第2章 ハイエイタス ・ 第1話 ヨリマシ ①
俺が多伎によって異世界に落とされる前。
俺は弥の宮から異世界へ迷い込み、ご神宝(勾玉と黒い弓矢)を異世界から持ち帰った(五ツ詣り、十三詣り)。
ご神宝をもらったのは、弥栄氏で他に誰も居ない。
あれ以来、曾祖母・トヨばぁが俺の巫の才能に惚れこみ、俺を直弟子みたいに可愛がって退魔術を教えた。
その影響で、俺は弥栄流退魔道宗家の後継者をめぐる諍いに巻き込まれ、次期宗家の千津雄伯父から敵愾心を向けられてきた…。
俺は船を漕ぎながら、元の世界のことを思う。
両親、トヨばぁ、祖父や千歳兄、七海姉のことを思い出す…。
皆、元気かなぁ…って。
あの元服の儀と十三詣りから八年経った。
トヨばぁは危篤から持ち直し、九十歳になって以降も元気だ。背は多少縮んだ。
俺の十三詣りの願かけはうまくいかなかった。俺はクラスの一番人気になりたかった。
でもまぁ、友達には比較的恵まれて、お陰で楽しい学校生活を送れたかな。
俺はギリギリの成績で何とか千歳兄と同じ大学に進学して、彼女も出来て、異世界で会った多伎のことを思い出すこともなくなっていた。
元々、俺は弥栄流退魔道を絶対に習わないといけない立場でもなかったし、修行に明け暮れた母方の従兄弟達と違い、のんびりと育った。
俺は母の実家に帰った時だけ、祖父やトヨばぁから弥栄流退魔道を習った。
祖父は厳しい人だった。
祖父・弥栄千五十寿は教えることにタイミングがあると思っていて、いつでも聞いたこと全部に答えてくれるわけじゃなかった。
子供の頃、俺は何でもトヨばぁに質問した。
まず、あの弥の宮は何かということ。
「弥栄氏は大宮の宮司を代々務めてるけど…、ほんまのミオヤは、あの小さな弥の宮の方なんや」
トヨばぁは口惜しそうに話した。
日本の神さまには天津神(天神)と國津神(地祇)がある。
天津神は天照大御神など、高天原の神さま。
國津神は出雲の大国主神や伊勢の猿田彦神、つまり、地域土着の神さま。
その違いは律令時代から厳しく区別されてきた。
勝って支配者となった側が祀る神を天津神、敗けて服属した側が祭る神を國津神と称しているとも言える。
その格付けが定まったのは、7世紀の天武天皇の頃らしい。
「よーちゃん。弥のミオヤは、朝廷に邪神と定められて。それであんな小さなヤシロしか造らせてもらえず、滅多に修繕もさせてもらえへん…」
「邪神…⁉ それ、マジで⁉」
俺は衝撃を受けた。
うちの母方のミオヤは邪神だった!
驚愕の余り、暫く言葉が浮かばなかった。
「邪神…て、トヨばぁ…。一級邪霊ってこと?」
「そうやで。よーちゃんも視たやろ。そんな悪い神さまと違う。白く光り輝いて、物静かな綺麗な方や…。私も何度か、お姿を拝見した。…お聲を聞いただけで気絶するという言い伝えは…ほんまやったんやなぁ…」
トヨばぁは俺を見て、思い出し笑いした。
俺は弥のミオヤの聲を聞いて気絶したことがある。
余りにも霊力が桁違いすぎて、俺の精神が持たなかった。
「よーちゃん。それでも、邪神ほど力が強いとされ、ひっそりとした宮ながら、今も全国から訪れる方は後を絶たん。呪詛や祟神鎮めをお願いに来はる方もある」
トヨばぁの話は更に俺を驚かせた。
こんなこと、祖父は絶対に言わねーから。
俺の中に新たな疑問が湧いた。
「ひっそりとしか祭られてない弥のミオヤのことを、知ってる人がいるの?」
「宮中で、朝廷が堂々と祭祀してるしな。そういう時だけ、邪神とは言わへんの」
そこでトヨばぁも口を噤んだ。
そして、三度目の事件が起きる。
大学二年になったある日、俺は祖父に呼び出された。
大学帰りだったので、濃紺のブレザーの制服をそのまま着て行った。
弥栄邸の敷地内の剣道場・龍髭館で、先に来ていた千歳兄とその弟・千春の隣に座った。
千歳兄と千春は俺に知らん顔で、祖父の向かいに正座していた。次期宗家の千津雄伯父や、弥栄流の門弟達も居た。
皆、稽古終わりで剣道着姿だったから、俺だけがその場から浮いていた。
祖父は俺を見るなり、厳めしい表情を緩めた。
祖父は孫の中で俺だけをいつも甘やかした。
「黎明。新春の大宮祭で、弥栄流退魔道の秘伝・剣の儀をやってもらうぞ!」
千歳兄と千春は小さく舌打ちした。
剣の儀の『霊媒』…。
自分の躰に神霊を下ろす、大宮最大の特殊神事。
千歳兄と千春は次期宗家の息子として厳しく育てられた。千春は我慢出来ず、不満を漏らした。
「なんで外孫のよーちゃんが……?」
一方、俺は嬉しくて、床から腰が浮き上がるぐらい跳ねた。
すごい事になった。
「マジか? じいじ! 俺、ずっとやりたかったんだ!」
俺は単なるコスプレ・パフォーマンスのように考えていた。
