第1章 クラン ・ 第2話 五ツ詣り ④
多伎の右手が俺に届こうとする瞬間、俺はギュッと目を閉じた。
「よーちゃん? どうしたん?」
「トヨばぁ…」
目を開けたら、多伎が消えていた。
「トヨばぁ…。ぼく、おとなの男の人だったよ…。背中に黒いはねがあった…。ゾンビが一杯いた…。あれは何?」
俺が言ったことを、トヨばぁはお告げを聞くように真剣に聞いた。
「おや? それは弥のミオヤと違うな。なんでやろ。よーちゃん、誰に会うたんや?」
「トヨばぁ、目があかい人も見た。真っ白に光って、お顔はよく見えなかったよ。弥の宮から出てきた…。…壱はどこ?」
俺が周囲を見回しても、壱は居ない。
「壱は死んだ。わたしゃ、トヨばぁ」
トヨばぁが俺を立たせ、提灯を持たせようと、俺の掌をこじ開けた。
俺は約3センチの綺麗な翡翠の勾玉を握っていた。
整美なC字形の勾玉の頭部には首飾りにする為の孔が穿たれ、丁字頭という刻み目が彫られていた。
「よーちゃん! 凄いやんか。ご神宝をもろたんか。よーちゃんは巫の才能がある。弥のミオヤに気に入られたな!」
トヨばぁは興奮し、とても感激していた。
俺はトヨばぁと手を繋ぎ、ゆっくりと石段を降り始めた。
「トヨばぁ。ぎしきは終わったの?」
「五ツ詣りは済んだ。次は数え十三になってから。また来よな…」
俺は石段の上方を振り返った。弥の宮はしんと静まって、何の気配もなかった。
夜が明けた。
山麓の竪穴住居。早朝からドンドンと戸を叩く音がした。
「多伎さま! 多伎さま!」
俺は多伎の家に住み着いている。
「誰? ツムジ?」
玄関の戸をガタンと押し上げ、寝癖の付いたボサ髪のまま、つっかえ棒をして外へ出た。
知らない老人と老婆、集落の少年ツムジが立っていた。
「多伎、おはよう。八野凝の翁と辰姥を連れてきた」
ツムジがシャベルみたいな形の農具、鋤を肩に担いでいる。
何に使うのだろう。
八野凝は白い顎鬚を生やした頑固そうな老人で、紹介される前からそうとわかった。長い鬚が胸まで垂れ、山羊のようだ。
おまけに八野凝は顔に刺青している(鯨面と言う)。目を強調する青黒い線が彫ってあった。
辰姥は白髪を結い上げた皺くちゃの老婆で、長年の農作業の為に腰が曲がっていた。額と目の下に赤い絵の具のような丹を塗り、鬼女のように恐ろしげだ。
二人の老人は生成の着物を着て、首飾りを付け、ターバンに鳥の羽を付けている。
一目見てわかる、郷の祈祷師だ。
「多伎さま。阿利を葬る。早う来て下され」
小柄で腰の曲がった辰姥が杖頭に両手を乗せ、俺を見上げた。
「行くよ。あの人は俺を助けようとして死んだ」
俺は深く頷いた。
阿利は息を停めて逃げようと思えば逃げられたのに、どうして俺を助けたのだろう。俺は責任を感じ、胸が痛くなった。
「辰、邪魔だ。退け!」
八野凝が辰姥を押し退け、前にしゃしゃり出た。
前歯が一本欠けたところから唾を飛ばしながら、
「多伎! だったら、さっさと着替えてこんか! その格好で行くつもりか!」
唐突に怒鳴った。
その嗄れ声はツムジがやった物真似とそっくりだった。俺は思わず吹き出して笑った。
「え? 着替え? 喪服ってこと?」
俺は住居内に戻り、多伎の荷物を漁った。木の蔓で編んだ長持形の籠があった。
蓋を開けると、多伎の着物が何着も入っていた。
「おっ。多伎、沢山持ってるんだな…」
多伎の着物はどれも、集落の男達が着ている貫頭衣より上質で、織りも縫製も染色も段違いに良い。
それに集落では見かけなかった長袖や、着丈が足首まであるもの、どうやって着るのかわからないもの、真ん中に穴が開いたマフラー状の横布もあった。
とりあえず、八野凝と辰姥が着ていたような生成の着物と袴パンツを選び、帯を締めて出た。
老人達の反応からすると、それでよかった。ホッとした。
清く白い着物、つまり俺達はこの郷の『祝』。ハフリと書いて、ホウリと発音する。
俺達はこの郷で神事を担う。祝は現代の神社でも使う言葉。昔は祈祷も葬儀も行った。辰姥は郷の産婆でもある。
辰姥は俺をしみじみと眺めた。
「二年ぶりじゃな、多伎さま。背も伸びて、ご立派になられて…。凛々しいところが先代にそっくりじゃ…」
一方、八野凝はぷりぷりと怒り出した。
「多伎! 今頃、何しに帰ってきた⁉ クソ忙しい時にいつもおらん。収穫がとうに終わってから戻りおって! 今年の祭(秋の収穫祭)、誰がやったと思う? 儂だ‼ 神さまがお怒りになって来年不作なら、お前のせいだぞ!」
八野凝が俺を責めた。やっぱり鯨面は迫力がある。
多伎が父親亡き後に託された神の祭祀をほったらかし、二年留守にしていたと言うが、それは俺のせいじゃない。
八野凝の不満は二年分あった。
「農作業は皆が協力し合ってやるものだ。女も子供も年寄りも共に勤めを果たす。あの大洪水以来、男手は不足しておる。多伎、お前ときたら……」
八野凝は多伎の返事を心の中で予測して、俺が何か言う前から腹を立てていた。
八野凝の予測では、多伎が冷たくこう言う。
「チッ。またすぐ出ていくから、それでいいだろ。俺を数に入れるなよ、クソ翁!」
そうしたら八野凝も、
「多伎! 可愛げのないクソ餓鬼め!」
と、言い返そうと思っていた。
ところが。俺は半泣きで八野凝の腕にしがみつき、
「ごめぇーん! 農作業でも何でもするから、飯食わせてぇ!」
と、哀願したのだ。その日、朝飯がまだだった…。
八野凝は面食らい、辰姥も目を白黒させた。
慌てて、ツムジが言い訳をした。
「多伎は山で頭を打ったんだ。それで少し変なんだ!」
「はぁー? …な、何を今更…。お前など、何の役にも立たん! 今すぐ出て行け、この疫病神がぁ―‼」
八野凝が大声で叫んだ。
このじいさん、俺の親戚の千津雄伯父みたいに小言が多くねーか?
