第1章 クラン ・ 第9話 運命の人 ③
俺は微妙な空気を感じ取った。俺が多伎らしくないので、雲の身に試されている。
俺は祖父から弓術を習った。弓術はとても得意だ。
この倭弓は、弓道の和弓と長さが全然違う。和弓は2メートル22センチ以上の全長があるが、倭弓は180センチにも届かない。
魏や韓と違い、倭の弓は独特。握る部分より上が長くて下が短い、上下アシンメトリーの形だ。
俺は邪魔な着物の左袖を脱いで、いわゆる片肌脱ぎになり、半身で足を肩幅より広めに開く。
弣を左手で握り、右手の親指・人差し指の付根に矢筈を挟んで、弓弦に矢を番えた。
弓道は大正時代以降に今の所作になった。
昔は斜面打起し(武射系)が一般的だった。
斜面打起しだと、左斜め下に向けて矢を番えて羽引きしながら持ち上げ、正面の的に視線を上げる。
左右の肩の高さも矢も平行に、バランスを保ちながら息を吸い、羽引きしていく。
腹を締め、弓を持ち上げてキリリと引き絞りながら、指が緊張で震えそうだった。
中屋の左右に並んで座っている仲間達の目前を飛ばして、反対側の開口部から建物の外へ抜けるように射る必要がある。
柱は勿論、庇や垂木に当てず、開口部を上手く通して、庭木に吊るされた的に当てないといけない。
篝火に照らされる的は小さな板きれで、三つとも風に揺れてクルクル回っている。
「あんなの、当たるわけないな。不可能だよ。風で回ってるぞ」
誰かが冷やかして言う。
たぶん、三野だ。
いや、俺には朝飯前だ。距離と角度は問題ない。
雲の身に渡されたこの弓矢、鉄鏃は『腸抉り無茎三角式』で、弓は丸木弓。
和弓と倭弓、感覚は結構違う。
俺が十三詣りで異世界から持ち帰った弓は、これと同じような丸木弓だった。
それは祖父によって大宮の宝物庫に収められた。
俺は内緒で、その蔵の中で弓を引いてみた。その時の感触に似ていた。
大宮の宝物庫は京の三十三間堂より建物の幅がずっと短かったが、それでも矢を射る練習には充分だ。
俺は悪戯で堂通しのコツを身に着けたのだった。
風が静まる瞬間に合わせ、目を細めて狙いを定める。左手の軸が照準になる。
鷹の矢羽根が右頬に近付き、左右の肩甲骨の間が縮む感じ。
的がこちらを向いた刹那、息を吐き、矢を放った。
鋭く風を切り、矢が居並ぶ人々の前を飛ぶ。
「やった…」
見事、俺の放った矢が的を射た。ちょっと端だったけど、まぁいいか。
「おおーっ……」
男達の歓声が上がった。まるで流鏑馬の観衆のような歓声だ。
俺は感触を確認出来たので、二本目もすぐ番える。
いけるか?
今度はど真ん中に突き立った。
「うおおおー‼ おおーっ‼」
俺の予想以上に皆の歓声が盛り上がってきた。
出来たら三本とも的中させたい。
もし出来なかったら、雲の身は俺が本物の多伎じゃないと疑惑を深めるのかな。
俺は酔いも忘れ、全神経を集中して矢を射た。
三本目の矢が的を射た。
一瞬の沈黙。
そしてその場が沸騰するような歓声。
「うおお‼ 全て的中だァー‼」
「多伎さま、すげぇー‼ うおおおおー‼」
護衛達、それから給仕の女達まで皆、その場に両手を上げて踊り上がった。
俺は嬉しいよりもホッとして席に戻った。
剣が笑みを零し、俺を肘で小突いた。
「多伎さま、やっぱり凄いなぁ…」
俺に違和感を持っていた若手の護衛達も納得したようだった。
三野は悔しがり、俺だってあれぐらい楽勝だと息巻いていた。
「それでこそ、多伎だ!」
雲の身が俺を褒めた。
ひとまず、雲の身は俺が本物の多伎だと認めた。
雲の身は椅子に座って琴を膝に載せ、小さな撥で弦を掻き鳴らし始めた。
琴の大きさは60センチほど、五弦か六弦で共鳴槽があり、左側に琴柱が並ぶ。中国の琴を倭人がアレンジしたもの。
ジャララ…ン、ジャララ…ンと深い和音を掻き鳴らし、神楽の祖型のように雲の身が歌い出した。神楽よりも多少アップテンポ。一音一音が長く、素朴な旋律と言うか、抑揚が余りない感じ。
雲の身は低くていい声をしていたが、自作の歌詞はそれほどでもない。豊穣にコト寄せて、ありきたりな恋の歌を歌っていた。
彼の弾く琴の音色が透き通って美しかった。
俺達も手拍子しながら聞いているうち、不思議なことに魂が揺さぶられる感じがしてきた。
すると、中屋の階を女が二人、長い袖の先で顔を隠しながら昇ってきた。
食事の空いた土器を片付けたところ、俺達のすぐ前を舞台代わりに素足で舞った。
美女の登場だ。
結い上げた髪に櫛と簪を挿し、絹の上衣・マキシ丈スカートを着て、アクセサリーを沢山付けている。帯を結んだウェストが折れそうなほど細い。スタイルは抜群。
