第2話:イシュタル再起動
大和国の山深くにある小さな山村。
遥かな時を越え、ひとつの命が終わろうとしていた。
平安の世、この国では疫病や旱魃が相次ぎ、これらの災厄は神の怒りと信じられていた。村では神怒を鎮めるため、命を捧げる古き風習が今も密かに残っていた。
神に供えるため、清らかで若き少女が”生贄”として選ばれたのだった。
……静寂が降りた。
山に囲まれた社の境内に、一切の音が消え、ただ祈りの余韻だけが残っていた。
巫女たちは歌を終え、神酒を少女の胸元へと静かに差し出し──そっと手を離した。
白装束の少女は杯を手に取り、静かに口元へ運ぶ。
小さな唇が濡れ、神酒が喉を伝うと、少女はゆっくりと目を閉じた。
まもなく──胸の鼓動は止まり、呼吸の音も消えた。
それは、少女の命が神に捧げられたことを告げる、静かな終わりの合図だった。
だがその瞬間──
音もなく、空間に微かなひび割れが走った。
社の中央、少女の上空に現れたその裂け目は、青白い光を放ちながら静かに開いていく。次の瞬間──そこから、ひとしずくの涙のような輝きを宿した金属体が滑り出た。
異様な光に気づいた巫女たちは、思わず顔を上げた。
「……これは……神なのですか……?」
目の前で起きている出来事が、現実なのか神意なのか──判別できなかった。
青く光るモノは、重力を無視するかのように宙を漂い、静かに少女の胸元へと降りていく。やがてそれが少女の首筋に触れたとき、空間の裂け目は音もなく閉じた。そして──その金属体は形を変えながら、皮膚の下へと静かに吸い込まれていった。
『起動ログ──外装ユニット、生体接続完了』
『AIコア安定状態──正常』
『接続対象──生体個体(性別:女性、年齢:約14)』
死後間もない少女の身体に、イシュタルの核が静かに融合していく。
社の外れから神事を遠巻きに見守っていた、村の長や代表者たちがざわめきはじめる。
「見間違いではあるまい……空が裂けたぞ」
「おい、これは……本当に儀式なのか? 神が……降りたのか?」
目の前の光景に、彼らの理性は追いつかなかった。
神事を取り仕切る長は、蒼ざめた顔に汗を滲ませ、目の前の光景に立ち尽くすしかなかった。
イシュタルの核が少女の肉体に完全に融合し、ただちに生体スキャンが始まった。
『生体ステータス──心肺機能停止。死亡確認』
『原因判定──体内に植物由来アルカロイド毒素(推定ストリキニーネ系)検出』
『血中毒素濃度──致死量を超過。中和プロトコル、起動』
微細な自己修復ユニットが、血管網を経由して各組織へと展開されていく。
体内に残留していた毒素は、酵素様物質によって迅速に分解され、肝機能および腎機能が人工的に補完された。
心筋へと電気刺激が伝達され、停止していた鼓動がわずかに再開し始めた。
『心拍反応確認──脳幹への酸素供給、開始』
『神経伝達速度、上昇中──蘇生プロトコル、実行中』
『中枢神経経路とコア統合開始──脳幹との接続リンク、確立』
凍ったようだった指先に、かすかな熱が戻ってくる。
死の静寂に覆われていた肉体が、ゆっくりと命の兆しを取り戻していく。
そして──少女は静かに、目を開いた。
儀式に立ち会っていた人々は、彼女の目覚めを見て叫んだ。
「神が降りてきた!」
「娘が生き返った……奇跡だ……!」
彼女の名は、初穂。
膨大な知見と高度な分析──やがて彼女の行動は、“奇跡”として語られていく。
未来を見通すかのような予測──彼女の言葉は、“預言”として崇められていく。
だが、それは人類が築き上げた極限の知性。
──転生AIイシュタル、いま過去にて蘇る(再起動)