第1章 クラン ・ 第5話 滄溟の鳥 ②
俺は子供の時から武道をやっている。だから、こんな酔っ払いパンチ、簡単に避けられる。
と思ったら、避けた方の草むらへ、酒のせいで足がもつれて転倒した。
日河に向かって淡由岐が吠え立てた。
「何なんだ、多伎。こんなチビ狼を連れて、俺が怖がるとでも思ってんのか。お前が居ると鬼が寄ってくる。鬼臭ぇんだよ!」
日河が酷いことを抜かす。
倒れている少年を見たら、殴られていたのはまたも奴の新だった。
「新、殴り返せよ! お前もやられっぱなしじゃなくて、やり返せ!」
俺は酔いが醒めず、新にも絡んだ。
新は殴った日河より、庇った俺の方を激しく睨む。それも憎々しげに。
たぶん、彼が日河を殴り返したらこの郷を追放される。生きていく為には自給自足の集団から抜けることが出来ない。
俺が言ったのは綺麗事かも知れない。
新は鼻血を垂れ、切った唇からも血が流れている。
十六歳の新は女の子みたいに可愛い顔をして、睫毛が長く、痩せて色白だった。
日河兄は俺の背中を草鞋でグリグリ踏んづけた。
「おい、多伎。お前がこのヤツコを俺に預けたんじゃねーか。顔を見るのも腹が立つってんで……俺がこの生意気なヤツコを、お前の代わりに躾けてやってんだぞ⁉」
俺は日河兄に足を掛けて倒し、起き上がった。
「俺のヤツコなら返してもらおうかな。気が変わったから…」
俺が新に向け、(今のうちに逃げろ!)と手を振って合図した。
でも、新は逃げない。
八野凝の集落の煙立つ炊屋から、十一歳のしっかり者・佐知が小刀片手に出て来た。
「多伎。また喧嘩してんのか。男って駄目だな! 野菜の皮も剥けないくせに!」
と、俺達の喧嘩の間に入った。
俺は既に佐知と何度か喋るほど親しくなっていたので、強めに言い返した。
「佐知、危ねーから下がってろ。お前が男を語るんじゃねぇ! まだ早ぇんだよ!」
「男なんて、こうだ!」
佐知は俺の股間を一発蹴った。
意外過ぎて避けきれず、俺は草むらに転がった。
佐知は年上の新にも命令した。
「新! 早くお酒を運んで来て。剣の旦那の酒坏が乾いちゃうだろ!」
それで新がその場を離れた。
新は俺より佐知の言うことをよく聞く。
「日河の兄さんも。宴に戻って、剣の旦那をもてなして来なよ。それが多伎に出遅れた、あんたの出世コースじゃないか?」
佐知が手厳しく言って日河を追い払い、炊屋へ戻った。
多伎専属の炊女とは、佐知のことだった…。
翌朝、俺の旅立ちを、関わった人々が見送りに来た。
多伎の家の前に、辰姥と八野凝、日河兄弟や佐知や阿利の弟家族、集落の人々が集合した。
剣が俺の荷物を簡単にまとめ、肩掛けカバン一つにして俺に渡した。
辰姥が出発の際に泣き出した。
「この歳じゃ。多伎さまを見送るのも最後かも知れぬ…」
「何だよ。二年前にもそれ、言ってなかった?」
俺は辰姥とハグを交わした。
八野凝とも抱き合って、
「すぐ帰ってくるって。留守をよろしく」
八野凝の肩を叩いたら、彼も泣いていた。
「元気でな。多伎」
佐知が手を振った。
大勢に見送られて照れ臭かった。こんなに沢山の人が俺を囲んでいるのは、この世界に来て初めてだったかも知れない。
剣は飄々(ひょうひょう)と先をゆく。
引き締まった筋肉や、歩く時の軸のブレなさから、剣は強い戦士だな、と感じる。
ジムで鍛えて腹筋がくっきり割れたボディビルダー体型じゃなく、躰は細いのに首が太く、肩も腿もガチッとして、足腰の安定感、身の軽さが、実戦で鍛えた強さを推測させた。
見送りの一部は八ヌ弥の墳丘墓の峠道を越え、東の内海までついて来た。
大袈裟だな、と思ったけど、この旅も長くなりそうだと皆に思われていた。
それに、船旅は命懸けだった。迷信じみた『持衰』にすがるくらいに危険だった。
気象予報もない。船はボートに近いレベルの準構造船。帆も無い。
陸に沿って進んで毎日寄港し、海峡を渡る時はもう神頼みしかない。
この八ヌ弥の水門も、自然地形を利用して護岸工事をしただけの簡素な船着き場だった。
リアス式海岸の山が迫る地形で、琵琶湖みたいに広い内海に面しているのだが、寄せる波は思いの外に荒かった。大きな波音がよく聞こえた。
空は曇って、波が灰色だった。
丸太を浅く刳り貫いただけの小舟が内海を行き交っていた。
剣の船は大型、海峡を渡ることを前提に造られた準構造船。
俺達の船は二艘あって、どちらも全長12メートル。潮の泡の倭奈佐のオヤジの船から想像していたのと同じ形。樹齢数百年の巨木を刳り貫いたものを船底とし、舷側板と竪板を継ぐ。船首と船尾が反り上がる。
船体の幅は最大で1メートル余り。舷側を黒い渦文と鋸歯文で飾っていた。
「多伎。俺達の船、『滄溟の鳥』だ」
剣の声が誇らしげだ。
この船の漕手の定員は左右七人ずつ。歩く隙間も殆ど無い。
漕手達は倭奈佐のオヤジの船の乗組員にも負けない人相の悪さだった。まるで塀の中から出てきたばかりみたいに目つきが悪い。
「うわぁっ…。強面だな…」
俺は思わず萎縮してしまった。
何割かに刺青(鯨面文身)や刀傷・矢傷が見られる。民族・出身もバラバラなのか、着物や髪型が違う。上半身裸の漕手もいる。
「多伎。たった十日ぶりで、もう新鮮に感じるのか?」
剣が俺をからかう。多伎は十日ぶりかも知れないけど、俺は初めて見る。
群を抜いて筋骨隆々とした大男が一人居る。その名は真具呂。船尾に乗る操舵士。
そいつは鯨面文身を施し、面構えがとても怖い。真具呂の不愛想さは船一番だった。
剣の護衛も混じっていると思うけど、まだよくわからなかった。どいつもこいつも逞しく日焼けしていた。
「この船に乗せてもらうのか。皆さん、よろしく…」
剣に続いて戸板を渡り、愛想よく乗り込もうとした。
「お前も漕ぐんだよ!」
剣に怒鳴られた。
大声に振り返った。剣が驚きの眼差しを俺に向けていた。
「多伎。お前、やっぱりおかしい……」
剣が疑っているのが俺にもわかった。