ガラス勾玉や碧玉の耳飾り・首飾り・腕飾りを付け、豪華さが半端ない。
「三野さま、これは⁉ えらく身なりのいい舞い手ですね…」
三野のお堅い執事系の従者・田嶋も見入り、低く唸った。
「いい女だ! めちゃくちゃ美人だ!」
三野が答えて言う。
女達の白い項が艶っぽく、整った輪郭や目元がちらつくと、若い護衛達も興奮した。
「もしかして、雲の身の妃では⁉」
興奮からどよめきが起きた。
マジか。
俺も舞い手のたおやかな動きや綺麗な立ち姿勢を見て、美人だなと感じた。
やがて、舞の途中で、俺の方にも横顔がチラッと見えた…。
「あっ…!」
俺の心臓がドクンと鳴った。
あの娘、もしかして……。
「あっ…!」
剣が顔をしかめて悲鳴を漏らす。
「おい、何が美女の舞だ⁉ 宇加、佐香ッ!」
剣が立ち上がって叫んだ。
何と、その美女二人は剣の妹達だった。
類い稀な美女達に男達は誰もがうっとりして、舞に夢中だった。
曲が終わり、美女達が照れ臭そうに雲の身の両脇に立った。
「なんで、お前達がここに居るんだよ‼」
雲の身が仕掛けたサプライズ。雲の身は琴を抱えて大笑い。
「雲! 笑うな!」
剣が本気で怒り出した。
「きゃははっ。剣兄さま、びっくりしたでしょ! 私達も雲の身に呼ばれたんだよー!」
宇加がパチパチ手を叩き、悪戯の成功を大喜びした。
「私達、剣兄さまが西海に行っている間に先回りしたの!」
佐香も嬉しそうに説明した。
二人は髪を大きく盛って結い上げ、上流階級の女性の髪型をしていた。
特に宇加は分銅型土製品の女性像さながら、沢山の玉簪を連ねて挿していた。
「宇加はなんでそんなに着飾ってるんだ? 祭じゃあるまいし…」
剣が宇加の過度なお洒落について突っ込む。
「宇加はね、恋してるのよ」
「佐香! やめてよ!」
姉の佐香が冗談っぽく言い、宇加は真っ赤になった。
その頃、俺の視線は宇加に釘付けになっていた。
「桃井虹⁉」
俺は叫びそうになった。口から心臓が飛び出しそうだった。
宇加は俺の世界のアイドル・桃井虹にそっくりだ。髪型は違うけど、声も似ている。俺は桃井虹の写真集も持っている。
桃井虹は俺の女神。俺の天使。俺の青春だ。
桃井虹は十八歳、一年前にデビュー、まだ売り出し中。セクシーでキュートな小悪魔タイプ。巨乳路線じゃない。
宇加は色白、丸顔で顎が小さく尖り、長い睫毛、くっきりとした二重瞼の目力がインパクト強め。ほっそりして、背が高め。
宇加は十六歳、佐香は十七歳。姉の佐香も妹に劣らない美人。
この世界で言えば、二人は結婚適齢期を過ぎ、売れ残った状態か。
「ほら。多伎のお姉さまだぞ」
久斯に背中を押され、俺が宇加と佐香の前に出た。
多伎は幼い頃に両親を亡くし、親戚が面倒を見て、八ヌ弥と西海を行き来して育った。剣が兄貴分で、この二人が姉のような存在で…。
「あっ。多伎も帰って来てたんだぁ…」
宇加と佐香が俺に気付いた。
姉妹だけあって、二人とも桃井虹に似ていた。俺はダブル桃井虹と話している気分になり、声が変に上ずった。
「ああ、今日着いたとこだよ…」
俺はすまして答えたが、自分でも顔が赤く火照っているのがわかった。
心臓がバクバク言って、もう息が苦しいくらいだ。
宇加は俺をじっと見詰め、天使のような唇を綻ばせて笑った。
「多伎! 久し振りだね! こんなに背が伸びちゃって……かっこよくなったね!」
突然、宇加が俺を抱きしめ、俺の首筋に頬擦りした。
「会いたかったよ、多伎……」
むぎゅう~と、思いっきり抱き締められ、俺は息が止まって窒息しそうになった。
剣が真顔で止めに入った。
「宇加。そのくらいにしてやれ。多伎が死ぬ」
俺は硬直して、鼻血を垂れる寸前だった。
多伎が宇加を好きだということは、以前から剣も気付いていたらしい。
「ごめん、多伎。大丈夫? そんなに苦しかった?」
宇加が俺の顔を覗き込んだ。上目遣いの眸がウルウルと光っている。目力が猫みたいだ。
俺はもう周囲の雑音も耳に入らない。
この世界で、宇加しか目に映っていない。
気が付いたら、俺は多伎っぽく格好つけていた。
「ふーん。綺麗になったじゃん。宇加姉さま…」
自分ではクールに決めたつもり……。
「宇加…ねぇ…さま⁉」
宇加が俺をまっすぐ見詰め、俺は大好きな桃井虹にジッと見詰められたかのように感じた。
あああ、俺の人生にこんな瞬間が来るなんて。
俺は数秒、宇加にボーッと見とれた。やっぱり、すげぇ可愛い…!
しかし、宇加は厳しい一言を言い放つ。
「ねぇ、多伎。頭でも打った? 今日の多伎、変だよ?」
「…宇加、誰に恋してるって⁉ 早く言えよ‼」
俺は腹が立って言い返した。
多伎が愛した宇加と、運命の出会いだった。




