第1章 クラン ・ 第11話 陰陽寮退魔課
陰陽寮退魔課の真っ暗なモニタールーム。
赤い和紙に鬼文字を書いた護符が壁一面貼られた、不気味なオフィス。
深夜の防犯カメラの映像に見飽きた五百里は、デスクスタンドを点け、鞄から本を出して読み始めた。
夜勤のペアを組む先輩・市姫はデスクに突っ伏し、居眠りしていた。
狭いオフィスに五百里のページを捲る音が響く。
五百里は三十歳で独身、髪は長めで不揃い、眼鏡を掛け、痩せてひょろっとした体格。羽織袴で草履を履き、右の小鼻の鼻ピアスが銀色に光っている。
市姫は公務員として職場の先輩ではあるが、年下の二十歳、シングルマザー。美人でセクシー、前職は巫女さんだった。
市姫が上げた顔には、頬の下にあったペンの痕が残っていた。
「……五百里さん、何読んでるの? ふ…ああ……」
深夜二時。市姫は大きな欠伸を片手で隠した。
陰陽寮退魔課の夜勤は二人だけ。仕事をサボってゲームしようが、寝ていようが、咎めるような人はいない。
内裏の邪霊センサーも反応なく、ひたすら暇だった。
「日本書紀です。ちょうど、八咫烏の登場するところ…」
五百里は堅苦しそうな古本の表紙を見せた。
市姫は欠伸を繰り返し、眠すぎて涙を零した。
「ああ、三本足のでかい烏?」
「市姫さん。それ、後から出来た伝承ですよ」
五百里が否定した。
「古事記や日本書紀では、八咫烏の足は三本じゃない。八咫烏というのは豪族・葛野主殿縣主部の御祖で、山城の下鴨神社の神さま、その名も賀茂建角身命と言うんですよ…」
五百里は淡々と語った。
「ああ。私、古事記とか日本書紀とか、全く興味なくて。…あれだよね、五百里さんの実家も、地方の大きな神社さんだったよね…」
そう言う市姫も実家が神社で、幼少期から巫として仕えてきた。神道系の一門。
五百里は俺の母方の親戚で、叔父に当たる。
五百里は弥栄流退魔道宗家・弥栄千五十寿の息子の一人でありながら、名前に千が付かない。半分の五百。
この中途半端さが、弥栄氏での彼の地位の低さを表しているかのようだ。
何故か、苗字も微妙に違う。弥坂五百里と名乗らされている。
五百里は弥栄氏の家業の為に陰陽寮退魔課で勤務することになった。
だが、余り一族の話をすることを好まなかった。
彼は大宮の話には触れず、
「最近、うちの甥っ子が、何か得体の知れない邪神に憑りつかれたらしいんですよ。…八咫烏みたいな、黒い翼があるとかで。…それで弥栄流退魔道の宗家から、甥っ子の監視を頼まれたわけです…」
俺の話をした。
自分の父親を父と言わず、宗家と言う。
彼はすぐに古事記の話に戻した。
「市姫さん。古事記はね…、神話のなれの果てなんですよ。倭の國は自然崇拝じゃなかった。古事記の神さまには全て子孫がいる。僕んちのミオヤも、市姫さんちのミオヤも、『新撰姓氏録』に載ってるわけで…」
『新撰姓氏録』とは、古い有力氏族の一覧だ。
各氏族のミオヤの名前も書いてある。
「市姫さん。倭人の宗教は祖先崇拝でした。祭とお葬式に信仰の基本があった。古事記と日本書紀は律令体制の極めて政治的な事情で編纂されたものだし、神話としてはアジアの影響も受けている。何より、各地の伝承を朝廷の目線で体系化し、無理やり繋ぎ合わせた点が見て取れる。神話のパッチワークです」
五百里は斬新なことを言う。
「朝廷にとって都合が悪い話は書かれていない。神話の世界観は伝えているけど、細かな部分では変更された可能性すらある。地方の伝承と古事記・日本書紀は食い違っている…。伝承を考古学の分野から検証したら、どうなると思います?」
市姫は五百里の話に興味を全く示さなかった。
ポテトチップスを摘みながら、無音で「どうでもいい」と答えた。
いや、別に難しい知識は必要ないんだ。
五百里は確かにクソ真面目で変わり者だ。
でも、彼が言いたいことは特に難しいことでもないから。
「市姫さんは、すめらみことの鎮魂儀の大役を担った御巫でしたね。でも、昔の倭の國では、集団に属する全員が同じように鎮魂の儀を受けて葬られてきました…」
五百里が市姫の前職について指摘した。
市姫は少し憤慨した。
「御巫が奉る鎮魂儀は、一般に言われているものと実は違うんだよね。すめらみことの御魂を活性化させる儀式と解釈されてるけど、本当は……。あ、守秘義務があるから、口外ダメだった…」
