第1章 クラン ・ 第7話 邪神降臨 ①
雨の小道を歩きながら、俺は記憶を辿っていく。
トヨばぁの危篤の翌日。弥栄邸の座敷の縁側で元野良猫のリンと遊んでいて、
「リン。ニャーオ、ニャーオ、ニャーオ…」
俺は四つん這いになって猫語でふざけていた。
その時たまたま、長い廊下を従兄弟達が通った。
「猫になりきってるよ。よーちゃんは天然さんだねぇ…」
従兄弟達は大笑い。
変なところを見られ、恥ずかしかった。
俺には母方の従兄弟が七人いる。親戚全員がトヨばぁの危篤で駆け付けていた。
弥栄流退魔道の弥栄氏は弟子を取り、一門が伝統的な着物で暮らしている。
外孫の俺と公務員の父だけが毎度、現代的な服で帰省していた。
俺より二歳上の七海が、モーブ色の花柄の着物姿で立ち止まった。
「よーちゃん。十三詣りの支度を始めるよ」
猫のリンがその声に驚いて走り、障子の裏側に隠れた。
七海と三波は美人姉妹で、昔は結構仲よく遊んだ。
七海は俺の憧れで、パッツン切り揃えた長い黒髪が日本人形みたい。
幼い頃は実の姉のように優しかったのに、近頃つんとすましている。
「七海姉。俺、弥の宮に行きたくないんだけど。だって…、五ツ詣りの時、弥の宮で気絶したし…」
「気絶ぅ―」
千歳兄と三波が意地悪く爆笑した。
千歳兄は俺より四歳上、京の可雲川学院に通う。背が高く、凛々しい切れ長の奥二重の目で、容姿の良さに加えて運動神経と成績もいい。
宗家の長男の長男で、模範的と言える。
三波は俺より一歳上。活発で、着物の好みも現代的でギャルなセンス。
髪をミルクティー色に染め、顔は七海と似ているのに雰囲気が別方向。
七海は着物の端を押さえ、優雅な立ち居振る舞いで俺の側に座った。
「よーちゃん、見せてよ。弥の宮でもらった勾玉。御祖からご神宝を頂いたのって、よーちゃんだけだよ!」
こっちを睨んできた。
そう言えば、俺はずっと勾玉のことを忘れていた。どこにあるかも覚えていなかった。
トヨばぁが奥座敷の神棚に置いたらしい。
七海は知っていたらしく、踏み台を出して、神棚の金色のかんぬきを開け、扉を開いた。中から桐の小箱を取り出した。
その時、俺は神棚のお鏡の後ろに、とぐろを巻く白蛇像を見た。
「弥のミオヤは白蛇の神さまなの?」
俺の質問に、
「だから、笛を吹いて召喚するんじゃねーか」
弥の宮の石段で白蛇を見たことのある千歳兄が偉そうに言った。
七海・三波は桐箱の中の白い絹の包みを開き、新潟の糸魚川産の美しい翡翠の勾玉を、真剣な表情で見詰めた。
三波は七海より露骨に不快感を顔に出した。
「ミオヤがよーちゃんを気に入った…てことは、よーちゃんが宗家の後継者になるのぉ? そんなのって…ないよ…。厳しい修行をしてきたのは、私達だよぉ…」
小声でブツブツ言った。
弥栄流退魔道の後継者の話は外孫の俺に関係無い。トヨばぁが俺に才能があると言っただけで、弥栄氏に波紋が広がっている。
「よーちゃんは関係ない。俺達の世代の宗家は千歳だ」
千歳の弟の千春が三波の不満を打ち消した。
弥栄氏は名前に数字を持つ。祖父の千五十寿、伯父の千津雄、その息子の千歳と千春は千の字を継ぐ。
トヨばぁは十四とも書けるし、七海と三波も数字を持ち、俺の母の百合も数字ありで、外孫の俺の名は数字になってない。
俺は元の世界でも後継者争いで度々名前を出され、五ツ詣り以来、従兄弟達からライバル視されるようになっていた。
千津雄伯父が俺に小言を言うようになったのも、五ツ詣りの後からだ。
俺は改めて勾玉を見た。翡翠の勾玉はきれいなC字型の弧を描き、尾までくっきりと太い。緒を通す孔が一つ。丁字頭の線は四本入っている。
俺は天然石に興味がなかった。
でも、これは緑がかって透明感があり、美麗だと思う。
「また十三詣りで何かもらえるかもね…。いいな…」
七海は神宝を神棚に戻した。
従兄弟達の羨望と嫉妬がその場に渦巻いた。
「黎明、俺も行く。宗家の後継者は俺なんだからな!」
千歳兄が俺に詰め寄り、何故か一緒に行くことになった。
俺がそこまで思い出していた時、後ろでヒソヒソと喋っているのが聞こえた。
「どうします? あの餓鬼、あの話を言いふらしてますよ。既に湯河の身の耳にも入っているでしょう」
剣の側近の奥津という男が告げ、剣が腕組みして考え込んだ。
「これじゃ、まるで多伎の母親が不義密通していたみたいに聞こえてしまう…」
剣は口惜しそうに呟いた。
俺も遠目に、新が湯河の女の子達に囲まれてチヤホヤされている現場を目撃した。
俺が気に入った柚子ちゃんは、新の腕を取って甘えていた。
新が多伎の兄だという噂がこの集落に広がりつつあった。
この地域の人達はもっと鉄が欲しい。安定して鉄を多量に仕入れ、農工具や鏃や刀剣を作りたい。
それには、剣や多伎の一族と繋がりを深めたい。
だから、新と……。
俺は剣達を落ち着かせようとした。彼等から憎しみの思念を感じ、恐ろしかった。
「大丈夫だよ。そんな嘘、誰も信じないって…」
俺の言葉は風みたいに軽く、剣や三野の心を通り過ぎた。
奥津は俺に反論した。
「最悪の場合、湯河の身にとっては、噂の真偽なんてどうでもいいかも知れませんよ。野心があればですが」
湯河の身が新を後見して、西海の首長の交替を画策する可能性について仄めかす。
新はヤツコ。この世界にも下剋上があるのかも知れない。
「ご決断下さい。多伎さま」
奥津が俺に迫った。
決断? 何を?
剣はあの厳しい眼差しで批判した。
「この世界は嘘で溢れている。人は信じたいものを信じる。事実でないとわかっていても、面白がって誹謗中傷し、不倫の噂話で盛り上がってしまう。お前の母さんの名誉が傷付けられる…」
剣は死んだ人の名誉に拘り、この世の不誠実さを嘆く。
一方で、現実主義者でもある。
「いちいち嘘を否定して言い訳するのも無駄なことだ。無視するのは最善の方法だな。いずれ、誰もが間違いに気付く…。だが、多伎。これではお前の母さんが何の為に死んだのか、わからなくなる……」
剣は多伎を不憫に思い、俺の頭に優しく触れてきた。
剣にとって、多伎はまだ小さな弟分らしかった。
俺と剣は並んで歩き出した。淡由岐が俺を追いかけてきた。
俺達の背後では、三野とその護衛の久斯と田嶋、船の要の真具呂・志毘親子らが話し合いを続けていた。
三野は多伎の母方の従兄、つまり多伎の母の甥。
要するに、『滄溟の鳥』の二つの派閥は、三野の母方の三野方というクニと、剣や多伎が生まれた弥のクニ、二つの出身地から来ていた。
『滄溟の鳥』の乗組員は初めから新が大嫌いだった…。




