第2章 ハイエイタス ・ 第5話 翔鸞楼の戦い ①
鳥は鳥でも烏だから、美しい声で囀ることもないし、濁声で急かすように鳴くだけだ。
俺の翼は、心のどす黒い深淵が滲み出したみたいな闇色をしている。
奪われた分を奪い返し、抉られた分を抉り返してやりたい。
毒を以て毒を制するなら、毒で死ね。
俺はこの捨てきれない怨念の為に邪神となった。
朔月の夜、俺は翔鸞楼の屋根に立つ。京を睥睨するツインタワー、翔鸞楼と栖鳳楼。
俺は大内裏を一望する。
応天門、朝堂院、大極殿、更に奥深く、陰陽寮退魔課の結界の向うに内裏。
鳳凰の住まう清涼殿は夜闇の中。
俺は翔鸞楼の棟瓦に腰を下ろし、瓦屋根を持つビル群を眺めた。
翔鸞楼は十三層建て。今や、松明に代わってLEDの灯りが楼閣を照らす。
俺は屋根から階下を伺った。
まず、朱雀門の結界。これは大したことない。
それより、陰陽寮退魔課が仕掛けた邪霊センサーに要注意だ。
各省庁の入る朝堂院ビル、ここの六階に陰陽寮退魔課の貧相なオフィスが在る。
陰陽寮退魔課はプライドを懸け、内裏全体に夜の結界を張っている。
例えば、応天門から朝堂院の外周りを一直線に駆け抜け、内裏まで辿り着くには結構な距離があって厳しい。
衛門府や兵衛府に見つからずに侵入することは不可能だ。
しかし、衛士は退魔師でも僧侶でもない。俺にとっては問題外。
このコースにも陰陽寮退魔課の邪霊センサーが複数あるようだ。
陰陽寮退魔課、これが一番面倒だった。
今夜の目的は偵察だけなので、テンプレートで行こうと思う。
始めに、朱雀門で騒ぎを起こす。
俺は道端にいる邪霊に通りすがりの人間を混ぜ合わせ、鬼を作った。
こんなことは容易い。禁断の呪術だけど、この際構わない。
鬼になったのは残業帰りの公務員、ダークグレーのスーツを着た男だ。三十代の既婚者。彼は不運な男だった。
鬼化して目玉が白く光って突出し、口が耳まで裂けた。肩の筋肉が盛り上がり、口から涎を垂らした。ホラー映画のゾンビみたいにギクシャクと歩く。
鬼の本能は殺戮と食欲のみ。手当たり次第に人間を襲う。
鬼は朱雀門の脇をよじ登り、衛門府の衛士を襲う。
わざと邪霊センサーに引っかかるというわけだ。
陰陽寮退魔課で邪霊センサーの警報音が鳴った。
防犯モニターには黒い影しか映っていない。
その夜の夜勤は二人。弥栄流退魔道の宗家の子・五百里と、元・御巫の市姫。
「五百里さん、朱雀門に邪霊が出た! 出動だよ!」
市姫は五百里の羽織の襟を引っ張り、陰陽寮退魔課を飛び出した。
市姫は美人でスタイルよく、黒のロングのニットワンピースがよく似合う。片側に大胆なスリットが入り、走ると太腿がちらちら見える。
「市姫さん。そんなに急ぐと足を捻挫しませんか? そのピンヒール…」
五百里が野暮なことを言った。
市姫はゆるく波打つ黒髪を掻き上げ、五百里に忠告した。
「五百里さん。早く結婚したかったら、女性の服装に口出ししない方がいいよ! モチベーションが下がるんだけど!」
二十歳の市姫の方が先輩で、一度結婚した後、現在はシングル。
新人の五百里は三十歳で独身だった。
五百里は今夜も羽織袴で草履履き。彼も全力疾走に向かない格好。
(いや、色っぽくて凄くいいと思うよ。脚がきれいに見えるよね……って言ったら、セクハラになるでしょうが⁉)
五百里は心の中で言い返した。
すると、何を感じ取ったのか、市姫はスカートのスリットの太腿辺りを押さえて、
「ちょっと! あんまりジロジロ見ないでくれる⁉」
と、五百里にまさかの文句を言った。
「はぁー⁉」
五百里はわけわからなくて、だったらそんな服着るなよ、と思った。
二人は朝堂院ビルを走り出て、現場に到着した。
俺が作り出した鬼は最高の働きをした。次々と衛士を襲って、精気を喰らった。
精気を吸う度に鬼が筋骨隆々となっていき、大きくなる。
朱雀門はスズメバチの巣を突いたような大騒ぎに。
朱雀門には象徴的に飾り立てた武官が立っている。警察官や自衛隊と比べる間でもなく、活動的とは言い難い制服の衛士達。
巻纓の冠と緌を付け、縹の闕脇袍を着て袴を履き、矢を立てた靫を腰の後ろに負う。
この衛士達が破魔矢を射かけ、鬼を追い払おうとする。
しかし、黎明の世界じゃ、今では鬼が滅多に見られなくなった。火葬が行われるようになったからだ。
衛士達は本物の鬼を見て腰が引けた。矢が全く届かなかった。
それで衛士達は破魔矢を諦め、拳銃を取り出して発砲した。
鬼に銃弾は全く効かない。鬼は銃弾を受けてビクンビクンと身を震わせたが、また何事もなかったかのように動き出す。
「ワァーッ…‼」
衛士達が総崩れになって逃げ出した。
俺はこのタイミングで朱雀門の周辺に不審火を発生させた。
朝堂院ビルは鉄筋コンクリート八階建てだが、文化財の朱雀門や応天門は木造なので、すぐ消火しないと炭になってしまう。
消防車が駆け付け、放水。後から後から人が湧き、蠢く蟻のよう。
衛門府や陰陽寮退魔課の目を引き付けておいて俺は闇に潜み、状況を見守った。
五百里と市姫が駆け付けた時には風が焦げ臭かった。消防車のサイレンが鳴っていた。
朱雀門に向けられたライトを浴びて、鬼が暴れていた。
衛士達は離れて矢を射たが、誰も命中出来なかった。
その反対側でどす黒い煙が上がり、火の粉が舞っている。
「火事だ! 消防車はまだか⁉ 邪霊はどこだ⁉」
五百里は袂で口元を覆い、煙を吸い込まないようにした。
市姫はゴホゴホと咳込んだ。
視界が悪い。五百里は自分の霊気をぴんと張り詰め、鬼の気配を探る。
大勢の衛士が逃げてくる方向から鬼の気配が近付いてきた。
「来た…!」
「あそこだよ、五百里さん!」
二人は鬼を見つけた。
筋肉が盛り上がってボロボロに破れたダークグレーのスーツで、ネクタイがちぎれかけ。元が公務員だったことは一目でわかった。
五百里は抜刀したけれども、斬ることをためらった。
「『鬼比礼』…!」
市姫が旋風を起こし、先攻の祓を行った。
俺は五百里の探知力の圏外で、翔鸞楼の屋根から見物していた。
怯えきった衛士達の破魔矢が届かないのは傑作だった。
「ヒャハハハ…」
俺は腹を抱えて笑った。
この隙に侵入する? 隙がありすぎて、偵察だけのつもりが次の一歩を誘われる。
いや、俺は地上を歩く必要もない。
この翼で飛翔して、陰陽寮退魔課の結界をこじ開け、内裏十二階の空中庭園にある清涼殿を直接訪問するとしよう。




