急ぎのキッドは指示を出す
ミックにとっての急転直下に違いなかった。とにかく急いで船に戻らなければならない。キッドが足早に彼女の腕を掴んだ状態で、船着き場に向かって急ぐため、これは自分が考えていた以上の緊急事態になっているのだ、と流石に伝わってきたのだ。
自分もとんでもない事が起きていると思っているけれども、この普段見ないような険しい顔つきは、戦闘の騒々しさの中で見た記憶がない顔で、とても怖い。
お頭がやばいと思った。相当にやばいと思った。船はどうなっているだろう。補給路だから、色々と積む事を考えていただろうに、それが全部なしになるのだ。
武器や弾薬は。食料や水の確保は。船という閉鎖空間にとってはなくてはならないもの一式を、シャンティ以外で調達するなら、どこの航路を取るのだろう。下っ端で、そういったものに対しての知識があまりないミックにとっては、それらが大変な事だとはわかるものの、最善策はわからない。
「急ぎだ。ベッグはまだ起きてるかわからないが、あいつが今船の修理その他の指揮を取っているからな」
「船、壊れてんの」
「穴が空いてやがる」
船体に穴。その異常性と緊急性がわからないで、船の船員になるわけがない。船が簡単に沈む可能性があるのだ、それは。
「船、いつ直るんだ」
「三日以内にしていたが、そうとも言っていられないぜ」
「でも、船に穴が空いていたら、出発は難しいんじゃ」
「だから考えてる」
キッドの顔は常になく険しく、最善策を導き出す明晰な頭脳が急ぎで回転しているのが伝わってくる。ミックは一層早足になって、キッドの足手まといにならないように、必死に走っていた。キッドのほうが足が遥かに長いので、どうしたってミックは駆け足にならなければ、キッドの急ぎ足に追いつかない。
「どうする、どれをどうする。この海路は使えない、こっちはどうだ」
キッドが真剣な声でぶつぶつとなにかの情報を整理している。そうして、緊急事態など知らない調子で行われていた馬鹿騒ぎの中を通り抜けて、二人は船のもとに到着した。船の方でも夜ふかしをしているのか賑やかだ。
「おい! 急ぎだ、戻ってきたぜ!」
キッドが吠える。それを聞いた船員達が慌てた調子で物を動かす音が聞こえてきたのは、羽目を外しすぎたとでも思ったのか。
そんなのどうでもよく、キッドは船に縄梯子をかけてぐいぐいと登る。ミックもその後に続いた。
「ベッグは起きているか」
「この騒ぎだ、寝ている方が難しいぜ、お頭」
「ミックの義眼が軍船の群れを見た」
「……」
キッドの言葉に誰もが黙ったため、辺りは静まり返った。船員達は知っているのだ。ルークがミックの潰れた片方の目の代わりに取り付けた、魔道具であるなんだか忘れた名前の義眼が、そういった遥か遠くを見通す力を持っているという事だけは。
それがどれだけの苦痛なのかなどはよくわかっていなくとも、ミックの目が外れない、それだけはわかっているのだ。
「まじか」
誰かが言う。キッドが真顔で頷いた。ミックは声が出たら騒ぎになるから、しかつめらしい顔で頷いた。まだ声を出すには早い気がしたとも言える。
「軍籍の数が多すぎる。船大工と修理職人達にはなんて言っている」
「修理の見積もりは取れたんだ。明日からここに来てもらえればと思っていたが」
「船を移動させる。シャンティからぐるりと反対に動くぞ。おいお前ら、職人達に場所の変更を伝えにいけ。あとそっちのお前達は、陸に上がってる奴らが見る伝言板の方に、それを俺達以外わからないように記せ」
キッドが立て続けに指示を飛ばす。キッドが間違いだとか、キッドが馬鹿だとかいう人間はこの船には乗らない。キッドはそんな冗談は言わない。そして、ミックの義眼は、間違えない。
それをこの船の誰もがしっかりと理解していたから、彼らは大急ぎで動き出したのだった。
「ミック、お前はルークのところで、目玉がもっと調整できないか確認してこい」
ミックはそれにこくりと頷いた。そして足早に船室の中でも、一番いろいろな妙なものがある、ルークの研究室であり医務室に飛び込んだのだった。
