第1章 クラン ・ 第3話 貉 ②
俺が六歳になったばかりのこと。
もう少しであの世に連れて行かれるところだった。
深夜、トイレに行きたくなり、一緒に寝ていた祖父母の寝室を出た。
俺の父親は平凡な公務員だが、母親の実家は敷地が途方もなく広く、時代劇の大名屋敷みたいだった。そして、建物が老朽化している。廊下を歩くとギシギシ鳴って響くほどだ。
俺は祖父母を起こしたかったが、よく熟睡していたから遠慮して、一人でトイレに向かった。
回廊から見る中庭の桜が満開になり、月に照らされて美しかった。
用を済ませ、祖父母の寝室に戻る途中、俺は方向を間違えて長い廊下を玄関の方へ回ってしまった。
そうしたら、変に風が吹き込んでくる。見ると、玄関の大きな戸が開いている。俺は鍵の閉め忘れだと思い、急いで戸を閉めようとした。
その時、玄関前で子供達が遊んでいて、ユラユラと手招きした。
「おいで…。一緒に遊ぼう…」
その子供達は三月下旬なのに浴衣一枚で外に出て、顔は白粉を塗ったように白かった。
俺は従兄弟達かと思って、
「何やってるの…?」
つい、玄関の外に出てしまった。
母の実家は祖父の住み込みの弟子も多く、家には沢山の子供の出入りがあった。
それでもやっぱりおかしいと思いながら、浴衣の子供達について行き、弥栄氏の氏寺の墓地に着いた。
月が墓地を照らしている。
俺は青白い顔の子供達と手を繋いで、墓地の裏山を登っていく。灯りは何もなかったけど、子供達と一緒なので怖くなかった。
山の斜面の雑木林で、俺は玩具のスコップを手渡され、自分の墓穴を掘るように言われた。
俺は遊びだと思い、素直に従って穴を掘った。落ち葉が溶けたような、湿って柔らかい土だった。
何故か、季節外れの蝉が鳴いていた。二俣の大木の幹に、まるで蛹から出てきたばかりのような白い蝉を見つけた。こういう現象は今思うと奇異だ。
「蝉だよ、七海姉」
俺は二歳年上の従姉の名で、長い髪の女の子を呼んだ。日本人形のような黒髪の女の子。
その子は七海姉じゃなかった。俺の見間違いだった。
女の子はビクッと肩を震わせた。
「早く掘りなさい。今夜からそこで寝るの…」
俺は言われた通り、穴を広げていった。
七海姉に似た女の子は俺に優しかった。
「私、友達がほしかったの…。これから毎晩、一緒に遊ぼうね…」
俺の頭を撫でた。
「うん、遊ぼう!」
俺は友達が出来たと思い、嬉しかった。
もう少しで自分の小さな墓穴が掘り終わる。額の汗を拭った時、後ろでズバッと、包丁で白菜を切るような音がした。
俺の掘った墓穴に、七海姉に似た長い髪の女の子が血塗れで倒れ込んだ。
「あっ」
振り返った瞬間、俺の顔に血飛沫が飛んだ。
「がぁっ!」
目の前に男の子の生首がドサリと落ちた。俺のパジャマは返り血を浴びて汚れた。
「助けに来たぞ、黎明!」
日本刀を振るう祖父の声が聞こえた。俺の視線は子供の生首に釘付けだった。
その生首が沸騰するように蕩け出した。
もう一人の女の子がそれまでと違う、獣じみた表情で犬歯を剥いて唸った。
「シャーッ!」
女の子が野良猫の威嚇のような声を出す。犬歯がやたら長かった。
女の子が俺の祖父に指爪立てて掴みかかり、祖父の着物を切り裂いた。
袂が破れ、祖父の腕から血が流れた。
俺はその光景を月明りで見た。
木立の間を鬼文字の赤い護符が飛び、地中から湧き出る屍を撃った。それでも更に地面から屍が湧いた。
祖父がまた赤い護符を投げる。屍の動きが停まり、地中へ潜った。
トラウマになりそうなシーンが続いた。
祖父が日本刀を持って女の子を追いかけ、女の子は走って逃げ回った。
祖父が大股で追い付き、女の子は刀で切りつけられ、一撃のもとにバラバラになった。
シューシュー音を立てながら、肉が腐って溶けていく。
あっという間の容赦無い惨殺。
「あ…」
俺は膝がガクガク震え、口も開きっ放しだ。
「黎明、こっちに来い。貉に喰われるぞ…。その子供達は貉の使いだ…」
祖父が刀の先から血を滴らせ、10メートルくらいの距離を軽々飛んで、俺に近付いてくる。駆け付けた祖父は老眼鏡を掛け忘れ、寝間着の着物姿だ。
仄白く柔らかな光を放つ弥生の月が、厳めしい顔つきの祖父を照らす。
「じぃじ……」
俺は泣き出した。子供達を殺した祖父が恐ろしかった。
祖父は子供達のことを『鬼』と呼んだ。
「黎明。私は鬼を斬ったんだ。あれは子供に見えるけど、子供じゃない。貉は巫の家の子が好物だ。霊力が増すので喰いたがる。こっちにおいで。もう大丈夫だ…」
祖父が俺を抱き上げた。
貉のことは俺も聞いたことがあった。昔、トヨばぁの従妹が貉に化かされ、山の中を堂々巡りして死んだとか。
貉は日本各地の伝承にある怪物だ。その伝承は数多く、ただの獣の話じゃない。
「一美、黎明の手当てを」
祖父から祖母の腕へ移された。俺は祖母に抱き着いた。
「カズばぁ…!」
「よーちゃん!」
祖母が俺を抱き締め、髪を優しく撫でた。提灯の光が俺を安心させ、やっと落ち着いてきた。
「宗家。よーちゃんは怪我をしていません。お怪我をなさったのは宗家です」
祖母は祖父のことを宗家と呼んでいた。
「ふん。大したことないわ。こんなもの、怪我のうちにも入らん。親玉め、逃げよった…」
祖父・弥栄千五十寿は日本刀を軽く血振りして、黒い血を飛ばし、納刀した。
「宗家、ご無事ですか⁉」
若い門弟達が駆け付けた。
俺は祖父の腕から血が滴っているのが、ずっと気になっていた。
「じぃじ。その手、やられたの? なんで黒いの?」
いつも黒い革手袋を嵌めている祖父の手が、その夜は手袋をしていなかった。
手袋をしなくても、手の甲から先の皮膚が墨汁で薄汚れているように、マダラに黒かった。
祖父はハッとした。
「これは…何でもない」
祖父が手を袂に隠した。




