第44話:真澄の決断 -4-
冬の山里は朝晩の冷え込みが厳しく、畑には霜が降り、沢の水も薄く凍っていた。
村人たちは、神の加護と互いの支え合いによって、厳しい冬を乗り越えた。
一人の餓死者も出すことなく春を迎えられたことに、感謝の祈りが絶えなかった。
やがて雪が溶け始めると、村には少しずつ活気が戻ってきた。田畑の準備に人が動き出し、山道の修繕や社の掃除が始まる。
川辺では子どもたちの遊ぶ姿も見られるようになっていた。
──季節は春先。社の裏手の山肌には、山桜が咲き始めていた。
紅と白がまだらに咲き、冷たい風にそっと揺れている。
真澄は社の裏手に立ち、咲き始めた山桜の枝の下から御座所を見つめていた。紅と白の花が風に揺れ、彼女の白衣に淡く影を落としている。
先月、咲に神送りの儀の務めを託すことを伝えた。
その夜の光景が、今でも鮮明に真澄の脳裏によみがえる──
「──ごめんください」
真澄は息を整えようとしたが、胸の鼓動は収まらなかった。
神送りを告げる瞬間だけは、何度迎えても慣れることがない。
「……はーい!」
パタパタと足音をさせながら、奥から咲が迎え出る。
「あ、真澄さま。おひさしぶりです」
「ええ、元気そうで安心しました」
真澄が微笑む。兼雅は、その隣で黙って会釈する。
二人は緊張を隠しきれずにいた。
咲は一瞬、真澄と兼雅の顔を見比べ、何も言わずそっと目を伏せた。
「……おじいさまを、お呼びしますね」
「助かります」
──四人は囲炉裏の間に移動した。重苦しい沈黙が場を包む中、国重が静かに口を開いた。
「咲や……神送りの務めを、申し出ておったのじゃな……」
「……はい、おじいさま。神さまにいただいたご加護を、少しでもお返ししたいのです」
「それならば、命を捧げることなく、他の形でご奉仕できるのではないか」
国重の表情には、孫娘を人身御供に送ることへの躊躇がにじみ出ていた。
兼雅はあえて口をはさまず、咲の決意を見極めていた。
迷いがあれば、この役目を辞退してもらうつもりだった。
咲は国重の目を見つめ、力強く言った。
「……村の皆さんを守りたい。それが、私の願いです」
国重は咲の決意に胸を打たれながらも、孫娘を失う悲しみが消えることはなかった。
咲は兼雅の方に向き直り、背筋を伸ばして姿勢を正した。
「宮司さま、咲はすでに決意しております。どうか、そのお役目をお任せください」
真澄は、咲の心を無駄にしたくなかった。
必ずこの儀式を成功させると心に誓っていた。
「咲殿、神送りの儀について、来たる日に──その務めをあなたに託したく存じます」
兼雅の声が囲炉裏の間に重く響いていた。
──真澄は、咲のその姿をまるで昨日のことのように鮮明に思い出していた。
社の外では、春の風が若葉を揺らしている。咲の神送りは、もう間近に迫っていた。
村では春祭りの支度が慌ただしく、婦人たちは布を染め、若者たちは舞の稽古に励んでいた。
外の賑わいと社の中の張り詰めた緊張感が、対照的に感じられた。
その賑わいは真澄にとって、どこか遠い世界のように映っていた……。
一方、初穂は村を巡り、春祭りの準備と農作業に追われる人々を励まし続けていた。
春の風がそっと吹き抜けると、山桜の花びらが舞い散り、初穂の肌にふわりと触れる。
花びらの色彩と香りが、初穂の深層意識を揺らしていた。
その刺激に反応し、ナノユニットが彼女の内側で淡い光を放ちながら活動を始める。
初穂の瞳に、桜の紅と白の混ざり合う色彩が映し出され、まるで季節の息吹と共鳴するかのように輝いていた。
イシュタルの中枢に初穂の意識が流れ込み、生命の本質を探りながら、自然との調和を模索していた。
桜の花びらが舞うたびに、初穂の体からは微かな光の粒子が放たれ、村のあちこちに散らばるナノユニットと連携している。
まるで春の風が村全体を包み込み、生命の息吹を運ぶかのようだった。
春の風を纏う初穂を、遠くから咲が見つめていた。
神と呼ばれるその姿に、彼女が何を思うのかは誰にもわからなかった──
兼雅は、祭式次第を慎重に書き上げていた。
その中には、神送りの名として「咲」の名前が記されている。
神職としての責務の重さを胸に、彼はこの儀式の成功を固く誓った。
夜空は満月。咲の神送りは、いよいよ明日に迫っている。
静かな夜の中、村には緊張と期待が入り混じっていた。
咲はゆっくりと空を見上げ、月の光を浴びながら深く息を吸い込んだ。
心の中で、村の未来と家族の安寧を願い、決意を新たにした。
咲は静かな月夜の中で、自分が夜空の一部となり、風や星と一体になったような心地がした。




