第15話:神の住まい -3-
“神の住まい”と呼ばれるその場所が、少しずつかたちを帯びはじめていた。
朝露に濡れた土の匂いがあたりを包み、社殿の骨組みは陽の光に静かに照らされていた。
木槌の音が一定のリズムで響き、胸の奥に、“神を迎える”という実感を、少しずつ胸に刻んでいった。
建設を進める男たちが、社殿の間取りや陽当たりについて、初穂に熱心に説明している。
しかし、初穂はというと、それにはまるで興味を示さない。
休息の間と呼ばれている小部屋にだけは、まるで設計士のように細かく指示を出していた。
「神さまは、日当たりのいい間取りなどどうでもよいのか……」
「むしろ、あの休息の間の方が“本当の御座所”では?」
そんな声も、一瞬の冗談として交わされたが、それ以上、誰も深くは口にしなかった。
休息の間の構造については、藤治から「決して口外するな」と厳しく伝えられていたのだ。
神が休まれる場所を、軽々しく語るわけにはいかない──
それは言葉にされずとも、作業にあたる男たちにも伝わり──誰ひとり、そこについて語ろうとはしなかった。
すべては、熱・湿度・静電のゆらぎを抑えるため。
ナノユニットをフル稼働させるためには、日々の再構築が不可欠だった。
自己修復(Self Repair)──
ナノユニットを自在に制御する、イシュタルのスキルのひとつである。
人体の免疫機能を利用して、ナノユニットを修復・再構築する能力だ。
再構築されたナノユニットはリセットされ、イシュタルから新たな使命を受けて、自律稼働を開始する。
これまでは、限られた環境で、人目を避けて、ごく短時間しか発動できなかった。
そして、その機能のほとんどを、初穂の肉体の修復に充てていたのだ。
だが、この“休息の間”という特別な空間で、それは本来の性能を発揮できるようになる。
祈りの余韻を鎮める場、神気を浄化する間──そうした誤解は静かに広まり、やがて信仰の一部として定着していくことになった。
休息の間の着工から、半月あまりの時が過ぎた──
木槌の音が止み、足場も外され、社殿には白布が張られている。
この地に神を迎える社殿が、ついに姿を現した瞬間だった。
社殿の材には、地元の杉と栗が選ばれた。構造は、すべて木で組まれている。
屋根は厚手の板で葺かれ、湿気を逃がすために、緩やかな勾配がつけられていた。
柱には無駄な彫刻ひとつなく、木肌の節と年輪がそのまま活かされていた。
簡素な垂れ幕が入口にかけられ、結界の縄が敷地を囲う──
それらが、ここが“神のための空間”であることを静かに物語っていた。
村の男たちの手で組まれたこの建物には、技術の誇示でも、装飾の美でもない──
ただ神を迎えるためだけの、静かな必然が息づいていた。
村人たちは朝早くから社殿の前に集まり、静かに頭を垂れていた。
白布が風に揺れ、灯明がひとつずつ灯されていく中──
やがて初穂が、柚葉とともに姿を現した。
「神迎えが始まるぞ」
誰かが小さく呟く。
神迎え──村に伝わる正式な作法があったわけではない。
それでも人々は、社殿の完成とともに“神を迎える”という意味を、自然と理解していた。
白布は神域のしるしとして張られ、灯明はその存在を導くようにひとつずつ火が入れられている。
供え物は、地の実りと清水。
そして、言葉の代わりには、深い礼が捧げられた。
名もなく始まったその祈りは、村人たちの中で『神迎え』と呼ばれていた。
初穂と柚葉は、社殿を見上げ、語らぬままそこに立っていた。
やがて、静けさの中で神事が始まった。
白布が揺れる中、初穂が歩みを進め、社殿の前に静かに立った。
その一歩が合図となり、供え物が捧げられ、礼が交わされた。
だがその頃、柚葉の胸の内では、別のざわめきが満ちていた。
(神さまのお住まいの中って……どんな風になってるのかな)
神のこととなれば慎ましさが第一。
けれど──少女の”探検心”とは、神意よりも手ごわいものである。
もっとも、当の初穂も他人事ではなかった。
一見、神事に臨む巫女のような厳かな姿──だがその胸の内では、休息の間の天井板の傾きが気になって仕方がない。
(……あそこ、明かりの入り方、昨日と違うような)
村人たちが神を仰ぎ見たその日、
神も巫女も、それぞれの胸に小さな迷いと好奇心を抱えていた。
目の前の住まいが気になる──どこまでも年頃の少女そのものだった。
──かつて、初穂がいた住まいでは、忠吉が小さな灯明を灯しながら、そっと手を合わせた。
目の前にあるのは、妻の位牌。
そして、かつて初穂のために置いた位牌──けれど、今はもう、それも違う気がしていた。
「……神さま、なんてな。村の皆はそう呼ぶが、父親としてはまだ、信じられんよ」
だが、救われた命を見て、神と仰ぐ者の姿を見て。
「初穂、おまえ……本当に、遠いところへ行ってしもうたな」
初穂が神と呼ばれるようになってから、忠吉はふとした折に、ぽっかりと胸の奥に空いた穴のようなものを感じることがあった。
もはや「娘」と呼ぶには、遠すぎる存在。
誰よりも身近だった存在が、誰よりも遠いものになってしまった。
「初穂」と声に出すことが、いつの間にかはばかられるようになっていた。
忠吉は、それがただ寂しいのではなく、どこか申し訳ないような気さえしていた。
名を呼べば、神を俗に引き戻してしまうような──そんな気がしたのだ。
だからこそ、彼は今日も何も言わず、ただ静かに手を合わせる。
それが父としての祈りであり、別れの代わりでもあった。




