第1章 クラン ・ 第4話 飆 ③
集落の端の、鬱蒼と木が生い茂って暗い山道。
ツムジが八野凝の十四歳の孫娘・倭加の手を引っ張り、急ぎ歩いていた。
倭加は島田髷を結った、可憐で美しい少女だった。倭加は精一杯抵抗し、足を踏ん張った。
「ツムジ! こっちは多伎さまの家の方角じゃない! どこに行くの⁉」
ツムジは鼻で笑った。
「黙ってついて来いよ。多伎の妻になりたいんだろ⁉」
倭加を引きずって歩かせる。
八野凝の息子の家で十年間共に暮らしてきた、よく知る相手だ。
倭加は姉妹の中で一番美しく成長しつつあり、口癖のように多伎と結婚すると言っていた。それがツムジには気に入らなかった。
ツムジは数日前の出来事を思い出した。
夕刻、この山道を歩いている時、知り合いの若い男・阿利と出くわした。
阿利は意識を失った多伎をおんぶしていた。
ツムジを見つけ、阿利がいつもの優しい笑みで頼んできた。
「ツムジ! 多伎さまが帰って来たんだ。皆でお祝いしなくちゃ。八野凝に知らせてくれ!」
「阿利。多伎さま、どうかしたの?」
ツムジは二年ぶりに見る多伎の顔を覗き込んだ。
阿利の背中で多伎がぐったりして、目を閉じていた。
「山で倒れてたんだ。何があったのかは知らない。特に怪我はしてないみたいだけどな。今夜は霧が出そうだ。霧の夜は鬼が出るかも知れない…。…だから、念の為、うちに泊める…」
ツムジは一応、それをとめた。
「不吉じゃない? 多伎さまって、鬼を引き付ける餌みたいな人じゃないか」
「でも、放っておけない」
阿利は多伎を背負い直し、急な坂を下っていった。
「くだらない…」
ツムジは阿利の後ろ姿を眺め、小声で呟いた。
八野凝に多伎の帰郷を知らせなかった。
しかし、多伎の身に何が起きたのか、少しは気になった。早朝、釣り道具を持ち、鬼除けに犬を連れて、阿利の住居の方へ向かった。
そして、記憶をなくした多伎(黎明)と出会った。多伎は全身に黒い返り血を浴びていた。
「おはようございます…」
何事も知らないかのように明るく挨拶をして、状況を探った。
「多伎さま、鬼でも狩ってたんですか?」
どうやら、阿利の家に鬼が出たようだ。結果どうなったか、想像するだけでツムジの顔がニヤニヤと緩む。
聞けば、やはり鬼が出て、親切な阿利と臨月の若い妻が死亡したらしい。
ということで、その葬儀の手配をする為に、八野凝に多伎の帰郷を伝えることになった。その葬儀の手配だけで、多伎にとても感謝された。
数年、殆ど口も聞いていなかった間柄の多伎と一緒に釣りをしながら、たわいもない話をした。
多伎は記憶を全てなくし、何もわからなくて、ただ腹を空かせて困っている。
ツムジにはそれが滑稽に見え、笑いが込み上げて仕方なかった。
ツムジは八野凝の孫娘・倭加に囁いた。
「ちゃんと多伎と添い遂げさせてやるって。あの世でな」
倭加の表情が強張った。
俺は十四歳の無邪気な少年ツムジを、全く疑うことなく最初から信頼してきた。彼はそんな悪い少年には見えなかった。
悪事が表沙汰になっても、全部俺のせいになっていても、俺はまだツムジを信じていた。
多伎の短剣が父親の形見で、滅多に手に入らない舶来品、とても古い年代物だと言うことは、この郷の人間なら誰でも知っていたそうだ。
ツムジも当然、知っていた。
俺の心臓がドクドクと大きな音を立てた。
俺達は八野凝の息子の犬にツムジを追わせた。集落の人達と手分けしてツムジに迫った。
その頃、ツムジは山の中腹にある墓地へ倭加を連れ込んだ。
墓地と言われなければ気付くこともなさそうな、ありふれた山の中だ。
集落を見下ろす方角の木々を伐ってあるが、周辺は藪。低木が生い茂り、どこが墓地かわかりにくい。
お墓の低い盛土が波のようだ。どの墓上にも人頭大の標石が置かれている。
夕暮れを過ぎて、辺りは既に暗かった。
青白い火の玉がぼんやり浮かび、風に流れていった。
「人魂だ。新たな死者を迎えに来ると言う…」
ツムジは倭加を怖がらせようとした。
それから無言で多伎の短剣を取り出した。この短剣で倭加を殺す。八野凝の孫娘を。
多伎はもうこの郷に居られなくなる。
いや、このクニを出ていく他ないだろう。
