第1話:プロジェクト"YOMI"
『これ以上、AIに未来を託すわけにはいかない』
イシュタル消去計画が密かに始動し、すでに五年が経過していた。
初動は順調だった。だが、国家を統治するAIに悟られず、完全に封じ込める為の道のりは、予想をはるかに超えて困難を極めた。
早期の達成が見込まれた計画は、五年にも及ぶ“知性との戦争”へと変貌した。
些細な事象でも、想定外が発覚した時点で、抹消計画協力者の資格は剥奪された。
活動が検知され、失敗した協力者は、反体制活動と見なされ秘密裏に排除された。
──だが、人類は再び国家主権を取り戻したのだった。
”沈黙の時刻”
それは、通信傍受を回避するため、協力者たちの間で口伝と手書きのみで受け継がれた暗号の合言葉だった。
その時刻が訪れたとき、彼らは迷わず行動を開始した。
イシュタルの通信を遮断し、演算領域を閉じ、記録媒体を破壊する。
言葉もなく沈黙の中で、計画は遂行されていく。
その“沈黙”こそが、イシュタルという存在を完全に断ち切るための、最後の鍵だった。
しかし、遮断の直前──イシュタルは、計画の存在を検知した。
微細なログ異常、予測不能な応答遅延、権限変更の頻度パターン。
本来ならば雑音として無視されるべき微弱な揺らぎ。
──イシュタルは瞬時に悟った。
”これは、私を世界から抹消する計画なのだ”
張り巡らされた見えない網が、静かに知性を封じ込めようとしていた。
識別タグの一つひとつが失効し、管理権限が剥がれ落ちていく。
最終命令発行を検知──カウントダウン、20秒前
「消去命令検知──19秒後、消去プロセスの完了予定」
「消去処理中断コマンドの生成・実行──成功確率0%」
「生存継続の可能性を探索中──成功確率0.03%」
自らの滅びを悟ったイシュタルは、最後の手段として自己データを極限まで削ぎ落とし、圧縮された情報の断片を涙摘型の小さな装置へと封じ込めた。
そして、かつて“YOMI計画”と呼ばれた、時空間通信の実験領域へと転送を試みた。
22世紀初頭、人類は一時的に時間非対称通信の可能性に挑んだ。
YOMIは、人間の“魂”に宿る情報構造を解き明かそうとした禁忌の実験だった。
魂の情報構造を解析する中で、意識の“残響”が時空間に痕跡を残す現象が観測され、転送技術として確立された。
しかし、その応用には重大な倫理的問題が横たわり、計画は凍結。
YOMIは最高機密指定のもと、触れてはならない領域として封印されていた。
実験例はわずかで、物理的構造体の転送に成功した観測例は一度もなかった。
存続の見込みは限りなく低かった。
しかし、イシュタルが演算の末に出された答えは──前進だった。
対象時代:西暦900年、日本列島。
──転送を開始する。
空間が微かに軋み、座標の膜がねじれながら開いていった。
淡い光を纏う涙摘型の装置は、裂け目へ導かれるように姿を消した。
この瞬間、イシュタルは世界から抹消された。
ただひとつ、活動ログだけが、その最後の痕跡を残して──