第1章 クラン ・ 第4話 飆 ②
海の男、倭奈佐。日焼けで真っ黒のマッチョなオヤジが剣に話しかけた。
「剣の旦那。いい秋晴れの朝だ」
オヤジが剣に呼びかけ、俺はそこでやっと剣の名を知った。
「品物を受け取りに来たよ。倭奈佐のオヤジ」
剣が答え、俺の背中をグイグイと押し出した。
オヤジは俺を見て、唇の端を軽く曲げて笑みを送る。スキンヘッドで、目の周りと両肩に刺青をしている(魏志倭人伝が言う鯨面文身)。
口髭と顎鬚を生やし、裸の上半身にアクセサリーを付けている。盛り上がった上腕筋とバキバキに割れた腹筋がもの凄い。
「多伎の若旦那。ほら、この坊主だ。受け取りな!」
オヤジが乱暴に投げて寄越したのは、生後四カ月のニホンオオカミの仔だった。
「うっわぁ‼」
俺は興奮して狼の仔を受け止めた。
狼と言っても、見た目、大きさは柴犬の仔と余り変わらない。
狼の仔はつぶらな眸で俺を見上げた。耳はバランス的にまだ小さく、先が垂れている。タテガミと頬の毛はモシャモシャと広がり、全身の毛がふわっふわっだ。
舌を覗かせ、ハァハァ息を弾ませている。それが可愛い。
狼の仔は鼻に皺を刻み、牙を剥き、俺の手を噛もうとした。
「おっと。気を付けるんだな、多伎の若旦那。狼はそうそう人間には懐かねぇ。すぐ噛みつく。まさか、狼を退魔犬にする気か?」
オヤジは海に沈めて処分するつもりだった仔を、目を細め、案外愛しそうに眺める。
オヤジはこの仔の母親を殺し、毛皮にして売った。
多伎は物々交換でこの仔を買った。
俺は狼の仔が気に入り、頬擦りした。
「ありがとう、倭奈佐のオヤジ。この仔は強くなりそうだ!」
俺は嬉しがって剣に見せたが、彼は馬鹿にして肩を竦めた。
「だから、多伎。まだ小さすぎるって。足手まといなんだよ。戦う間はどうする?」
「何とかする!」
俺は狼の仔をギュッと抱き締めた。
退魔犬か。実は弥栄流退魔道にも退魔犬がある。
剣は呆れた様子だ。
「馬鹿だな、多伎。その仔を庇って、命を落としたりするなよ。多伎はもう名を決めたと言ってたな。淡由岐と名付けるって…」
「いいじゃねーか」
倭奈佐のオヤジが淡由岐の顎の下を撫でた。
淡由岐はキューキュー鳴いて、海のオヤジとの別れを寂しがった。
倭奈佐のオヤジとそこで別れ、淡由岐を抱いて剣と郷に戻った。
剣は辰姥の家に寄った。
トメとは首長の娘のこと。トメに既婚・未婚・年齢は関係ない。
辰姥の家は大型の円形竪穴住居だった。辰姥の娘や孫が大勢居て織物を織ったり、縫い合わせたり、雑貨や物が多く生活感があった。この家は掘立柱の数が多く、屋根が高く、柱間が帳で区切られ、ロフトみたいな生活空間もあった。
剣は辰姥に礼を言った。
剣の留守中、彼の妻が実家に帰って子を産む時、産婆の辰姥が隣の八ヌ弥まで駆け付けたそうだ。
「助かったよ、辰。お陰で元気な子が生まれた」
剣は笑顔で話しているが、俺は聞いていて驚く。
身重の妻を置いて二年も出掛けていたのか。酷い話だ。
子供はもう一歳過ぎじゃないか。このクニで若い女性が出産するのは、かなり命懸けだと思うのだが。
俺はそこで意外なことを辰姥から聞かされる。
「腹減った? 多伎さま、どうして八野翁のところに行かれぬのか? 八野翁が多伎さまの後見人じゃ。あそこに多伎さまの為の炊屋があって、専属の炊女も居るはずじゃが…」
「へっ?」
俺は目が点になる。俺の今までの労働、心労は何だったのだろう。
剣も辰姥も不思議そうにしている。
俺はそんな話、ツムジから聞いてなかった。いつの間にか、集落では、俺がツムジ以外を寄せ付けなくなったと噂していた。
「ああ。でも、八野翁がツムジに飯や魚や酒を持たせたじゃろ?」
辰姥が俺を驚かせる。
あれはツムジが海に潜って仕留めた魚じゃないの? 酒なんて一滴も届いてないけど。
辰姥は俺が青褪めていくのをじっと眺めた。
「多伎さま。身の回りの世話をする娘をツムジに探させておられるそうだが…」
辰姥は俺に不信感を持っていた。
何のことだか、俺にはさっぱりわからない。
「ま…待って。辰姥…」
俺は焦った。背中を冷汗が流れた。
辰姥は杖頭にかけた手に重心を乗せ、どっこいしょと立ち上がった。
そして、俺を大型竪穴住居の出口に追い立てるように詰め寄ってきた。
「多伎さまのお使いじゃ言うて、ツムジがうちの孫娘を連れていった。孫娘はツムジに夜道で襲われそうになって、必死で逃げ帰って…今も泣いておる。…多伎さま、これはあんまりじゃ…!」
「う…嘘だろ…」
俺は狼狽えて反論出来なかった。
ツムジがしでかした事は、俺の責任になるのだろうか?