嵐は迫ってきていた。それも相当な速さであり、咄嗟の判断が命を左右する、そんな人間が作り出す嵐が迫ってきていた。
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船は急場しのぎで穴を塞ぎ、シャンティの港からぐるりと、更に奥まって、そう簡単には見つけられないような隠し入江の方に停泊した。
職人たちにもその旨は伝えられたため、無事に彼らも隠し入江の方で作業を進めている。
動ける人間はとにかく、船にあれこれと積荷を運び入れて、戦闘のための物資なども詰め込み、てんやわんやの忙しさになっていた。
これはシャンティという海賊たちの楽園では普通見られない光景で、この島に来た海賊たちは誰しも快楽の限りを尽くすのに、それがないという異常な光景でもあった。
ミックはとにかく物を運んでいた。義腕のなせる技なのか、ミックは体格に見合わない重さのものを運べるのだ。とにかく人が足りない状況なので、運べる人間は誰も彼もが物を運んでいた。
そして島で快楽にふけっていた船員たちも、伝言板を見た結果大慌てで戻ってきており、動ける船員の数は増えている。
修理職人達はとにかく急げ、その分の手当てを弾むという言葉をもらった以上、全力で修理を続けている。
誰もこの時点でキッドの言葉を疑わない、それがキッドの人徳だった。
情報はとにかく早くという焦りがあり、街の方にも何人もの人間を向かわせた結果、街でも夕方頃にようやく、軍船がとんでもない数でこのシャンティに向かっているという情報が広まった結果か、街の人間も海賊達も阿鼻叫喚の大騒ぎのような騒ぎ方をしており、とにかく街から海賊が離れなければこの場が戦場になるというわけで、そこにいた海賊達もこぞって出ていこうとしている混沌とした状況になっているそうだった。
「情報がひと足早くてよかった」
そういったのはベッグである。ベッグはキッドの指示を船員達に飛ばしながらこう続ける。
「街の奴らと同じ早さだったら、修理職人達を集めるのにもっと時間がかかったに違いない。金に糸目をつけずに、船を直そうと誰もが考える」
「まったくだな。一足早いものだから、手当のためのあれこれそれの物資も運び入れられた」
ルークがそれに同調している。ミックは積荷を運びながら、目頭をもんだ。義眼は何かを訴えるようなでたらめさはなくなったものの、ミックが見えないはずのものをよく見せてくるのだ。
それは軍船の速度がどれくらいかや、どういった戦闘を考えての武装なのかと言ったもので、見えるたびにミックはキッドのところに走り、見えたものを話す事になっていた。
ミックが喋った事に驚いたベッグだったが、喋った中身のほうが重要なので、なぜ話せるようになったのかは一旦、脇に置く事にしたらしかった。
ただし、声の高さから何かに感づいたらしく、ぎろりとキッドの方を睨んで
「お前幼女が好みだったわけか?」
などと大変に失礼な言葉を呟いていた。キッド程のいい男が、弱者である幼女に懸想するわけもない。だからその考えはありえないのだが、ミックが屈強な体の船員達と比べたらどうしてもちっこくて小柄で、ちびっちゃい子供のように見えてしまうから、そんな言葉になってしまったのだろう。
そもそもベッグはキッドとの付き合いも長いのだから、キッドの女の子のみなんてミックよりも遥かに詳しいだろうに。
そうしてあれこれそれと弾丸速度で物事を進めていった結果、その日の夜のうちに、船はシャンティを出発できるところまで整備その他が終わっていた。
本来船出の前には大騒ぎをするものだが、今はそんな悠長な事をしている時間が惜しいので、暗くて色々なものを隠せる間に、シャンティという島の街にも迷惑をかけないために、船を出発させる事を、キッドが決めたわけだった。
ただし想定外だったのは、夜のうちにここを出ていこうという船がとても多く、多いという事は暗がりでぶつかりやすくなるから操作が慎重になるという事でもあって、予定したよりも遅い速度でしか、船が進めないという問題だった。




