君主フェルダは奔走する
とんでもない愚行を馬鹿息子が犯してしまった。
その事実を君主フェルダが知ったのは、いがみ合っていた敵対国との和平条約の締結のために、第三の国である敵対国と自国からほぼ同距離の島国に、国の重鎮の数人と訪れ、和平条約を締結し、これで敵対国とも自分の生きている間は戦争を行わなくて良くなった、と心から喜んで帰国した、その日のうちであった。
フェルダは当代の聖女を大変にかわいがっている君主であった。歴代随一の才能を持った彼女は、常に努力家で、地道に一つずつ物事をこなしていく実直さを持ち、そして何より心清らかなのである。
辺境の土地から神殿の神託の巫女により見いだされた彼女は、時折故郷を恋しがっていたので、彼女が故郷の家族に定期的に会えるように取り計らったのも、記憶に新しい。
本来の聖女は、神殿の関係者になった時点で家族との関係が断ち切られ、神殿に属する事になったが、フェルダは人の情がわかる国王だった。
弱冠六歳で聖女と見いだされた少女が、両親や祖父母を恋しがらないわけがない、と言う事で、条件付きではあるものの、神殿に働きかけ、お互いに望めば面会が可能にし、数ヶ月に一度の帰郷もゆるしたのだ。
その事に聖女は非常に感謝しており、そのためフェルダを裏切らないと言う事を神に誓っていたほどだった。
神殿の方も、彼女が里帰りをする事で、祈りの力をより強固な物にしていくと理解したあたりから、彼女の定期的な里帰りを快く許可していたのである。
聖女の祈りにより、繁栄するこの国にとって聖女の力が増すのは瑞兆とされていた。
それゆえ、フェルダは聖女をこの上なく丁寧に扱い、聖女との信頼関係をどの世代よりも築いた名君ともっぱらの評判だったのだ。
彼は戦争を行う事を嫌っていたため、長年いがみ合い憎しみ合っていた敵対国との和平に動き、対話を行い、このたび十数年かけて、和平条約が結ばれたのである。
そのフェルダが、聖女への土産話も携えて帰国し……待っていたのは、聖女の祈りが消え失せた事で魔物に侵略される光景であった。
一体何があったのだと、すぐさま動ける人間達を動かし、事態の把握に努めたフェルダは、一番の馬鹿息子がやらかしたと知ったのである。
一番の大馬鹿息子は、母親の身分が最も高いという現実故に、王位継承権第一位の座にいる息子で、何しろ物事を緻密に考えず、気に入りの女性の声に流されやすいという大問題な性質だった。
そのため、理性ある聖女を婚約者に据え、即位後の暴走を抑えると言う事が行われていた。神殿と王家は両立するが、神殿の権力と王家の権力は拮抗させられており、国を滅ぼす事を対立する事で抑えるという役割が合った。
王家と神殿の関係者は、そのため定期的に婚姻を行っており、聖女という最もこの国で尊ばれる女性ならば、格として申し分ないという議会の決定もあったのだ。
だと言うのに。
国王と数名の重鎮……王子の暴走を止められる人間が、和平条約のため国を離れていた間に、馬鹿げた聖女追放劇が行われてしまったのだ。
フェルダはすぐさま聖女の足取りを追ったが、彼女が国境に連れて行かれてから、手紙で故郷の人々にこの国を離れるようにと告げ、自身もなんと……和平を結んだ敵対国に去って行ったと聞かされて、血の気が引かないわけが無かった。
敵対国との争いの種になりやすかったのが、聖女の存在だったからだ。
敵対国と言えども、信じる神は同じ、同じ神を信じる神殿を有しており、聖女を独占する事で国同士の争いが起きていたからだ。
和平条約で、聖女を数年ごとに行き来させる事で決着したというのに、その聖女が敵対国に亡命。
これで帰せ等と言えるはずも無い。
そしてフェルダは、魔物の侵略になれない程、聖女の聖なる結界に甘えきっていた人間達を叱咤し、国の平和のために、人間では無く魔物との戦いに身を投げる事になったのであった。
その一連のゴタゴタの間に、馬鹿息子は投獄し、馬鹿息子を籠絡した令嬢も投獄した。馬鹿は野放しにしておくわけにはいかない。
さらに令嬢からの聞き取り調査の結果、おぞましい事実も知らされ、フェルダはこれでは神にこの国はゆるされることなど無いだろうと思う、程だった。
令嬢エリナは、聖女に嫉妬していた。田舎出身の身の上で、貴族の血ではない聖女デメテルが、誰からも恭しく扱われ、国王からの信頼を受け、人々からもこの上なく大切に扱われている事実が、ゆるせなかったのだ。
