第1章 クラン ・ 第10話 恋の行方 ①
昨日以来、俺の脳裏から宇加の面影が離れない。
俺の大好きなアイドル・桃井虹に激似の宇加。
たぶん、宇加のことを好きになってしまった。
一目惚れとか、こんなことは生まれて初めて。
俺達の船出と同じ日、宇加と佐香は八雲の兵士を大勢護衛に付けて、危篤の兄の元へ旅立つことになった。
当然、このお姫さま達は乳母や侍女も連れて行く。
船旅は危険だし、トイレもないし、紫外線もきついし、潮風はベタベタするし、自分で漕がなきゃいけないし。宿泊所は大勢で雑魚寝だし。女の子達には無理だ。
だから、彼女達は雲の身が付き添って、陸路で行く。
当初、剣は猛反対した。
「途中で山賊とか、鬼が出るかも知れないぞ! わかってるのか。女が攫われたら、どんな乱暴をされるか…。最悪、売り飛ばされるかも知れないぞ!」
女に生まれたら、それだけで生存が困難な世界。
治安はよくない。警察もない。暴力や犯罪が溢れていた。
佐香と宇加は頑固に言い張った。
「だって、都支兄さまとこのまま会えないなんて……絶対嫌だ!」
「今会わなかったら、一生会えないかも知れないんだよ。何があっても行く!」
佐香と宇加はどうしても行くつもりだ。
二人が未婚なのは、剣と長兄・弥の御身が政略婚の相手を絞っている最中だったから。
これだけの美人姉妹だから、実は引く手数多。
剣は妹達の縁談を考えて帰郷していた。
「甘えるな! 佐香も宇加も。弥の御身の一族に生まれて、いつまでも兄弟姉妹に引っ付いていられるわけがないだろ? 当然、お前らは最も利益になる相手に嫁がせる。もう子供じゃないんだ。俺もこの旅から帰り次第、お前達をどこかに嫁がせるつもりでいた!」
佐香と宇加はじわっと目を潤ませた。
嫁ぐ相手次第では、地元に二度と戻ってくることもないし、家族にも会えなくなる。
俺は聞いていてハラハラした。
「おい、剣…。二人はどこの誰に嫁がされるの?」
ちょっと考える。
宇加を好きになっても、俺は多伎の婚約者と結婚させられそうな勢いだし、宇加には政略婚の話が持ち上がっているし、前途多難じゃねーかよ。
この展開、待ったなしかぁ。
すると、意地悪そうな侍女が前にしゃしゃり出てきて、
「まぁまぁ、まぁ。藤木の身(剣)がおっしゃる通りですよ。佐香さま、宇加さま…」
二人を適当に宥めて連れて行こうとした。
佐香が兄に弱々しく言い返した。
「剣兄さま。そんなの、わかってるよ。私達は…好きな人には嫁げない。私達はこのクニをより豊かにする為に嫁ぐ。それが例え、親くらい年齢が離れた相手でも、妻を百人持つような女好きの相手でも……私達の好みなんて関係ないし……」
佐香は宇加より物静かで大人びて、自分の運命を受け入れていた。諦めたように妹の宇加と手を取り合った。
末っ子の宇加は姉とタイプが違う。
宇加は泣かず、剣に聞こえないくらいの小声で、
「政略婚なんて、誰がするもんか…。好きな人と結婚してみせるんだから…」
ブツブツ言い返した。気丈な宇加。
そうだ、宇加は好きな男がいるらしい。誰なんだろう? 宇加は片思いなのか?
「覚悟が出来ているならいい。嫁ぎ先で大事にされるよう、出来る限り配慮はする」
剣は非情なことを言う。
俺は横で焦った。剣、酷くねぇか?
雲の身が涙ぐむ佐香と宇加を庇った。
「もういいじゃないか、剣の叔父上…。結婚の話はお見舞いの後ということで…」
剣の同意を取り付けた。
「雲の身。本当に大丈夫なんだろうな?」
出発の間際まで、剣は妹達の道中の心配をしていた。
「剣兄さま、大丈夫だよ! 準備万端、完璧だから! 私達、雲と一緒なんだから!」
宇加は何も怖がっていなかった。
むしろ、楽しそう。長距離の旅なんて初めてなんだろうな。
俺と剣達は船に向かって歩き出した。
その時、さっきの意地悪な侍女が余計なことを言った。
「宇加さま。どこの家に生まれたって、結婚は親か兄が決めるものですよ。女は子供を産んで、それなりに幸せになるってもんです。余り多く夢見ても、現実に裏切られるばかりですからねぇ…」
侍女が宇加の手を無理やり引っ張った。
「退いて!」
宇加は侍女の手を振り払い、俺を追いかけてきた。
「待って、多伎…!」
再び、宇加は俺をきつく抱き締めた。
雲奴川の船着き場の、『滄溟の鳥』乗組員全員と雲の身が見ている前で。
「多伎。危険な依頼を受けてるらしいけど、絶対に生きて戻ってきて。剣兄さまと一緒にね。多可國で会おう!」
俺は宇加の目尻から零れそうな涙を指で掬い、この女の子を泣かしたくないと思った。
「待ってろ。すぐ行くよ」
俺は自然と格好つけてしまうのだった。
俺達は『カラス』。
三野は八雲の大御身の第三王子。通り名は『結氷』の三野。
久斯は三野の護衛。西方から流れ着いた戦士。通り名は『熄滅』の久斯。
久斯の異国風の黒い着物を締める帯は紅で、髷を結う緒も紅。敵から見て恰好の標的になる紅を選ぶ彼は、実はかなりの自惚れ屋だ。
剣は弥の藤木の身。通常、ツルキと呼ばれるが、子供の頃から肌身離さず持っている舶載の長剣にちなんで、親しい相手からツルギと呼ばれる。
剣は弥の御身の同母弟。通り名は『粛殺』の剣。
この世界の剣と言えば、ショートソードが一般的。
日本神話の十握剣のようなロングソードは、古い倭の國に存在しない。
剣の誇るミドルレングスの剣が倭の國の最長クラスで、刃長50センチほど。
この世界では剣より素環頭大刀の方がずっと長め。最長で100センチ前後。
そして、俺。多伎は若き西海の身。通り名は『沸』たぎる多伎。
剣が多伎のことを、鬼の首斬り人と呼んでいた。
北海航路は急なシケが多く、地形や岩礁も複雑なので、操船には熟練の技術が要る。
俺達が漕ぐ『滄溟の鳥』は、舳先側に榊の枝を立てて海の神を祭る。
両舷には連続渦文や鋸歯文が黒く彫り込んであった。これはマジナイ。
『滄溟の鳥』は弥の最速の怪鳥と呼ばれていた。
二艘の船の舵は三野方生まれの頑固者の真具呂と、その息子で捻くれ者の志毘だ。
櫂で海を掻くのは、右舷左舷に七人ずつ並ぶ漕手。
俺達の船にはキャビンも屋根もない。雨が降ればずぶ濡れになり、海が荒れたら波飛沫を全員が被る。
『滄溟の鳥』は海を空の如く飛ぶ。
この世界の船に慣れていない俺だけが船酔いして、右舷から吐く。
「多伎ィ。お前が吐いてちゃ、西海の先代が泣くぞ…」
剣がふざけ、いつも嫌味な真具呂と三野が馬鹿にしたように笑った。