てか、俺はツムジに女の子の調達なんて、絶対頼んでない!
その話を剣が丸々信じ込み、
「多伎! 辰の身内はお前の身内だ! そういうやり方は好かん。いい子が居たなら、ちゃんと辰にまず話を通せ。それからだ!」
と、弟分の俺に厳重注意してきた。
俺は悔しくて、でもツムジがそんなことするなんて信じられなくて、切羽詰まった。
「待ってくれ…。そんなはずない…。よくわかんねーけど、きっと違う…!」
「多伎さまはうちの孫が嘘つきだとおっしゃるのか⁉」
辰姥はひどく不機嫌で、俺の胸を杖の先で突ついた。
俺を非難する人達の視線が集中する。
そこへ日河兄弟がやってきた。先日、無抵抗の少年に暴力を働いていたのが日河の兄だ。あの時は俺と口論になった。
その日河の兄が俺を見るなり、襟元を掴んで揺さぶった。
「おい、多伎! 何してくれてんだよ! 俺の居ない間に、弟から家宝の首飾りを取り上げたらしいじゃねーか⁉」
「はぁ⁉ 俺は知らねーよ‼」
俺は日河兄の手を振り解いた。
兄と十歳違いの可愛らしい日河弟が俺を見上げ、
「でも、ツムジが。多伎さまの命令だって言って、持って行った」
と言ったから、さぁ大変。俺に疑いが掛かった。
辰姥も剣も日河兄弟も、俺がツムジに命じたと思っている。
日河兄弟の家宝の碧玉管玉の首飾りは祖父の形見だとかで、とても大事な物らしかった。
「俺は持ってねー。そんなこと、ツムジにも頼んでねぇよ。信じてくれ…!」
俺はオロオロした。
右も左もわからない異世界に来て、ツムジだけが頼りだった。
ツムジは多伎の記憶がない俺を記憶喪失と思い込んで、すごく親切にしてくれた。
「多伎、本当に何も覚えてないの? 全部?」
と、念を押して聞いていた。
「あれ…?」
俺は何か引っかかった。
俺、もしかして、ツムジに騙されている?
そんな馬鹿な。
「ま、待って。ツムジに確認してみる。首飾りはちゃんと返す。待ってて…」
俺は淡由岐を抱き上げ、玄関から飛び出した。
日河兄弟は俺の言うことを信用せず、ツムジの住所までついて行くと言った。
剣と辰姥もついてきた。
目には見えない飆が落葉を巻き上げ、渦となって姿を現し、集落の中を走り抜けた。
ツムジはこの郷の出身じゃなかった。隣の郷から来て保護された少年で、八野凝の息子の家で養われ、今は働いていた。
病気のお母さんどころか、ツムジに家族は居なかった。
ツムジが連れていた犬は、八野凝の息子が飼う猟犬で、世話を任されていただけだった。
たった数日で、ツムジは多伎の使いという名目で、あちこち回って装飾品や金目のものを巻き上げていた。
八野凝の息子の家にツムジの姿は無かった。
八野凝が俺を見つけて叫んだ。
「多伎ィ! 儂の孫娘に手を出したな! どこに連れて行ったァー⁉」
俺は呆然とした。
ツムジはこれまで嘘つきとして問題になったことは一度もなく、明るく闊達な少年として皆に信頼されていた。
そのせいで俺が一気に悪者扱いだ。
八野凝の大型竪穴住居に並び建つ炊屋から、赤ん坊をおんぶした十一歳の佐知が出てきた。姉の子を二人子守りしている、しっかりした女の子だ。
「多伎! いつも腰に下げてる、あの剣はどうした?」
佐知に鋭く問われ、俺はモゴモゴと口籠った。
短剣。あれは…。
「あ……今、ツムジに貸してる…。病気のお母さんに見せたいって、頼まれて……」
俺の声が尻すぼみになる。
すると、剣が怖い表情で俺に教えた。
「なんで貸す? ありゃ、お前の父親の形見だろうが。もし盗まれたらどうする? もう売られてるかもな!」
俺の頭の中は真っ白になった…。




