第2章 ハイエイタス ・ 第5話 翔鸞楼の戦い ②
朱雀門に人が集中したこの隙に、俺は内裏の清涼殿まで行くことにした。
「行くか…」
俺が翔鸞楼の棟から腰を上げた時、何かが飛来してきた。
真っ黒の鵺だった。
異世界から召喚したのだろう。この世界のものじゃない。
鵺は複数の獣のキメラのように描かれるが、実際は邪霊の寄せ集めだ。
黒い瘴気を吐き、形が定まらず、ブヨブヨと膨らんだり縮んだり。黒い羽を散らしながら悪臭を漂わす。
その鵺に手綱と鞍を付け、誰かが騎乗している。
その衛士は鵺で空を駆けて警備している最中、たまたま俺を発見した。
俺は呆れた。有り得ないだろう、衛士に鵺使いが居るなんて。
この鵺は躰の複数箇所に人面が生じ、鳴き声は虎に似る。その人面がかなり崩れ、獣のように変形している。怨念に満ちた凄まじい形相だ。
「ギャアアアオオゥ…」
三つの顔で鵺が鳴く。
鵺が栖鳳楼の屋根に舞い降りた。俺達はツインタワーの屋根の上で対峙した。
乗り手の姿が見えた。若い衛士だ。
俺に向け、最初の一本の矢を番えた。銃器じゃないところが俺のことをよくわかっている。
衛門府の衛士は巻纓の冠と緌を付け、濃紺の袍に風を孕み、白い袴を履く。
儀仗的な平胡籙でなく、実戦的な靫に矢を入れて右腰後ろに負う。
その男が俺の可雲川学院の濃紺のブレザーを眺めた。
「…おい、邪神と見たぞ!」
「それがどうした!」
俺が言い返したら一矢放ってきた。
最初の一本は鏑矢で、ピューーンンン…と笛のような音を立てた。
魔を祓う鏑矢の音が俺をゾクゾクさせた。
その男は大声で名乗りを上げた。
「邪神。俺の名は靫負晴彬。京に禍をもたらす邪神は全て、この俺が退治してくれる…」
俺は痛すぎる矛盾を突いた。
「それはどうかな。大内裏の門を預かるお前が何故、化け物の鵺に乗っている?」
俺達は深夜の向かい合う屋根の上で言い合った。
「これは俺の式神だ!」
「鵺の餌は人間だろ?」
俺の指摘に、生意気で豪胆な衛門府の男が言葉に詰まった。
この男は鵺に人間の死骸を餌として与えて飼い慣らした。
元は某退魔道流派の門弟だったが、外道の呪術を使った為に破門されていた。
「黙れ!」
そいつは再び破魔矢を番え、弓弦を引き絞った。
俺は馬鹿馬鹿しくなった。
俺の目には矢の軌道が超スロー画像のように映る。
勿論、その矢が俺の眉間か心臓にでも突き立てば、邪神の俺は死ぬ。
でも、避けるのは簡単だ。
靫負晴彬は鵺の脇腹を蹴って空中に躍り出た。すぐに次の矢を靫から引き抜き、夜空に浮かんで俺目がけて射った。
俺は一睨みだけで矢の軌道を逸らす。
靫負晴彬が矢を数本射たが当たらない。
靫負晴彬は太刀を抜いた。鵺を馬のように駆り、俺に斬りかかった。
俺も翼を広げ、夜空に舞い上がった。
鵺の鉤爪が俺を狙う。その後ろから靫負晴彬の太刀が振り下ろされる。
甘い。
俺は空を自在に飛び、靫負晴彬を弄ぶ。急旋回する俺の視界で美しい夜景が傾く。
伊都之尾羽張の真っ黒な刃を閃かせ、一撃で鵺の首を刎ねた。
鵺はジュッと焼かれて一声鳴き、水滴が消し飛ぶように消滅した。
靫負晴彬が墜落した。
この高さから墜落したら命は助からない。
靫負晴彬は、燃え上がる朱雀門の屋根の脇を掠めて落ちた。
重要文化財・朱雀門はその名の通り赤々と燃え、炎の翼を広げていた。
消防士が放水して虹がかかった。
俺は奇跡のような衛士を見て舌打ちした。しぶとい靫負晴彬は衛門府の同僚を引き連れ、塀に梯子を掛けて瓦屋根に上がってきた。
こいつ、不死身か?
