第1章 クラン ・ 第7話 邪神降臨 ②
そう言えば、前に聞いたことがある。
「七海姉。十三詣りって、どういう意味があるの?」
「よーちゃん。あれは大人になる儀式なの。御祖はお願い事を何でも聞いて下さるから、よーちゃんも何かお願いしたらいいよ。中学受験のことでも…」
中学受験なんて、当時の俺にはどうでもいいことだったよ。
儀式か。
俺はよく知らなくて、二つ年上の美人の従姉・七海の指示に従うだけだった。
まず、潔斎から始まった。
弥栄氏の忌みの井戸の水で身を浄めた。この井戸の水でないとダメらしい。
潔斎の間は誰とも喋ることが許されないし、親にも会えない。
七海がお粥を運んできた。お粥と薄い汁と漬物だけの食事だ。俺は無言でお粥を食べ、四畳半ほどの小部屋でひたすら待つ。
俺はまだ十二歳の子供だったから、潔斎の期間はそんなに長く設定されてない。
翌日の日没頃に紋付の羽織袴に着替えさせられ、千歳兄達に付き添われて、いよいよ弥の宮へ詣でた。
見上げる石段は既に真っ暗だった。生温い風が吹き、葉が散った。森はザワザワと音を立て、八年前の五ツ詣りの時のように不気味そのものだった。
鳥居の注連縄の紙幣がヒトガタみたいに風でひらひらと躍る。
俺は提灯を掲げ、急な石段を昇っていった。
俺達は無言だった。長い石段を昇り終え、七海が燈籠にロウソクの火を点す。
そこから一直線に細い参道が50メートルほど続く。
参道は両脇から濃く茂った大木の枝が伸び、樹木のトンネルのようになっている。
七海が笛を吹き始めた。トヨばぁが吹いているのかと思うくらい上手い。
「黎明。気を付けて行ってこい。ミオヤは白く光ってると言うから、白く光る方に進め。大丈夫だ」
千歳兄が俺を送り出した。
提灯の光がぼんやり照らし出すのは、ほんの僅かな先まで。
石畳を一歩ずつ進んでいくと、素木の小さな鳥居と狛犬の石像が現れた。
狛犬のユーモラスな表情も今夜は妖怪じみて、その奥の古びた木造建築の弥の宮は、闇よりも黒々として見えず。
緊張の余り、足から震えがきた。
一方で、俺は真剣にお願い事を考えてあった。
勿論、中学受験のことじゃなかった。
両親は何とか俺の成績を上げようと躍起で、俺はそれが重荷だった。それでとうとう反抗期が来た。
俺のお願い事は中学受験合格より、今のクラスで一番人気になることだった。
ふざけたお願いかも知れないけど。一生一度の人生最大、最高の青春を、今この時期にお願いしたいんだ!
「弥のミオヤ!」
提灯を置き、深紅の鈴緒を振った。鈴がシャランシャランと鳴った。
七海は笛を吹き続けている。澄み渡る調べに、古典音楽にうとい俺ですら聞き惚れる。
俺は眩暈を感じた。世界がぐるぐる回っていく。
気がつくと、俺の真ん前に弥のミオヤが居た。
目が紅く、全身から白い光を放っていた。
俺は怖くなった。
「黎明。おいで…」
その聲を聞いた瞬間、俺は気を失った。お願い事を申し上げる間もなく。
再び、俺は濃い霧の中で意識を取り戻した。
俺は弥の宮を通過し、異世界に彷徨い込んだ。
弥のミオヤは姿を消してしまった。俺は霧の中を歩き続けた。
暫くして、従兄弟達は俺のことが心配になってきた。
「千歳兄、おかしいよ。五分以上経ってるのに、よーちゃんが戻って来ない…」
「遅すぎるね。もしかして、また気絶してるんじゃないか?」
千歳兄と三波が話すのを聞いて、七海は笛を吹くのを止めた。
三人は着物の裾をばたつかせ、暗い参道を思いきり走った。
そして、俺がヤシロの前に倒れているのを発見した。
「よーちゃん!」
「黎明、起きろ!」
千歳兄が俺の頬を叩いたが、俺は無反応だった。俺の呼吸は浅く小さかった。
七海はすぐ決心した。
「よーちゃんが危ない…。私、よーちゃんを追いかける!」
七海は弥の宮の鈴緒に手を掛けた。
「俺も行く…」
「私も」
千歳兄と三波も口を揃えた。でも、二人は内心動揺していた。
追いかける、ってどうやって⁉
「千歳兄。たぶん、よーちゃんは異世界で迷子になってると思う…」
「七海。それは…俺もわかってるよ……」
千歳兄の表情が引きつった。
「連れ戻さなきゃ…。トヨばぁが来てないんだし、私達だけで何とかしないとぉ…」
三波も強がっているが、本当は怯えていた。
異世界なんか行ったら、戻って来られる保証もない。
弥の宮の空気が緊迫した。
七海は迷わず鈴を鳴らした。千歳兄、三波も順に鈴を鳴らした。
七海がいきなり倒れ、俺の上に重なった。
「七海⁉」
千歳兄と三波は驚いて七海を見下ろした。二人はミオヤに会えなかった。
七海は呼びかけに答えず、揺さぶられても魂が抜けたように反応がなかった。
七海が鈴を振ってお辞儀をして、顔を上げたら、弥のミオヤが目の前に居た。
白い光に包まれて眩しいほどだが、麗しい男神の輪郭だけはぼんやりと伺える。
白い着物を着て、白い袴を履いている。長い髪も睫毛も雪のように真っ白。
「七海。おいで。あの子が危ない」
ミオヤは気絶させないよう力加減した優しい聲を聞かせ、七海の手を引いた。
七海の躰は浮き上がり、階段を飛び越え、ヤシロの中を通り抜けた。
小さかったはずのヤシロが大きな神殿のように感じられた。
無重力のようにふわふわと歩き、七海は裏扉口から異世界へ降り立った。
裏口の外は真っ暗だった。
「八島黎明はどこですか?」
七海は俺のフルネームを口にした。
七海はどこか遠くに俺の気配を感じた。
「あの子は才能がある。けれども、全く制御出来ていない…」
ミオヤは七海の知る語呂から言葉を選んだ。
「念じよ、七海。あの子は今、邪霊の集合体と戦っている」
ミオヤは真っ直ぐ前方を指差した。
七海は強く念じながら、濃霧の果てへ意識を飛ばした…。