エリナがこの国でも随一の名門貴族の、溺愛された娘だった事からも、自分より大切に扱われる女の子などいてはならない、と言う認識になり、エリナは自分こそ正しい聖女だと馬鹿息子にささやきかけ、聖女の真面目さや常識的な側面や誠実な側面に、飽き飽きして、思うようにならないからといらだちを募らせていた馬鹿息子に、聖女排除の計画を行わせたのだ。
エリナは聖女の力を甘く見ていた。エリナもそれなりに結界を張る力が合った事も、聖女排除の計画を考えさせる一因ではあった。
自分だって同じ事が出来る、と思ったのだ。
だが聖女デメテルを追い出し、自分の力で国中に結界を張ろうとしたエリナは、大した結界など張れなかったのだ。
それに、誰もがすぐには気付かなかった。だが、魔物の侵入が劇的に増えた事で、結界が役立たずになったと判明し、民衆の怒りは新たな聖女を名乗ったエリナに向くかに思われた。
だがエリナはそこでもなお醜悪で、自分に向くはずの怒りを、神託の巫女に向かわせたのだ。
神託の巫女が間違った神託を広めたのである。神託により選ばれたと思わされていた自分も被害者なのだ、全ては間違いを口にした神託の巫女なのだ……と。
だが。
聖女デメテルの存在を告げた神託の巫女は、数年前に大往生しており、それ以降神託の巫女は現れていなかった。
だから。
エリナは、いかにも神託の巫女に見えそうな、だましやすそうな人間を、民衆の怒りを向けさせる人柱にしたのだ。
いかにも選ばれているような、ラベンダーピンクの頭髪をした、透き通った濃い桃色の水晶を思わせる瞳の、いかにも特別に見えそうな色彩の少女を。
善良な性根のフェルダはぞっとした。その少女が文字も読めない出自である事を利用し、言いくるめ、だまし、抵抗できないように彼女の大事な存在を人質に取り、民衆の怒りの向く限りのあらゆる暴行を加えさせる人柱にしたのだ。
この国の神はそう言った所業を特に嫌うとされている。誠実である事を神から美徳の一つとして授けられたのが人間であるというのが、この辺りの国の創世神話でもあるのだ。
その神をあざ笑うような所業で、エリナは何が悪いのだという態度をとっていた。
「わたくしを守る役割になったのに、あの奴隷は使い物になりませんでしたわ」
そう、馬鹿息子と絡み合っていたエリナは言っていた。
誠実では無い行動は、いにしえの魔神を引き寄せる。
そう長らく伝えられていたこの国で、エリナの行動は恐ろしい力を持つ魔王よりもなお恐ろしい魔神を、引き寄せるであろう行動だった。
それでも簡単に処刑できないのは、この国の刑罰に処刑がないからだ。牢獄に閉じ込めるほかないのである。
そういう報告も増えていき、神殿が聖女追放の知らせを受け、本山である遙か遠き雪の国に使者を送り、報告し、と行動を行っている間、エリナの息のかかった人間達が、神殿のあずかり知らぬ所で少女を人柱として使っていたのだ。
神殿と王都は馬を使って三日の距離がある。聖女は定期的に王都に通っていただけで、王都に常にいたわけでは無い。
聖女は神殿の人々に、己が追放された事、そして神殿に戻る事なく罪人のように馬車の中に放り込まれ、国境につれて行かれる事を、国境沿いの商人に、故郷の家族に届けて欲しいと手紙をしたためて送り、故郷の家族が神殿にこの手紙を持って駆け込んだのである。
色々な事が時間との闘いで行われ、神殿側がエリナ達のむごたらしい所業をしり、哀れな少女を救うべく王都に神殿の兵士とともに向かったその日。
民衆の前に引きずり出されていたのであろう、哀れな少女は自分で頭から油を被り、火を被って、崖から海に落ちていったのであった。
神殿の人々はあまりの非道さに言葉を無くし、神殿の神託の巫女はデメテルを選んだ後大往生を迎え、それ以降現れていない事などを民衆に告げ、ではあの娘は誰なのだという騒ぎにもなり……神殿の者達は、哀れな少女のために祈りを捧げたわけだが……そこで終わらなかったのだ。
神殿の関係者の中で、幼少期から神官になる教育を受けていた少年が、神がかりになったのだ。
厳かな声で、少年は
魔神を封じた聖具が少女に引き寄せられた。魔神が再来するであろう。
と神殿の関係者に告げ、この事を一大事と神殿の使者がフェルダに知らせ、いくつもの国を巻き込む事になる、聖具と少女の大捜索が始まったのであった。