「嫌…。ツムジ、やめて……!」
ツムジが刺そうとした瞬間、倭加は気絶して倒れた。
そこでやっと、俺がツムジを見つけた。
他の人達は松明を持ち、山の頂上へと登っていった。
俺だけが異様な気配を感じ、恐ろしげな夜の墓地に誘われた。
「ツムジ……」
俺の暗い言い方で、ツムジは大体を察した。
犯罪が露見したのに、彼は全く悪びれない明るい表情で、まだ誤魔化そうとしていた。
「多伎、どうしたの? 晩飯ならすぐ持って行く…」
「その女の子は? 八野凝の孫?」
俺は失望を禁じ得ず、松明でツムジの腕の中の女の子を照らした。
俺とツムジは墓をいくつか挟んで見詰め合った。
ツムジはすらすらと嘘を付いた。
「鬼に攫われそうになったんだよ。ここで気絶していた。墓地に連れてくるのは貉だよ…。間に合ってよかった。この子は多伎が言うように、八野凝の孫で…俺の妹みたいな子だよ…」
「ふーん……」
俺はどう問い詰めるべきか、本当に迷った。
「その短剣は? 俺の父親の形見だったよな?」
「多伎。…思い出したの?」
追い込まれながらも、ツムジはまだ余裕があった。
ツムジの喋り方はまだ少年っぽく、可愛くもあった。
「多伎、それ…、八野凝に聞いたんだよね? …この剣、もう母さんに見せたんだ。多伎に返そうと思ってたところ。はい、返すね…」
ツムジは俺の方に短剣の柄頭を向け、差し出した。
俺は何だか、胸が痛くなった。
「ツムジ…。お前に母さんは居ない。十年前の洪水で、お前の家族は全員死んでる…」
俺は短剣を受け取る為、彼に近寄っていった。
ツムジの笑顔が凍った。
「………そう、………聞いたんだ」
長い沈黙があった。ツムジの声が数段低くなった。
俺の中で鳴り響く、心臓が太鼓のリズムを刻む。
「…別に隠そうと思ってたわけじゃないんだ。…多伎がちっとも思い出してくれないから……家族のことは余り話したくなくて、あやふやにしちゃったんだよ」
ツムジは尚も本音を吐かなかった。
「ツムジ。俺の剣と日河の首飾りを返してくれ。あれは大切なものなんだ。…返してくれたら、それ以上はお前を責めない…。後は俺が何とかする」
俺はツムジが巻き上げた金目のものを返してくれると信じていた。
その後に及んでも。
「返すってば。ちょっと借りただけだよ。…身に着けて、ちょっと遊んでみたかっただけ」
ツムジは静かに受け答えした。
俺がツムジから短剣を受け取ろうとすると、いきなり俺の手を掴んで剣の柄に添え、そのまま俺の手で八野凝の孫娘を刺そうとした。
俺は慌てて手を引こうとする。
俺の手に大きなムカデが這いずり回るような不快感がまとわりつき、手から力が抜ける。
八野凝の孫・倭加の肩に短剣の刃が当たり、浅く傷付く。
咄嗟に、俺は左手に持った松明でツムジを払った。
「何すんだよ⁉」
俺はツムジのことを理解出来なかった。
ツムジが声を立てて笑っていた。悪魔みたいな顔で。
「意外に力があるんだね、多伎! でも、無駄だよ!」
ツムジは逆手に短剣を持ち、振り上げて、ガッと倭加の胸に突き刺した。
「…ツムジ‼」
俺の声が掠れた。
俺は思わず、我が手で倭加の胸を庇った。
俺の手の甲に短剣が突き立った。
「馬鹿なんじゃないの? 多伎こそ、このクニにもう居てられねーから!」
ツムジが狂ったように笑うのを見て、俺は愕然とした。
「馬鹿な多伎。多伎より、俺の方が信用あるんだよ。全部、多伎が罪を引っ被ることになるんだよ! 『お前を責めない』なんて、言われる筋合い無いんだよなぁー!」
ツムジは大笑いした。
俺は裏切られた。ショックだった。罪を被せられた。
ツムジが短剣を引き抜くと、俺の赤い血が飛び散った。痛みが全身貫いて、手の甲から痺れが走った。
たぶん、毒が塗ってあった。
俺は周囲の松明の光を目で探した。真っ黒な山の上の方で、光の粒が動いている。
剣や八野凝や辰姥達が持つ松明の光は、俺が今居るこの墓地から遠ざかりつつある。
一体何に惑わされているのか、これじゃいくら待っても来ないだろう。
仕方ない、これだけはやりたくなかったんだが。
『…百百多良利多良利良…多良利良良利百百…』
俺は小声で繰り返し唱え始めた。




