第1章 クラン ・ 第6話 温泉 ③
俺が多伎に、躰と世界を奪われることになったきっかけは…。
俺の母の実家・弥栄氏は変わった家で、今でも十三歳で元服の儀があった。
平安装束に身を包み、纓の付いた黒い冠を被って、弥栄氏の氏神・大宮に詣でることがシキタリだ。
それが何故か、外孫の俺もその儀式をやらされることになった。
多伎と出会った五ツ詣りから八年の月日が流れた。
俺はカレンダーを見る度に緊張した。
元服の儀は昼間だからまだいいとして、前夜に真っ暗な弥の宮へ行くことは怖かった。
五月の連休明け、雨降る朝のこと。
俺の憂鬱を嘲笑うように、予定を前倒しにする事件が起きた。
曾祖母のトヨばぁが危篤に陥った。
心臓が以前から悪かった。トヨばぁは八十歳を過ぎてから、しんどいとよく言っていた。
俺と両親は電車を乗り継ぎ、弥郡の病院へ急行した。
病院のロビーで親戚と弥栄流退魔道の門弟達に会った。俺達は簡単に挨拶を交わし、少しずつ入れ替わりして病室へ入った。
危篤と言うから心配したのに、トヨばぁは個室のベッドで起き上がっていた。
そして、暇で仕方なさそうに、せっせと折り紙を折っていた。
「トヨばぁ! 大丈夫⁉」
俺はベッドに走り寄った。
「よーちゃん、よう来てくれたなぁ…」
トヨばぁは船形の折り紙をくれた。
トヨばぁは小柄で丸顔で愛嬌があり、和服が似合う上品な人。若い頃は美人だった。
うちの母がベッドの側の椅子に腰かけ、
「おばあちゃん、本当に心配したんだから。元気そうでホッとしたよ…」
トヨばぁは折り紙の手を停めた。
「そうか。心配いらへんで」
トヨばぁは暫く両親と話し、再び俺の方を見た。
「よーちゃんは今年、数え十三か。そろそろ、弥の宮に行かなあかんな」
「えっ!」
俺は密かに、トヨばぁの危篤で十三詣りが延期になると思い込んでいた。
「トヨばぁ。夏休みになってからやるって言ってたじゃないかぁ…」
「私が夏まで持たへんかも知れへん。よーちゃんの晴れ姿が見たいんや。はよ、元服の儀をやろう」
俺はトヨばぁから弥栄流退魔道を習ってきたが、邪霊やお祓い、物の怪、いろんなことを習うほど、暗闇に対する恐怖も増した。
「トヨばぁ。昼ならいいけど、夜はイヤだ…」
「そうそう。夜しか、弥の宮は異世界と繋がらへんからな」
トヨばぁは意味を聞き間違えた。
「七海に笛を頼むさかい、十三詣り、七海と行ってきて。よーちゃんの元服姿を見るまで、死にきれへん」
高齢のトヨばぁにそこまで頼まれたら断るわけにいかなかった。
どっと冷や汗が出た。
母が小さく笑った。
「私も十三詣りに行ったけど、何も起こらなかったよ。十三詣りで何か視る人は、十世代に一人って言われてる。こんな儀式自体、今の時代に合わないかもね。…でも、弥栄氏にとっては大事な儀式なの」
俺は母・百合の言葉をうっかり信じた。何か視た人は滅多に居ないと。
過去を思い出していた途中で、俺は剣に背中を叩かれた。
「出航が明日に延びた。シケ気味だ。今日は各自、自由に過ごしてくれ」
風が強く、空が暗い。
今にも雨が降り出しそうで、こんな日は内海でも荒れるらしい。
昨夜の酒宴で女の子達に囲まれた理由を聞いて以後、俺は何となく力が抜けていた。
淡由岐にリードを付けてみたけど、革紐ですら、鋭い牙で簡単に食いちぎられた。
代わりに、リードなしで俺の側をちゃんと歩くようになった。躾けた覚えはないけど、淡由岐が賢いらしい。
俺は淡由岐を連れ、今日も温泉に行った(混浴の)。
朝から来ていたのは地元の年寄りと、湯治に来ている怪我人・病人だけだった。
今日の俺は年寄り集団に囲まれ、湯に浸かることに。期待外れで、もう笑うしかない。
さて、俺はそこで妙な情報を得た。
湯河の身の親族とかいう老人が、俺にこう聞いてきた。
