杯食べることが出来た。ツムジが素潜り漁で採った魚もあった。新鮮で凄く美味しかった。炉で焼いた魚を二人で分け合って全部食べた。
「多伎、本当に何も覚えてないの? 全部⁉」
ツムジが念を押した。
俺は多伎と別人なんだけど。どうせ、言っても信じてくれないだろう。
ツムジが帰ってから寝床に一人横になり、多伎と初めて会った日のことを思い出した。




