第1章 クラン ・ 第1話 世界の交換 ④
「多伎さま。おはようございます」
手作りの釣り竿を持った少年で、雄の柴犬を連れている。
その少年は明るい笑顔で溌剌とした感じ。年は十四歳。目がぱっちりと大きくて可愛い。短髪の中央がツンツンと立っている。
少年は質素な貫頭衣のシャツを着て袴パンツを履き、躰の前で帯を結ぶ。
俺は知らない相手が親しげに話しかけてくることで、警戒心を隠せない。
こいつ、誰?
「多伎さま。鬼を狩ってたんですか?」
少年は全身返り血塗れの俺を見ても、何故か笑顔だった。
自然と少年につられて、砂利道を一緒に歩いた。
どうやら、この集落にはアスファルトの道路が無い。
坂道を降っていくと、盆地一帯に田んぼが広がっていた。既に収穫の時期を過ぎていた。
田んぼの一反は普通より小さめ。傾斜地は棚田で、平地の田んぼも溝に沿って曲線の部分があった。
川はいくつも細い支流に分かれ、各支流沿いに集落があった。
石で護岸工事をした船着き場があり、その桟橋の手前に鳥居のような柱が立っていた。
そこにかかる細い注連縄は、魔物や禍が集落に侵入することを防ぐ為のもの。木の枝で作った魔除けの×印が、風に揺れてカタカタと音を立てていた。
「多伎さま。その黒い血、早く川で流して浄めないと。毒が蓄積して鬼になっちまいますよっと!」
少年がいきなり、俺の尻を蹴った。
「ワッ」
予想外に思いきり蹴られ、俺はふらついて川に転落した。その日の川岸近くの水位は割と浅く、俺の膝ぐらいまでだった。
「冷てぇー!」
さすがに俺も頭に来た。
「クソッ! 俺は多伎じゃねぇ!」
俺は川底に尻餅着いたまま、叫んだ。
俺と多伎は確かに顔が似ている。
でも、俺はあんな性格悪そうな面じゃねぇ。
すると、少年は笑顔で答えた。
「何言ってんですか? このクニで翼を生やしてる人は、多伎さましか居ませんよ!」
俺は驚いた。
背中で黒い翼が羽ばたき、川から俺の躰が宙に浮き上がった。
水飛沫を撒き散らしながら、バッサバッサと自分の派手な羽音を聞いた。
その翼は向うが透けて見える、影にも似た翼だった。
そう言えば、俺の記憶でも多伎には黒い翼があった。
その翼は烏に似ていた。五本の指を広げたような風切り羽が目に付いた。
俺の脳裏で子供の頃の記憶が映像になった。従姉の七海姉が着物姿でこう言った。
「あれは邪神……。よーちゃんは黒い翼を生やした男の人になって…」
あの時は意味がわからなかった。
記憶が走馬灯のようにめぐった。俺は今までに多伎と三回会っている。
俺は本当に多伎の世界に来てしまったのか?
翡翠の勾玉の首飾りに指で触れた。そうだ、見覚えがある。確か、この勾玉は多伎の所有物だった。
日没頃、俺は多伎の家に着いた。
ごく普通の竪穴住居で、この集落の一番奥に在った。家の横手に掘立柱建物が二棟在り、方形の敷地は簡単な柵で囲われ、家の前はちょっとした広場になっていた。
あの少年・ツムジは本当にいい奴で、飯を食わせてくれて、多伎の家まで連れてきてくれた。
昼間、一緒に釣りをしたし、あの若夫婦の葬儀の手配もしてくれた。
「多伎さま、頭でも打ったんですか?」
ツムジは多伎としての記憶が無い俺を、一時的な記憶喪失と考えたらしい。
俺が別人だと言って通じないなら、そう思わせておく方が面倒臭くなくていい。
どの道、俺は多伎に会わなくちゃならない。多伎の家で待つことにした。
俺、これからどうしよう。大学は? 単位は? 就活は?
多伎は有名みたいだし、暫くはタダ飯食えるかな?
リアルにどうサバイバルすればいいんだ? スマホもない、自給自足の集落でコンビニすらねーよ。
しかも、夜になったら街灯もなくて集落全体が真っ暗だし、ちょっと怖い…。
ツムジは自分の家へ帰った。頭に二つ旋毛があるからツムジと呼ばれているらしい。
つまり、この集落の人達は互いを通称で呼び合っている。
土器を見た時から違和感があったが、集落の建物や田んぼの様子を見るうちに、俺は少しずつ気付き始めた。
ここは俺が知っている場所から遥かに遠いところじゃないか…って。
もしかして、この集落を出ても、ずっとこんな竪穴住居と掘立柱建物の村が続いていく……。
炉で焚火をしていたら、暗い玄関で微かに物音が鳴った。
多伎か? いや、多伎の気配はしなかった。
多伎の家族が帰ってきたのでもなさそう。
バキバキ…、奇妙な音が移動し、屋根を登っていく。俺の不吉な予感が的中し、腐臭と鬼の気配が濃厚に漂ってきた。
鬼がこの住居の隙間から侵入しようとしている。
バキ、バキ…、高い換気口の辺りから音が聞こえる。
俺は冷や汗をかき、急いで武器を探した。




