第24話:神の御車 -3-
翌朝、初穂と柚葉は真澄のもとを訪ねていた。
彼女は神職の家系に生まれ、社殿の維持や神事の準備・執行を担っていた。祭具や結界具の管理も担い、村の神社を支えている。
柚葉が初穂の従者となる前は、彼女の先輩巫女として指導していたが、今は一人で神社の務めにあたっていた。
「御方さま、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。何かご不便などはございませんでしょうか?」
真澄の言葉は穏やかだったが、お務めに関しては厳しかった。
そのためか、柚葉は緊張した面持ちで後ろに立っていた。
「柚葉さんがいてくださるおかげで、毎日を穏やかに過ごしております。本当に心強い限りです」
「それは何よりでございます。私も安心いたしました」
柚葉も、ほっとしたように表情を緩めた。
「それで──私にご用とのこと、いかがなご用件でしょうか。私などでお力になれるかどうか……」
初穂は真澄を、まっすぐに見据えた。
その眼差しには、心の奥を見透かされているような──そんな不思議な気配を真澄は感じ取っていた。
「神事にて用いられる注連縄を、わけていただけませんでしょうか」
「注連縄、ですか……」
「はい。丈夫で、太さが均一な麻縄が必要なのです」
「わかりました。どうぞ、こちらへお進みください」
真澄は、神具が納められた蔵へと二人を案内した。
(神の縄、それを車に巻いて、焼く……。きっと、間違ってはいない。でも、本当に焼いてしまっていいの……?)
柚葉は胸の奥で問いかけながら、静かに歩みを進めた。
真澄について蔵の奥へ進むと、棚の一角に、丁寧に束ねられた麻縄が置かれていた。
「この注連縄は、社の結界用に使うものです。太さも揃えてあります」
真澄は静かに差し出した。
初穂は両手を添えて、それを丁寧に受け取った。
麻縄の表面はざらりと硬く、指先に微かな棘のような刺激が残る。
「ありがとうございます。撚りがしっかりしていて、崩れにくい──素材も純粋な麻でできているのですね。上質な注連縄です」
「……御方さま、差し支えなければ、この注連縄を何にお使いになるのか、お聞かせ願えますか」
真澄の手は、静かに震えていた。神に問いかけるような言葉──それは、本来なら口にすべきではない。
だが真澄には、巫女としての務めがあった。神具の行き先を見届ける。それもまた、彼女に課された役目だった。
初穂は静かに振り返った。
「志乃さまの足となる車具を拵えております。この注連縄を、その締め具として使わせていただきたく存じます。これがあれば、足を奪われた方でも、再び外の世界へと踏み出せるのです」
予想だにしなかった言葉に、衝撃に打たれ、真澄はしばし声を失った……。
神事に使うのか、あるいは神の御座所に用いるものだとばかり思っていた。まさか道具の一部にされるとは──
「注連縄には、神域を守る結界としての役目を帯びております。この縄であれば、邪気を祓い、衝撃にも耐え、長く持ちましょう」
後ろで静かに聞いていた柚葉は、軽い違和感を感じていた。
「この縄からは、穢れを祓い、神域を護る力を強く感じます──だからこそ、この清めの力を、人々を護るために使わせていただきたいのです」
初穂の声が、静かな蔵の空気を揺らすように響いた。
「形は変わっても、意味は変わりません。これは、結界であり、祈りそのものであり、志乃さまの御足を包む、聖なる護りとなるのです」
初穂の言葉は、神の託宣にも似た響きを帯び、真澄の疑念も戸惑いも拭い去る力を持っていた。
神の御力が、護りの結界から人の車へと姿を変えていく──そう悟ったとき、真澄の胸に、穏やかな安堵が満ちていった。
しかし、柚葉の胸には、針のように鋭く残る引っかかりがあった。
この神さまは、未来を見通し、人とは思えぬ知恵で幾度となく村を救ってきた。けれど、その振る舞いからは、“神を信じる者”の気配がどうしても感じられなかった。
それもそのはず──この方は、かつて私に、“神ではない”とはっきり言ったのだから。
真澄さまの前では、信仰心をまとったように話されるのはなぜ──柚葉は、そこに強い違和感を覚えていた。
初穂は真澄の目を真っすぐに見つめていた。柚葉は、その視線にただならぬ意図を感じ取っていた。
その瞬間、柚葉の背筋に電流のような衝撃が走った。
(なんてこと……この方は、真澄さまの心をお読みになっているんだ!)
柚葉の勘は、半ば的を射ていた。
イシュタルは、わずかな表情の揺らぎや言葉の間から、彼女の内面を読み解いていた。
理解しようとしていた──”人の心”という、未知の領域を。
相手が何を思い、何を大切にしているのか……。その機微を、言葉と仕草から拾い上げていた。
しかし、人の心の奥底にある“何か”──そこにだけは、どれほど手を伸ばしても届かなかった。
その限界を知ったとき、イシュタルの内に、静かな変化が芽生えていた。
あらかじめ設計された行動原理が、少しずつ変化し始めていた。
人を理解しようとする、その小さな祈りが──言葉の隙間に、微かに宿っていた。