剣の儀の舞い手は二人。
大宮の宝剣そっくりに作られた模擬刀を用い、本物の戦いさながらに二人で打ち合う。打ち合う度に翻る、鮮やかな絹の神衣。
子供の頃から俺の憧れだった。ある意味、祭の主役だな。
多くの観光客の視線を浴びる。毎年テレビ中継される。
テレビ中継の後は全国からお祓い・祈祷の依頼が殺到する。
子供の頃、剣の儀を真似て玩具の刀で遊んだ。俺は全ての動きを見て覚えている。
祖父は俺の喜ぶ顔を見て、満面に笑みを浮かべた。
「黎明。わかってるな。お役は二人。『壱』と『八』だ。黎明には短い方の剣で『八』を演ってもらう。千歳は壱の方な」
祖父が練習用の木剣と面を授けた。
「壱…と…八…」
これは個人名じゃない。この祭の壱と八は霊媒のこと。
『壱』が使う剣の名は、十拳火見剣。
『八』の使う剣の名は、八拳不見剣。
『八』、俺は勝負に敗ける側だ。年長者が勝つ側をやる決まりなので、俺が敗ける側なのはわかっている。
十拳、八拳は刀剣の刃長のことで、十拳は八拳より二握り分も長い。
壱の面は火をイメージして赤く、黒髪の美豆良が付く。
八の面は水をイメージした白蛇で、ヤクの毛のタテガミが付く。ヤクの毛は鬼の扮装に一般的に使われるものだ。
「じいじ。弥のミオヤは白蛇なのに、敗ける側が白蛇なのか?」
俺は不思議に思う。
「黎明! いい加減、じいじとか言うな。宗家と呼べ!」
千歳が俺を窘めた。
祖父が俺を甘やかして特別扱いで、他の門弟達も顔をしかめていた。
祖父は俺の質問を面白がった。
「黎明、敗ける側じゃ不服か?」
「じいじ、そんなことないよ。…あ、いや。宗家、そんなことありません…」
俺は口癖が出て、言い直した。
祖父は腕組みして頷き、
「黎明が剣の儀ごっこをやっていたのは覚えているぞ。でもな、我流はあかん。目で見て覚えるのと、習うのは違う。月とスッポンくらい違うぞ」
愉快そうに笑った。
「黎明。正確に、師から直伝で継承すること。剣術と共に稽古に励め。弥栄氏なら剣術は必須。邪霊を斬らねばならん」
話が脱線し、俺が弥栄氏の外孫だということを忘れたかのように言う。
「宗家! よーちゃんは弥栄氏じゃないですよ!」
千春が猛烈な勢いで立ち上がり、神棚に一礼して走り去った。
千歳兄は苦笑して見送った。
俺より一つ年上の千春、彼は今年も去年も『八』を演じた。きっと悔しかったんだろう。
千津雄伯父は、黎明は初心者だからどーたらこーたら、グチグチ、ネチネチと言い続けた。
「黎明でも、今から稽古すれば間に合うだろう」
祖父は千津雄伯父の抗議を聞き入れなかった。
毎週末、俺は稽古の為に京から電車で通うことになった。
俺と千歳兄は龍髭館を出て中門を潜り、母屋と離れを繋ぐ渡殿に上がった。
従姉の七海と三波が白梅の小枝を持ち、庭を通った。生け花に使う白梅を庭師に切ってもらったようだ。
二十二歳になった七海と二十一歳の三波は、以前にもまして美しくなっていた。花盛りの美しさ。
姉の七海は十八歳から采女として内裏に出仕し、四年経つ。
采女とは、すめらみことの身の回りのことや給仕などをする、地方の有力氏族出身の女官。容姿端麗の娘が選ばれる。
千歳兄が俺に、
「七海は采女になった。そのうち、すめらみことのお目に留まって、御子を孕むことがあるかも知れない」
と、露骨に言う。
俺はそんなの嫌だった。
「え? すめらみことは后やら何やらが何人もいるだろ。七海姉が可哀想だよ!」
俺が話す途中で、千歳兄が睨み付けた。
「何言ってんだ、弥栄氏の為だろ? 郡司の一族の娘が出仕する決まりだ。俺に妹はいないから、七海か三波が采女になるのは生まれた時からの運命だよ。上手く行けば、一族が特別に引き立てられる。お前、全然わかってねーな!」
馬鹿にしたように言った。
それでも、俺は七海が一族の犠牲になるみたいで嫌だ。
七海は采女になったことを名誉なことだと思っているかも知れないけど、どうなんだろう。
俺達の声を聞きつけ、七海と三波が渡殿の近くへ寄ってきた。
「よーちゃん。大宮祭の…剣の儀をやるんだってね…」
七海が儚げに微笑んだ。
以前は長い髪を背中まで垂らしていたが、今はハーフアップの一髻にして、後ろ髪を垂らす采女の髪型。花の簪を挿している。
妹の三波が、
「よーちゃん。チャンバラごっこと同じように思ってたらダメだよぉ。千歳兄に迷惑かけないようにね!」
俺に発破をかけた。
「…采女、辛くない?」
俺の声が寂しそうで、七海は笑った。
「弥郡は京から近いから。また会えるよ。よーちゃん」
七海は馥郁たる白梅の小枝を一本、俺に渡した。
俺は両手で受け取って、壊れそうに華奢な花を祖父宅にある自室まで持って戻った。