「邪神だ! 誰でもいい、矢を当てろ! 手柄がほしいのは誰だ⁉」
大勢で弓を空に向けて構える。
「馬鹿が。当たると思うなら、天に向けて射て!」
俺は空中で嘲笑った。
俺の奥にどす黒い何かが湧く。俺から黒い瘴気が滲み出す。
靫負晴彬が騒いだせいで、陰陽寮退魔課の五百里と市姫が俺に気付いた。
「あれは…黎明に憑りついた邪神か⁉」
五百里が俺の霊波を感じ取った。
「視て! あれ、何⁉」
市姫は朔月の空を仰ぎ、騒いだ。
今までに経験ないような強烈な邪神のエネルギーを感じた。
「市姫さん。あれが……うちの甥っ子に憑りついた邪神です。八咫烏みたいな…黒い翼を持つ化け物……」
五百里が俺を語った。
俺が作り出した鬼は市姫の『鬼比礼』で祓われ、その場から逃げ出した。
この鬼は人間の精気を吸ったので、もう人間に戻ることが出来ない。
五百里が追いかけ、仕方なく鬼の首を斬り落とした。
空の上で、衛士の靫負晴彬が俺の折角の楽しみを潰した。
俺は鵺を相手にして、陰陽寮退魔課の連中に見つかってしまった。
鵺のせいで招かれざる客が俺の気配を嗅ぎつけ、闇の深淵から昇ってきた。
それは俺を喰いに来た怪物。
黄泉の底に巣食う邪龍だ。
全長20メートル以上ある黒い邪龍が、俺の活動するエネルギーに引き寄せられて来た。
邪龍にとって、俺は格別美味いご馳走だ。
邪龍は正気を持たない。飢える邪霊が寄せ集めとなって変化したもの。
全身の輪郭が黒い靄のように曖昧で、ブクブク膨れて黒煙を吐く。瘴気が澱んで渦を巻く。
頭部は無数にある。何本か長い首をうねらせる。幾つか鬼の顔が歪んで生えてきては隠れ、場所が他に移った。
どの頭部にも人間の知性はない。怨念と狂気だけが宿っている。
見た目で人を怖がらせるグロテスクな玩具の鬼面と違うところは、この狂気そのものの目つきだ。
口が前に迫り出して大きく裂け、ギザギザに尖った歯の隙間から涎を垂らす。その舌からも人面が生えて、ヒヒヒヒ……と嗤っていた。
邪龍の無数の短い脚がムカデみたいにウニュウニュとくねった。
「誰が喰われてやるかよ!」
俺は急に面白くなってきて、伊都之尾羽張を握り直す。
俺は翔鸞楼の上で浮遊する。
俺の肉体の背後に、俺の精神体・黒い鱗混じりの白銀の龍が浮かぶ。鹿のような角、黒い翼、八対の大きな鰭と鉤爪の付いた四肢がある。
空が俄かに掻き曇り、暗黒と化していく。
「視えますか? 市姫さん。あいつ、『龍変化』した…」
五百里と市姫が上空を見上げて興奮した。
「うん、視えるよ。嘘みたい…。邪神VS邪神なんて、初めて視た……」
さすがに恐怖を感じずにいられなかった。
靫負晴彬と衛士達は瘴気によって頭痛に見舞われ、余りの霊圧にとても立っていられなかった。衛士達は塀に伏せ、ブルブルと震えた。
靫負晴彬は仲間の靫に手を掛けた。
「矢を貸せよ!」
矢を横取りして、俺を射ようとして禍々しさに目が眩み、遂に気を失った。
邪龍。朝廷によれば、思考力もないこいつとこの俺が同格になるらしい。
こいつらは図体が大きいだけ。
俺を喰うことだけ考えて涎が止まらないが、俺が何者かよくわかってない。
俺は異次元から弓矢を取り出す。黎明を通じてこの世界に持ち込んだ矢。
弓矢を空中に浮かべ、手を二つ叩いて雷雲を呼んだ。
「ときに神いでまして『雷電霹靂』す。邪しき鬼に雷おつ…」
時空の断絶を越えて、俺の弓矢が全自動の雷撃の矢を射た。
暗黒の空全体がひび割れて裂けるように閃光が走った。凄まじい雷鳴が轟く。
俺が使う『雷電霹靂』はミサイル並みの破壊力がある。京の空を丸ごと灼いた。
落雷から火の手が上がる。地上で火災が相次ぐ。
邪龍が一瞬で吹き飛んだ。
次の瞬間には微塵となった粒まで細かく燃え尽きた。
俺と邪龍では格違いだ。
巨大な邪龍が蒸発するまでに、地上に黒い血の雨が降った。
衛士達と五百里達は邪龍の黒い血の雨を浴びた。この穢れた血を浴びた者はいずれ膿み腐る。浄めないと死ぬだろう。
俺は邪龍だけでなく、京の邪霊という邪霊を一気に焼き尽くした。
一部の邪霊が逃げようとしたけれども、俺の怒りが収まらなくてトドメの雷を食らわせる。
ツインタワーの栖鳳楼に亀裂が入り、火を噴いて傾ぐ。
血の雨の後、雷雲から本物の雨が土砂降りになって降り注ぎ、地上を鎮火した。