途中で慌てて、自分の口を抑えた。
「大体わかりますよ。弥栄流退魔道の本来の仕事が、その鎮魂。人が鬼と化すことを防ぐ目的で…、主に祟神鎮めだったんですから」
五百里は声に出さず、喉の奥に言葉を飲み込んだ。
五百里は話を八咫烏に戻す。
「神話の八咫烏は、筑紫の日向から東征して熊野で迷える神武天皇軍を案内し、大和での勝利に導いたとされる。…でも、本当の意味は違うかも知れない」
五百里の解釈は常識に囚われない。
文面の裏を考える。
「市姫さん。これは八咫烏の子孫、8世紀の葛野主殿縣主(後の賀茂縣主)の主殿職に、すめらみことの行幸の先導も含まれていたから、そう書かれただけですね」
八咫烏は人間だった。
豪族の祖先だった。
「例えば、有名な天宇受賣命の話も同じです。古事記が天石屋戸の神話で、ウズメの命が神がかりして胸乳をかき出し、裳(スカート)の緒を陰部まで押し下げて垂らし、足でウケ(空笥)を踏み轟かせて踊ったと言う。…それはウズメの命の子孫・猿女君が、宮廷で神楽を踊る職だったから。別にセクシー系ダンスを踊ったわけじゃないんだ」
ちょっと夢のない話。
「同様に、中臣氏のミオヤが天石屋の前で祝詞を奏すのも、子孫の職の起源を語っているだけ…」
彼は本をパラパラと捲った。
彼は何を言おうとしているのか。
「僕は倭人の宗教が祖先崇拝だったと言いました。古墳時代の豪族の末裔が、ミオヤを祭祀するヤシロを領地に創建し、祖先伝承が口伝で伝えられていく。神社の禰宜や宮司は世襲された。…市姫さんはよくご存知だろうけど」
五百里は市姫に向き直った。
彼が言いたいのは八咫烏の話だ。
「ちょー興味ないんだけど」
市姫はつれない。
「少し我慢して聞いて下さい。甥っ子の黎明に関係ある話です」
五百里はめげず、また八咫烏について話した。
「…『山城國風土記』逸文は、八咫烏こと、タケツヌミの命が葛木(葛城)を経由して山城のクガに辿り着いたと言う。クガは葛野に隣接する丹波・亀岡辺り、桑田郡のこと。クガがクワに転訛した。ここは出雲に続く山陰道の入口だ」
タケツヌミ。
その名のミは首長または神霊を表す。
「…そして、八咫烏が葛木を通ったとされる理由も、出雲族の祭るヤシロがその道に点々とあるから。八咫烏は、いわゆる出雲系カモ族のミオヤの一柱だった……」
山城のカモ族と言えば、上賀茂神社・下鴨神社・岡田鴨神社・久我神社など。
彼等は同祖・同族と考えられている。
賀茂縣主が奉斎する上賀茂神社は、愛宕郡出雲郷に在った。
ご祭神は八咫烏の御孫の鴨別雷命。
また、葛城のカモ族の高鴨神社、鴨都波神社と、摂津の三嶋鴨神社は、出雲の大己貴神(大国主命)の御子神を祭る。
「どういうこと?」
「要するに、カモ族は出雲から来て出雲の神を祭っていた」
五百里が市姫に答えた。
「それが八咫烏……」
それならば、何故、山城のカモ族の神は鴨でなくて烏なのか。
カモ族のカモは鳥類の鴨のことではないと言われている。
烏は黒く不吉な鳥だ。動物の死骸にたかったり、ゴミの集積所を荒らしたり。知能は高いが、人に好かれる鳥じゃない。
カミがカモに訛ったとする説があるが、神が訛ると亀になることが多い。亀井、亀山、亀池などの地名は、神から転じた。丹波の亀岡も元は神山と言った。
カミはカモにならない。カミがカモに訛るなら、日本じゅうの神さまがカモになっているはずだ。
カモは地名由来の、氏族の名だ。
五百里はまた本を開き、行間に視線を落とす。
市姫は鼻ピアスを付けている五百里の横顔を眺めた。
「じゃ、どんな烏なの?」
市姫は面倒くさそうに五百里の開いたページを覗き込んだ。
五百里は眼鏡を掛け直し、そのページを指した。切れ長の知的な目が一瞬、眼鏡から垣間見えた。
「人間の首長ですよ。空を飛ぶことが出来た」
「ふーん、そうなんだぁ…(ちょー興味ない…)」
市姫はまた大きな欠伸を漏らした。
その時、邪霊センサーの警報音が鳴った。
地震警報と紛らわしい、ドキッとする音だ。
「五百里さん、朱雀門に邪霊が出た! 出動だよ!」
市姫は五百里の羽織の襟を引っ張り、陰陽寮退魔課を飛び出した。




