第46話:イシュタルの告白 -2-
祭典の儀式が無事に終わり、村は活気に満ちていた。
──村の中心、広場には多くの村人が集まっている。
大きな釜からは湯気が立ち上り、雑穀入りの粥が振る舞われていた。
手にした碗には、色とりどりの雑穀が混ざり合った、温かい粥が注がれている。
神に捧げられた米と穀物から作られた粥は、その香りは素朴でありながらも、碗からは神聖な気配が漂い、人々はそのありがたさを噛みしめていた。
国重がその輪に加わって話し始めた。
「この粥は、神より賜りし大地の恵み。五穀の一粒一粒に、命の力が宿っておる。皆、これをいただき、来る年の豊作と村の安寧を共に祈ろうぞ」
村人たちは碗を手に取り、互いに目を合わせて頷き合う。
その場には、ただの食事以上の意味が込められていたのだ。
神への捧げものを分かち合うことで、村人たちは絆を深め、未来への希望を新たにしていた。
粥の温かさが、人々の心に静かな安らぎをもたらしていた。
子どもたちの表情は、笑顔で輝いていた。
国重は子どもたちの笑顔を見つめながら、咲の顔を思い浮かべていた。
彼は人々の影で、雑穀の一粒一粒を、静かに口に運んでいたのだった……。
イシュタルはカササギの視覚情報から咲の位置を捉えていた。
初穂と柚葉は足早に屋敷の方へと向かっていった。
──咲は白衣に着替え、髪を整え、身に着ける祭具の確認をしていた。
早朝、祖父と母にお別れの挨拶を済ませ、神聖な役割を担う者としての自覚を深く胸に刻んでいた。
神職との最終確認が行われ、神に召される自身の運命に、少しずつ胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
(いよいよ刻が来た……)
咲は二度と戻らぬこの屋敷に別れを告げ、静かに門を出た。
道中、田畑を横目に思い出す。子どもたちと遊んだ記憶や、畑仕事に精を出す男たちに昼餉を届けた日々。
車具を授かり喜ぶ母の姿、村のために尽くす祖父の背中を追いかけていた自分。
そして、飢餓が迫っていたこの村を救い、人々に希望の光を灯してくれた初穂の姿が、鮮明に脳裏に浮かんでいた。
(次は、私がこの村を護る存在となるんだ……)
「♪そろた 出そろた~ さなえが そろた~
米はたからだ たからの草を~ 植えりゃ こがねの花が咲く~」
咲は、村の男たちが田植え作業を行うときに歌っていた田植え歌を口ずさんでいた。
その歌声は彼女の決意と共に、村の未来への希望を象徴していた。
「あら、まるで田楽法師のようですね」
後ろから初穂が声をかける。
「えっ!初穂さ……御方さま。なぜ、このようなところに!……柚葉さんまで」
咲は驚きと困惑が入り混じった表情を浮かべていた。
「……咲さん、本当に神送りに志願しておられたのですね」
柚葉は、昨年の今頃、初穂と別れを告げた日のことを思い出し、悲しげな表情を浮かべていた。
「柚葉さん、心配されなくても大丈夫です。私はこの村を守るために、どんな困難も乗り越えてみせます」
咲は笑顔で拳を軽く握りしめ、元気よく身を乗り出していた。その明るさが、かえって柚葉の悲しみを際立たせていた。
しかし、イシュタルには全てが伝わっていた。
明るく振る舞う裏では、緊張感から心拍数が徐々に上がり、手には汗が滲んでいた。
年端もいかない少女である。不安がないはずがなかった。
「……咲さん、社へ向かわれるのですか」
「はい、草庵にてお待ちするようにと聞いております」
「わかりました。では我らも共に参りましょう」
咲は少し緊張した面持ちを見せながらも、ゆっくりと足を踏み出した。
隣には初穂が肩を並べ、柚葉はその後ろで少し距離を取りながら歩き出した。
午後の柔らかな陽光が三人の周囲を包み込み、田畑には若苗が揺れていた。
咲は、気になっていたことを尋ねてみた。
「……御方様、わたしのことを”でんがくほうし”のようだと言われてましたが、いったいなんでしょうか」
「田楽法師とは、農作業の合間に舞や歌を奉納する僧侶や芸能者のことです。村の豊穣や安寧を祈る役割を担っています」
「……おじいさまが、一度村にお越しになったことがあると、言っておりました」
「そうですか。先ほどの歌は、その時に伝わったものなのですね」
「はい。稲が育つように、心を込めて歌うのだと聞いています。わたし、この歌が好きなんです……」
初穂は歩みを止め、咲の方へと向き直った。
「彼らの姿は、命を捧げる覚悟と祈りを体現するものです。国重殿の心にも深く響いたことでしょう。咲さんもまた、田楽法師のように、自らの命を村のために捧げる覚悟を持っているのです」
初穂の言葉は、咲の心の奥深くに響いた。
その時、咲の瞳から一粒の涙が零れ落ちた。
「咲さん、あなたの覚悟は尊い。しかし、私たちの願いは、あなたが生きて村を護ることです。命を捧げることだけが、祈りのすべてではありません」
「……」
柚葉は固唾を飲んで見守るしかなかった。
彼女の口から辞退しろとは言えないが、心の中では今すぐ辞退してほしいと願っていた。
抱きしめて、その不安を少しでも和らげてあげたかった。
けれど、咲は胸の奥に震える不安や恐れを抱えながらも、村の未来を守るため、神の力の一部となるため、その命を捧げることを強く望んでいた。
彼女の心はすでに葛藤を乗り越え、神送りに向かう強い覚悟を固めていた。
咲は涙を拭き、初穂を見つめて答えた。
「……御方様、お心遣いありがとうございます。しかし、私はとうに覚悟はできております。この身を以て、ご恩返しがしたいのです」
「恩返し……ですか?」
「はい。御方様には、不思議なお力で助けられたと皆が申しております。奇跡的にも、誰も死なずに冬を越すことができました。御方様のお力がなければ、到底考えられません」
咲の瞳は鋭く輝きを増し、その言葉の一つ一つに、次第に力がこもっていった。
「わたしは、奇跡を頼りに神様のお力にすがるだけではなく、この村を護るためにお力添えしたいのです」
「どうか、咲にこの道をお譲りください!」
「……っ!」
その声には、確かな決意となって彼女の胸に深く刻まれていた。
涙はもう流れていなかった。その瞳は、強く、そして揺るぎない光を宿していた。
イシュタルはこの瞬間、自身の言葉や立ち振る舞いが、咲の信仰心に火をつけた事を思い知らなければならなかった。
人心を束ねるための神としての行為が、思いもよらぬ結果を招いてしまった。
本来、人身御供を伴う儀式は時代と共に廃れていく傾向にあったが、神の降臨によって逆進的な現象を引き起こしていた。
この時代における自己犠牲や家族愛の精神性は、AIには理解しきれるものではなかったのだ。
AIと人間の“心の理解”における微妙なズレが、大きな誤算を生むことになったのだ。
初穂の表情が固まり、その瞳から涙がこぼれ落ちていた。
イシュタルに融合した初穂の心の悲しみと苦しみが、雪崩のようにAIの神経回路に流れ込んでいた。




