第2章 ハイエイタス ・ 第1話 ヨリマシ ②
大宮祭の稽古の日々が終わり、本番の日がきた。
祭は旧正月に行われる。
大好きな彼女に俺の晴れ舞台を見てほしくて、弥郡まで来てくれと頼んだ。
だが、清香は来てくれなかった。
「そんな古臭い祭なんて、興味ないんだけど」
清香は地方の祭よりクリスマス。高価なプレゼントを受け取った後は、俺のことなんてどうでもいいらしい。
俺と千歳兄は弥栄氏の忌みの井戸の水で身を浄め、別々に籠った。
潔斎の間は誰とも喋らない。その間、一族の子供が運んできたお粥とお汁を頂く。
こうして毒を抜くように穢れを抜き、神さまを依せる為に浄められていく。
俺達を除いて、神職や氏子達が慌ただしく準備をする。神饌作りや飾り付けなどに追われる。
田舎の祭は地元の人達が大勢関わり合い、協力し合って伝統を支えている。
俺達はそれを面倒臭いとか言いながらも、毎年楽しみにしている。
俺と千歳兄は祭の当日まで会えない。
俺は別棟で着物を着替え、キリッと化粧を施された。
祭の前夜、俺は白地に藍色の模様が入った神衣を着て、大宮の斎庭に出た。
西陣織の帯のように金糸銀糸を織り込んだ豪華な神衣、これがバリッとして重い。
トヨばぁが言っていた。本当に大事な儀式は夜にやると。
これだ。
宮司の祖父に見送られ、白装束の男達を先頭に、お旅所まで深夜の行列に出向く。
お旅所とは神社創建の由来になった場所や、元の鎮座地などを言う。
今は神輿を担ぐ祭が多い。
俺はその神輿だ。神さまを乗せる器だ。
先導の男達が提灯を持つ。俺は黒い牛が牽く輿に乗り、大宮通りの坂をゴトゴトと揺られていく。
静寂の暗闇をゆくコスプレみたいな時代行列。二月の寒空に小雪がちらつく。
見ずの儀式なので、里の人も家の中に籠り、行列を観ることは厳禁だ。観光客も宵の行列を観ることは出来ない。
この祭のお旅所とは、弥の宮のことだ。
俺はまたあの不気味で恐ろしげな夜の弥の宮にゆく。
多伎のことを思い出し、心臓がドクンドクン鳴っている。
俺の任務は、弥のミオヤを大宮の斎庭へお連れすること。
俺は行列を引き連れ、ヤシロの石段を上がっていく。無言の先導が提灯で前方を照らす。
重くて嵩張る神衣を着込み、神職と同じ硬いクツを履いた俺は、慎重に一段ずつ上がっていった。
(弥のミオヤ……)
両手を打ち鳴らし、詣でた瞬間から、俺は重い霊力を感じた。
「うっ…」
思わず、俺はその場にへたり込みそうになった。
弥のミオヤが俺と重なり、宙に浮くように座った感覚があった。
宵に神迎えして、神を寿ぎ、歌舞などして、神送りして開(終わり)になる。
この祭で神さまの力が新しく生まれ変わり、力が増す。こういうのを『御生れ神事』と言う。
ミオヤは若者に依りやすい。お役は一族の血を引く若者から選ばれる。
トヨばぁが前に、
「よーちゃん。八と言うのはな、弥を指す暗語なんや」
と、言っていた。
古くは弥生、弥栄、弥弥、新潟の弥彦神社など、弥の字はイヤと発音したが、後にはヤと発音するように変わる。
「そやから、剣の儀で敗ける白蛇が『八』で、弥のミオヤを意味してるんやで」
トヨばぁがこっそり教えてくれたこと。
弥のミオヤが敗けることを弥栄氏と弥郡の者が祝う、謎だらけの祭だ。
翌朝(剣の儀の当日)八時、俺と千歳兄が中殿に上がった。