辰姥が割って入った。
「まぁまぁ…、八野翁もそのくらいで…な。多伎さまも余り八野翁を煩わされぬよう」
辰姥が話をまとめ、俺達は山の中腹の墓地に向かった。
道すがら、ツムジが色々と説明してくれた。
平民だった阿利は、集落の墓地に土葬される。
首長クラスは特別の墓域で厚葬される。平民との間には完全な格差がある。
最近、鬼に襲われて死んだ人が阿利も含め、三人出た。だから、一度にまとめて葬儀を行う。
「多伎! この辺りの鬼を全部やっつけてくれよ! 多伎なら出来るんだろ⁉」
ツムジが俺に期待を寄せた。
既に集落の人達が三十人ほど集まり、ツムジ同様、男達の何人かが手に農具を持っていた。このシャベルみたいな鋤で墓壙を掘り、組合せ式木棺を設置して、戸板に載せてきた遺骸を納めて蓋を閉めて、土を戻して埋める。
家族をなくした人達や、阿利の弟家族が号泣していた。
阿利の両親は昨年の流行り病で亡くなった。阿利の子供がまだ生まれていなかったから、あの壊れた住居は解体を待つのみだ。
「あれ? 阿利の奥さんは?」
俺は葬儀の途中で気付いた。
「阿利の妻は隣の郷の娘じゃ。この墓地は我等一族のみ。阿利の妻の骸はその郷の親族が引き取りに来る」
辰姥が答えた。
夫婦別葬か。それも寂しい気がする。それとも、あの奥さんは親兄弟のお墓に入る方がいいのかな。
この世界では、鬼に襲われて死んだ人を特別丁寧に弔う習慣がある。
悲劇的な死に方をしたら、思いが強く残っている可能性が高い。そのままでは鬼になってしまいかねない。
行き倒れの人が見つかった時もそうだ。日本では思いが強く残っていると成仏出来ないと言い、知らない人であってもちゃんと埋めて供養し、地蔵などの石仏を立てる。
木棺の蓋にツムジ達が土を被せている前で、辰姥が榊の小枝を立てた。少量の食べ物を盛った高坏と酒を満たした甕を神さまに供え、三人の死者をたたえた。
「働き者で正直だった。皆に好かれ、頼りにされた。泳ぎと漁が上手かった…」
思いつく限り褒め、その場で思い出を共有した。そして、早すぎる死を惜しんだ。
「いい人だった。皆に親切だった」
「美味い米と野菜を作った。ヤスで魚を突いて沢山仕留めた」
「それを分けてくれた」
参列者が口々に褒めた。
俺は阿利のことを何も知らない。
でも、阿利は俺を山から運んで、泊めてくれた。奥さんは俺を泊めたくなさそうだったけど。
「いい人だった…」
俺も涙が零れた。
「そう。神さまは何もかもよくご存知だ」
八野凝の声が山に響いた。
「彼等は常世國へ旅立った。海の彼方にあるという素晴らしい場所だ。そこで儂らが来るのを待っておる…」
誰かが啜り泣いた。それが参列者に広がった。
大人達に酒坏が回ってきて、お供えの酒を注がれる。お酒は薄い濁り酒。
十五歳の多伎も大人の扱い。俺は皆の真似をして一口飲んで、酒坏を辰姥に返した。
俺達は供えた小餅を一つずつ食べた。
酒坏は一カ所にまとめて廃棄された。葬儀に使った土器は集落に持ち帰らないシキタリだ。
俺は祖母が死んだ時のことを思い出した。
俺はまだ小学生だった。俺がインフルエンザで高熱を出して寝込んでいる間に、祖母が心不全で急逝した。死に目に会えず、お葬式にも行けなかった。
俺は実家の仏間で祖母の骨壺を見るまで、何も実感が湧かなかった。白い布に包まれた骨壺を見て、人間は死んだらこんなに小さくなってしまうのか、なんて儚いんだろうと思った。
俺が理科のテストで百点をとったのを死ぬ前に見せたかった。
そして、いつもみたいに、
「よーちゃん、よくやったね。よーちゃんはやっぱり賢いね。よーちゃんの将来がとっても楽しみ…」
と、褒めてほしかった。
俺は余り自信ない性格で、何かと祖母を喜ばせようと頑張っている部分があった。
いつまで経っても祖母が死んだ実感は薄いが、もう会えないことが凄く悲しかった。
阿利は自分の子をその手に抱きたかっただろう。無念だろう。
俺がもっと早く鬼に気付いて、あの夫婦を逃がすことが出来ていたら。
俺は悔やんで、俯いて拳を握り締めていた。
いつの間にか葬儀が終わっていた。参列者の一人が、
「多伎さまに来て頂いて、光栄です」
俺にお礼を言って帰った。
いや、そんなこと言われるような人間じゃないので。
俺はタダ飯食らいの居候です。




