第1章 クラン ・ 第5話 滄溟の鳥 ③
剣が俺を疑っていた。
剣の知る多伎はもっとドライで無口、何を考えているのか顔に出さない。
俺はツムジのことがあって記憶がない振りをすることも憚られ、どう振舞うべきか葛藤していた。
それで何とか、その場を誤魔化そうとした。
「ああ…。わかってるって。少しふざけただけだよ…。俺はここだったかな…」
俺は最前列の空いている場所に座った。
俺と向かい合う形になった、ツインテールに髪を束ねた少年が、目尻を吊り上げて怒った。
「逆っ! 座る向き、逆っ‼」
ボートと同じ向きに座ったが、この船はボートとは逆向きだった。櫂が固定されていない船だ。パドルとオールの違いがある。
「多伎の定位置は私の前だよ」
咄嗟に後ろの男が教えてくれた。
髷を結って赤い紐で縛り、仕立てのいい着物を着た中性的な美男で、ちょっと船乗りっぽくない。
「そうそう、俺はここだよ。わかってる…」
俺は笑って誤魔化し、前から三番目に座り直した。
窮屈なくらい狭かった。俺の足元に狼の仔の淡由岐を置くが、暴れたり動き回ったりしないか心配だった。
幸い、淡由岐は倭奈佐のオヤジの船で慣れていた。
俺は見送りの人達に視線を戻した。船出までついて来たのは八野凝と辰姥と日河兄弟と数人だけ。
その中に何故か、日河のヤツコの新が居た。
新は暗い表情で俯いていた。
俺のことが嫌いなら、見送りに来なくていいのに。
新は手を握り締め、ブルブル震えていて様子がおかしかった。
「どうしたの? 新?」
日河弟が新に尋ねた。
「お、お…れっ…」
新の声が上ずった。俺は初めて新の声を聞いた。
新が裸足で駆け出し、戸板を渡った。
剣に遮られて立ち止まり、俺に助けを求めるように叫んだ。
「多伎さま! 俺を…外へ連れて行って下さい! 弥の外へ!」
皆、しんと静まった。
波が船に当たる音と海鳥の鳴き声だけが響いて聴こえた。
「俺は構わねぇよ」
俺は即答した。
「新ィー‼」
日河兄が怒鳴ると、剣が腕組みして新を睨み据えた。
「本気か? お前、ヤツコだろ? そんな自由があると思ってんのか?」
剣は怒っていた。
船内は何故だか殺気立った。
「剣! 元は俺のヤツコだよ。日河に預けてただけ。席があるなら、連れてこうぜ!」
俺は空気を読まずに提案した。
「多伎、本気で言ってるのか?」
剣は溜息をついた。ちょうど一人欠員が出ていた。
それで、剣は自分も漕ぐつもりだった。
「この間、一人落ちて死んだから補充しないといけない。雲までだ。その後は弥に送り返す。慣れないからって甘えるのは許さない。きっちり働いてもらうぞ、新!」
剣は条件付きで乗船を許可した。
二艘の船のあちこちから舌打ちが聞こえた。
俺はブーイングなんて気にしない。これで新を日河兄の暴力から救える。
新は俺にも剣にも礼を言わず、開いているところに座って櫂を握った。
この櫂、木材をしゃもじ形に削り出し、長い持ち手が棒状になっているだけのもの。
こんな粗末な櫂で、俺達は沖へ漕ぎ出る。
「ちょっと行ってくるー!」
俺は八野凝達に大きく櫂を振った。
祈祷師の辰姥が海の神に無事を祈りながら、また泣いていた。
「待ってるぞォー!」
八野凝が力一杯、手を振り返した。
俺の全身に潮風が吹き付けた。縄が解かれ、船首が進行方向へ向く。
前列の俺達が力一杯に漕ぎ、波が立つ。その波を受けて更に波立てる、後ろの漕手。
船漕ぎ競争のように、俺達の『滄溟の鳥』が海へ羽ばたき出る。
左舷右舷の波が斜め後方へ広がる。船が上下に揺れる。
「船を出せぇ。全力で漕げぇー!」
剣が船の中央に仁王立ちして声を張り上げた。
俺達は向かい風を受け、必死に漕いだ。
なかなか進まねぇ! 速度が簡単に出ねぇ!
「これは大変だ! 思ったより、ずっと重労働だ!」
船首に立てられた榊の常緑の葉が散り、潮風に舞う。
俺達の横を海鳥が追い越して飛んでゆく。