千歳兄は黒地に赤の文様の神衣を着ている。
俺達はまだ面を付けない。
千歳兄は胸を反らし、未来の弥栄流退魔道宗家らしく堂々としている。昨夜、千歳兄には大宮のミオヤが依りついたはずだ。
(千歳兄、格好いいな…)
俺は憧れずにいられなかった。
神職の盛装を着た神主(俺の祖父)が上殿に向かい、祝詞を奏上した。
国司と郡のお偉い方々は、黒い冠・束帯の盛装で中殿に昇り、俺と千歳兄の向かいに座った。御簾越しに見詰め合う。
その日の祭の次第は長々とあり、俺と千歳兄は神像のようにじっと固まっていた。
京から来た勅使が長い文を読み上げている間も、俺達は欠伸一つしてはいけなかった。
太鼓が叩かれ、トヨばぁ譲りの腕を持つ三波の笛の音が聞こえ始めた。
直会(神さまと一体になった祭のお役と、地域の代表達が共に飲食する儀礼)が始まる。
腹減ったぁー。
俺と千歳兄が束帯姿の大人達と共に飯を食す。御膳に並ぶ菜や汁、魚、小皿に載った少量の飯を食べ、装束を着て化粧した稚児達から酒を注がれ、静かに飲む。
俺はまだ二十歳で、日本酒に慣れてなくて、少しむせた。
「ゴホ…」
千歳兄が俺に目配せした。飲むフリだけでよかった。
俺達と重なり、ミオヤが召し上がる。
腹ペコの俺は一気に飯を平らげた。
俺は既視感を覚えた。
(この景色、どこかで見たんだよなぁ…。何だっけ?)
思い出した。
五ツ詣りの時、俺は異世界に彷徨い込み、多伎になって戸を開けた。
いきなり外階段があって、その前に素木の御机に積まれた神饌の山があった。
丹塗りの柱と楼門が見え、束帯姿の男達が宴で飲食していた。赤と黒の世界だった。
今思えば、大宮祭の光景だった。
あの時、七海によく似た壱という美少女が、多伎(俺)の酒坏に酒を注いだ。
あの壱も、壱は名前でなくて巫のことだった。
(あの時の…)
俺は目が眩む思いで、神饌が積まれた御机と、大宮の丹塗りの上殿を振り返った。
夕刻になって篝火が焚かれ、石灯籠に光が入った。
暗がりに大宮が幻想的に浮かび上がった。上殿の鮮やかな朱色と群青と青緑の極彩色。
中殿は帳を上げ、蔀を上げ、舞殿は篝火に照らされる。
篝火から火の粉が噴き上がり、夜風に吹かれて舞い散る。炎が観光客の顔を赤々と照らす。
テレビ中継が始まり、カメラマンは舞殿と観光客を撮っている。
「千歳兄…」
剣の儀の本番前になって、俺は緊張してきた。指先が震えて、心臓がバクバクと大きな音を立てていた。
俺と千歳兄は一旦、裏(社務所)へ下がり、固まった躰をほぐした。
俺達は壱と八の面を付け、舞の本番で使う模擬刀でリハーサルを行った。
「黎明。俺も初めての時は酷かった。何か失敗しても気にすんな。観光客も、お役が若いって知ってるし、全然怒らねーよ」
千歳兄が俺を落ち着かせようとして言う。
「うん…そうだね…」
俺の震えが止まった。
俺は知っている。初回から千歳兄の剣の儀は完璧だった。
「黎明。これが俺達、弥栄流の誉れ。俺達はミオヤを己に召喚し、一体となって舞う。俺達が力を出し尽くし、ミオヤは満足して、異世界にお帰りになる…」
千歳兄が俺の背中を叩いた。
「…わかってる。ミオヤに…最高の舞を見せるよ…」
俺は千歳兄と、拳と拳を突き合わせた。
出番だ。俺達は舞殿の階段を上がった。
その時にはもう、俺の中で異変が起きていた……。