「あの新という若者…。着物は貧しそうに見えますが…、西海の若さまのご兄弟だとか。事実なのですかの?」
俺は目が点になってしまう。
何を言ってんだ。
「まぁ、アレです。ヤツコ(使用人)です」
嘘を付いても仕方ないので、正直に答えた。
「自分で兄だと言っておりましたぞ。何故、兄をヤツコになさったのか?」
じいさんは事情を知りたがった。
そして、とんでもないことを言い出した。
「なかなか利発そうな若者なので、もし本当に西海の若さまの兄君なら、湯河の身の娘と縁談を組みたいのですよ…」
俺は唖然として、その話の後半はもう覚えていない。
淡由岐を川辺で拾って、着物を着て帯を締めながら、走って温泉を後にした。
雨がポツポツと降り始めた。
俺が戻ったら、宿にしている二棟の竪穴住居の前で、険悪な雰囲気で剣達が並んで立っていた。
中心には新が居て、囲む漕手達が十人以上も居る。三野、久斯の姿もある。
「何かあったの?」
俺が聞いても、苦虫を噛み潰したような表情で俺を見るだけ。誰も返事しない。
「新」
俺が呼ぶと、新はふてぶてしい表情で俺を見た。
「多伎。多伎って呼んでもいいかな…」
いや、もう完全に対等の口調を通り越していた。
「多伎。俺は多伎の兄なんだ。だから、俺も西海を継ぐことが出来る」
長い睫毛の綺麗な目で、新が俺を挑発的に見た。
「え? 兄ちゃん? ………異母兄弟ってこと?」
俺は目が点になって、それより他に思い付かない。
あれだけ、ツムジが俺のことを先代の一人息子と連呼していたのだから、多伎と新が兄弟のわけがなかった。
新は初めて余裕綽々の態度で、すごく大胆なことを言ってきた。
「俺は多伎の同母兄だ」
「は?」
俺は目を見開き、その場で固まってしまう。
こいつはこんなことを湯河の身の親族にも言った。それから、この場の仲間にも。
その場の全員が殺気立った。
剣が真っ先に言い返した。
「嘘を付くな! これは多伎の亡き母親に対する侮辱だ!」
それから、列の中から三野が前に飛び出し、新に掴みかかった。
「お前がなんで多伎の兄弟なんだよ‼ 厚かましいにも程がある‼」
血気盛んな三野は新の襟元を掴んで揺さぶり、俺にも食ってかかった。
「多伎! なんで黙ってる⁉ お前の母さんがこいつの父親のせいで死んだのに!」
それは俺も知らない話だ。
昨夜、剣が教えてくれていれば、俺も何か言えたんだけど。
次の瞬間には、三野はもう新を殴っていた。
新は抵抗しなかった。
日河兄が何故、頻繁に新を殴っていたか、理由がわかった。
要するに、新は若さま気取りなので、日河の言うことを聞かなかったのだろう。
剣が俺を睨んで吐き捨てた。
「多伎。何故、こいつを船に乗せると言い張った? 俺にはお前がわからない!」
俺はまた誤解を受け、剣から罵倒された。
新は鼻血を拭いながら、俺の方に向かってきた。
新は弥を出たことで、まるで解放されたように横柄に言い放った。
「俺は多伎と同じ腹から生まれた。俺の父は先代と一人の女を取り合った。生まれたのは俺が一年先だ、多伎!」
新は俺が何か言い返す前に、
「多伎にはまだ子がいない。今後、多伎にもしものことがあったら、西海は俺が継ぐから」
ニヤニヤして宣言した。西海の身の継承の権利を主張してきた。
剣がそれを全否定した。
「新。お前は一族の始祖の血を引いてない。お前に西海の継承なんか誰もさせない!」
すると、新は雨の中、プイッと出ていった。
皆、怒りで地面を蹴り、口々に新を罵った。
あの物静かな久斯でさえ、目を閉じて首を振った。不快感を露わにした。
俺はまだよくわかってなくて、
(たかが村長の地位くらいで大袈裟だな……)
と、思っていた。
世襲の村長の話じゃないことは、もう少し先で知ることになる。




