第33話:月下の襲来 -3-
男たちは互いに合図を交わし、言葉を発することなく境内へと足を踏み入れた。
彼らは少女を逃がさぬよう、包囲するように歩を進めた。
手に持った山刀の刃が、月明かりに濡れたような鈍い光を帯びている。
神衣に織り込まれたナノユニットが作動を始め、初穂の体は内側から微かな熱を発しはじめていた。
平安時代は雅やかな貴族文化が花開いた時代だった。
しかし、実際は治安が悪く、野盗による女性の誘拐事件も発生していた。特に都から離れた山道や夜間には常に襲撃の危険があった。
この男たちにとっても、一人の少女をさらう事など、”手慣れた仕事”に過ぎなかった。
だが、男たちはある程度まで距離を詰めたところで、動きを止めた。
──標的の娘を目にした瞬間、彼らは銃声に凍りついた鹿のように、言葉を失いその場に釘付けになった。
初穂の周囲に、淡い紫の光が霧のように広がっていた。
見開いたその目の奥には、滲むような赤い光が揺らめいていた。
……風もないのに、髪がゆるやかに動いた。
空気が、そこだけ震えているようだった。
(なんだ、あの光は……)
暗闇の中、月夜に照らされた彼女の姿は、怪異そのものだった。
その異様な光景に、まるで見えない力に縛られたかのようだった。
「……おい、構うな。行け」
頭の命令に、男たちは動きを取り戻した。
最初に動いたのは、鉈を手にした男たちだった。
彼らが初穂に掴みかかった瞬間──紫に輝く霧の中から、鋭い放電音とともに稲妻が迸った。
周囲に散布された紫色のナノ粒子が、空気中の微細な水分と結合することで、空間全体に導電性を持つフィールドが形成されていた。
そして、初穂の体内に蓄えられた電荷が解放され、男たちはスタンガンに打たれたかのように、一瞬で動きを奪われたのだ。
電流が神経を駆け抜け、筋肉が痙攣した。男は膝から崩れ落ちた。
ほんの数秒──だが、初穂にとっては十分すぎるほどの時間だった。
初穂は一歩踏み出すと、流れるような動きで二人の喉元へ指先を突きつける。
指先が皮膚に沈み込んだ瞬間、男たちの瞳が震え意識は断ち切られた。
彼らは、抵抗する間もなく崩れ落ちていった……。
──皮膚に触れ、微細な振動と圧力を発生させる。
それは、迷走神経反射による失神だった。
人間の身体は、意外なほど脆い。
喉元に走る神経線維が外部刺激に反応することで、副交感神経の活動が急激に高まる。
脳への血流が一時的に失われ──それが失神の引き金となる。
迷走神経は、脳幹から胸部・腹部の主要な内臓にまで伸びており、心拍・血圧・呼吸などの生命維持を司る重要な脳神経である。
喉元に沈み込んだ指先から、ナノユニットが微細な振動を発生させ、皮膚下の神経束を探り当てる。
(喉元への圧力:0.75ニュートン)
(迷走神経への振動:ナノユニット周波12~20Hz )
(急激な心拍・血圧の低下を検知──1秒経過)
(対象の視界喪失、意識の低下を検知──2秒経過)
(脳血流低下、対象の意識喪失を確認──3秒経過)
娘に襲い掛かった二人がなすすべもなく倒れた。
(……なにが起こった、さっきの光はなんだ……。あいつらは、なぜ倒れている……)
頭の男は、驚きのあまりその場から動けなかった。
初穂は、二人を制圧する間も、彼らには一瞥もくれず、頭の男だけを睨み続けていた。
そして、彼女の眼の奥に滲んでいた赤い光が、じわじわと燃え広がっていく。
瞳の輪郭が赤く染まり、光が肌を照らしていた。
男は、言葉にならぬ恐怖を覚えた……。
──静かな夜の中、まどろむ柚葉の耳に、何かが倒れるような鈍い音が響いた。
その音が、彼女の意識を現実へと引き戻した。
(……今の音は何?……初穂は)
初穂がいるはずの場所に、その姿が無い。
「……え、お方様!」
御座所を見回し、休息の間にも目をやる──だが、初穂の姿は見当たらない。
外の戸に手をかけた瞬間、妙な胸騒ぎが柚葉を包んだ。
戸をわずかに開け、柚葉は外の闇に視線を滑らせた。
そこには、信じられない異様な光景があった。
初穂の足元に、男が二人倒れていた。
境内には、さらに二人の男が立っていた。
一人は山刀を、もう一人は短弓を構え、初穂と向かい合っている。
柚葉の目に映った初穂は、まるで怒りに燃える不動明王像のように、微動だにせず男を睨みつけていた。
赤く燃える瞳が闇に浮かび上がり、髪は静かに宙を漂っている。
柚葉の胸に、言いようのない恐怖が広がった。
闇の中に立つその姿は──信仰の記憶を塗り潰す、異形の力だった。




