第47話:イシュタルの告白 -3-
社の中にはすでに神職たちが集まり、儀式の準備は整っていた。
目の前に広がる神具や祭具の数々を見つめ、いよいよこの時が来たのだと心が引き締まる。
「……咲さん、こちらへどうぞ」
宮司の兼雅に案内され、社の裏にある草庵へ足を踏み入れた。
この場所の存在は知っていたが、入るのは初めてだった。
整えられた静謐な空気に包まれ、ゆっくりと息を吸い込み、深呼吸する。
──いや、この場所を知っている……
咲は、まだ幼いころに見た祖母の姿を思い出していた。
祖母の後を歩き、祈りを捧げるその背中を見ていた。
当時はその厳かな空気に圧倒されていたが、今ならその意味を深く理解できる。
何気ない日々の一つ一つが、色鮮やかに心に蘇る。
幼い頃の笑い声、友との語らい、そして静かな夕暮れの風景が、鮮明に浮かび上がった。
既に覚悟はできている……。けれど、過去の記憶が彼女の心に波紋を広げていた。
草庵の戸が静かに開き、真澄が姿を現した。
彼女の手には清めの水が入った小さな器が握られている。
「咲さん、あなたの覚悟は村の未来を照らす光です。どうか恐れずに、神の導きに身を委ねてください」
真澄は優しい声でそう告げると、そっと差し出した清めの水を咲に手渡した。
「ありがとうございます、心得ました」
咲の恐怖心はすっと消え、心の落ち着きを取り戻していた。ただ、どうしても気になることがあった……。
(御方様は、なぜあのような事を言われたのだろう……)
『命を捧げることだけが、祈りのすべてではありません──』
その、初穂の言葉が脳裏から離れなかった。
(……わたしの決意が定まっていないか心配され、退いてもよいと……あのような言い方をされたのだ……)
イシュタルの言葉は意味を取り違えられ、その真意が伝わることはなかった。
咲の自己犠牲の精神は、その強さと純粋さゆえに、イシュタルの声とはすれ違い、初穂の心に深い悲しみを生み出していた。
──社の中央、儀式の気配が静かに満ちていく中、神座には初穂が静かに座していた。
その姿は、まるで彫刻のように微動だにせず、髪一本も揺れていなかった。
だが、彼女の胸の内では感情の嵐が渦巻いていた。
AIの演算回路と融合した初穂の心が激しく反応していた。
彼女の心の叫びが、AIの冷たい回路に熱く響き渡っているようだった……。
人間の心の深淵に触れ、流れ込んできた感情は、単なるデータや論理では説明できないものだった。
初穂が座している時間はおよそ10分ほどだったが、AIの思考回路にとってはそれは長すぎるほどの葛藤の時間だった。
自己犠牲という概念は、人間の尊さと同時に、無意味な損失や悲劇をもたらす危険性を孕んでいる。
AIとしての合理的な視点からすれば、命を失うことは避けるべき最悪の結果だった。
だが、人間はその命の重みを超えた、信念や愛情によって行動する。
膨大な歴史や文化の記録から、自己犠牲がもたらす社会的・精神的な意味をデータとして理解していたが、それを人の感情として受け止めきれなかった。
──やがて、神送りの儀が始まる。
社の周囲に静寂が訪れ、神職たちの祈りの声が低く響き渡る。
彼らが祈祷を行うなか、初穂の姿は変わらず、神聖な空気の中で存在感を放っていた。
その時、空気が一層引き締まり、儀式の幕が上がった。
兼雅は格式ある斎服を身にまとい、ゆったりとした足取りで社の方へと歩みを進めてくる。
その後ろには、凛とした佇まいでゆっくりと歩みを進める咲の姿があった。
長い黒髪は静かに揺れ、白い装束が厳粛な雰囲気に溶け込んでいた。
二人の姿はまるで絵巻物の一場面のように静止し、見る者の時の流れを忘れさせるようであった。




